「ほんとうのこと」を書けているだろうか|『ほんとうのことを書く練習』を読んで
「ほんとうのこと」ってなんだろう。
土門蘭『ほんとうのことを書く練習』によると、「ほんとうのこと」というのは、本音や心の底に渦巻いているドロドロした感情ではないらしい。
自分は何を感じているのか、何を考えているのか。
何を問うていて、何を知りたくて、何に惹かれているのか。
世界をどう捉えて、今後どう捉えようとしているのか。
自分の内側で、どんな変化が起き続けているのか。
つまり、世界に触れている自分自身を感じること。
そこで得た言葉こそが「ほんとうのこと」だ。
これまで私は、2年以上文章を書いてきた。エッセイだけではなく、旅行記や読書感想文、最近は書いていないけど短編小説もある。その中で、私は自分の内側を出してきたつもりだ。
しかし、「ほんとうのこと」を書いているかと問われると、自信がない。なぜなら、私の書いた文章は欲にまみれているものもあるからだ。正直にいうと、読んで欲しい欲が強くて、着飾った言葉を使ってしまうことが多々ある。「ほんとうのこと」にデコレーションを施して、「ほんとうのことらしいもの」を書いてしまったことが、振り返るとかなりある。しかも、それを「ほんとうのこと」のつもりで公開しているのだから、なかなか自分でも気付けなかった。
だから、その引用部分を読んだ時にドキッとした。「ほんとうのこと」を書いているつもりだったけど、果たして本当かと自分に問うてみると、違う気がする。私の書いている文章は、「ほんとうのこと」のように見せかけた「ほんとうではないこと」かもしれない。
「ほんとうのこと」を書く難しさは、書く人なら誰でも経験があるだろう。書こうとすると、脳内のもう1人の私が待ったをかける。「こんなことを書いていいのか」と止める私を振り切れず、無難な内容に抑えてしまったことなんて、何度もある。それは、自分に嘘をつくことになるのではないかと葛藤するが、読まれたい欲が勝って無理やり自分を納得させてきた。
『ほんとうのことを書く練習』を読んでいたら、どうしても「ほんとうのこと」を書きたいと強く思った。本書では、誰にも見せない文章として、自分しか読まない日記を書くことを勧められていた。以前書いていた日記。手帳に1ページ程度書いていたが、復職してから時間に追われるようになって、すっかり書かなくなっていた。今年買った手帳は、まだ真っ白のままだ。
人に見せない日記を書いて、「ほんとうのこと」を書く練習を始めたい。職場でショックだったこととか、胸を痛めた一言でもいいから、書いて自分と向き合う時間を取ろうと決心した。本の中では「自分と信頼関係を築く」と表現されていて、私に欠けているところだと感じた。
あと私は、文章を上手に書こうとする意識が強い。読み手のことを考えると、誤植はもちろん、音読して読みやすいかどうかを必ず確認する。もちろん大切なことだ。しかし、時に読みやすさにこだわりすぎて、本当に書きたかったことを消してしまうことがある。すると出来上がった文章は、薄味の煮物のような味気ないものになっている。
「人によく思われたい」という気持ちは、たぶん強い方だと思う。それも、自覚している以上に「人によく思われたい」と願う自分がいる。素の自分を晒しているつもりでも、どうにも飾ってしまう。下手すると、武装に近い時だってある。そうだと認めるまで、かなりの時間を要した。だから、今はなるべくいい格好をしない文章を心がけている。
いい格好をしたがる私には、もうひとつ良くないクセがある。文章を書いている途中から、編集したがるというものだ。
本の中には、こんな言葉が出てくる。
「考えるな。考えるのは後だ。第1稿はハートで書く。リライトには頭を使う。文章を書く時は、考えずに書くこと」
私は、これと逆のことをやってしまっている。
「考えろ。考えるのが先だ。第1稿から考えて書く。リライトにも頭を使う。文章を書く時は、考えて書くこと」
これが私の書き方だ。だから、頭でっかちな文章が出来上がってしまうことがあり、読んでみたときに「ああ」と頭を抱えてしまう。書き上がった文章は、「ほんとうのこと」をなぞってはいるけど、「ほんとうのこと」が書かれていないという、本末転倒な事態になってしまうことがある。そして、読みやすければ「まあいいか」と思ってGOしてしまう。
頭ではわかっている。書くときは、書くことに集中して、後から編集をかければいいって。でも、「書く私」のそばで「読む私」がアップを始めていて、何かあればすぐ飛び出られるようスタンバイしているのだ。だから、引っかかってしまうと「ほら、そこ!」と言わんばかりに、「読む私」がデーンと登場してくる。そして、書きかけの文章に散々ダメ出しをしていく。言いたいことを言い切った「読む私」は、満足しておとなしくなるけど、「書く私」はショックを引きずって筆が進まなくなる。
「書く私」を苦しめているのは、間違いなく「読む私」。「ほんとうのこと」から遠ざかった文章を書いてしまうのは、「読む私」が出番を間違えて張り切るところが原因だ。「書く私」はいつまでも窮屈で、「読む私」の顔色を伺っている。
もっとのびのびと、書くことを楽しみたい。
「ほんとうのこと」を書けるようになりたい。
「ほんとうのこと」で読者の心を動かせる書き手になりたい。
だから、「ほんとうのこと」を書ける人がうらやましい。
「ほんとうのこと」を書けるようになるには、精進しなければならない。もう少し頑張れば手にできるものなのか、想像よりも遠いところに「ほんとうのこと」があるかは、私にもわからない。だからこそ、挑戦する意味がある。
私にしか書けない「ほんとうのこと」を読んでもらえるように、努力していきたい。
