岩内町のトリビア-漱石・アスパラ・クラフトビールで紐解く歴史と魅力
北海道岩内町といえば,有島武郎の「生まれ出づる悩み」のモデル画家・木田金次郎の出身地であり,町には,木田金次郎美術館があります。
その他にも,ちょっと意外な岩内町ゆかりの人物や食べ物があるので,ご紹介します。
キーワードは,夏目漱石,アスパラガス,クラフトビールです。
◆ 夏目漱石
漱石は,1892年(明治25年)から1914年(大正3年)まで,(25歳〜47歳まで)戸籍を東京都駒込から北海道岩内へ移していました。
にも関わらず,ただの一度も北海道へ足を踏み入れたことがなかったそうです。

では,なぜ岩内町に戸籍を移したのでしょうか?
その疑問を解决すべく,岩内町郷土館を訪れました。
館内の展示に,漱石の戸籍謄本がありました。

本名「夏目金之助」と書かれている
岩内町に戸籍を移した理由として,「徴兵逃れ」説が有力とありました。
当時,北海道は開拓中だったため,徴兵令が猶予されていたのです。
ではなぜ,北海道の中でも「岩内」だったのでしょうか。
そして,どのような経緯で,直接の知り合いではない,三井物産硫黄山の御用商人・浅岡仁三郎宅に移籍したのでしょうか。
これらの謎については,解明されていません。
その理由を知りたくなりました。
さて,館内には,1,000円札が展示されています。

拡大すると
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◆ アスパラガス
町内を車で走っていたら,「日本アスパラガス発祥の地」と書かれた記念碑が目に留まりました。
春の味覚アスパラガス。
その発祥地が岩内町とは知りませんでした。
岩内町出身の農学博士・下田 喜久三が,北海道の冷害対策として,岩内町でアスパラガス栽培の研究を始め,1923年(大正12年),冷害に強い品種改良に成功しました。
その後,日本初のアスパラガスの生産に取り組みました。


アスパラガスを持っています
(岩内町郷土館玄関)
◆ クラフトビール
1871年(いわない)明治4年,開拓使に雇用されていた,アメリカ人トーマス・アンチセルが,岩内町で地質調査中,野生のホップを発見しました。
◎ 開拓使とは
明治時代,北海道の開拓・行政を担うために設置された役所
「道内は,ホップ栽培に適している。将来,輸出品目にもなりうる」
このように,アンチセルは,当時の開拓使次官・黒田清隆へ進言したそうです。
こうして,北海道でホップの栽培が始まり,1876年(明治9年)には,札幌麦酒醸造所(現札幌ビール)が設立しました。
しかしながら,アンチセルは,明治政府や上司との確執が絶えなかったようで,道産ビールを飲むことなく,帰国したそうです。
アンチセルが道産ビールで喉を潤すことはなかった。見識や実力はあっても,自尊心が高すぎて組織から疎まれ,歴史から消されかけた男。何やら,ほろ苦い話である。



トーマス・アンチセル(米)
(1817年~1893年)

ビイルとゆう酒になる」
イワナイブリワリー&ホテルの売店で,クラフトビールを買いました。

帰宅後,クロポン(紫の丸が描かれている瓶)を飲んでみました。
黒ビールのコクと,すっきりとした喉越しが,程よく調和しています。
「クラフトビールを飲んでいる」
と実感できるビールでした。
(岩内町ふるさと納税の返礼品にあるので,興味がある方はどうぞ)
以上,3つのことは,岩内町郷土館で詳しく解説されています。
館長の言葉が良かったので,掲載します。

使命
「郷土館は單に祖先の文化を伝承する場だけでなく現在を通じて未来を創造する思索の場である」
館長
この他にも,岩内には,美味しい海鮮の店や老舗の餅屋,菓子店,佃煮店,岩内港を一望できるキャンプ場などがあります。
行く度に発見があり,味わいのある町なので,みなさんにも,ぜひ訪れて頂きたいと思っています。
(タイトル画像は,「いわないオートキャンプ場マリンビュー」で,キャンプをしたときに撮影した写真です)
