映画『ほどなく、お別れです』「どうせ泣かせにくるんでしょ」と身構えた私。期待以上の目黒蓮に完敗。
公開初日、期待と少しの「警戒心」を持って劇場へ向かいました。
テーマが「葬儀場」と聞いていたので、「はいはい、お涙頂戴のやつね」なんて、冷静な視点を保とうとしていたんです。
……結果は、完敗でした。
派手な演出があるわけじゃない。
大きな事件が起きるわけでもない。
それなのに、エンドロールが流れる頃にはハンカチびしょびしょ。
今回は、280記事以上スノ担として発信してきた私が、俳優・目黒蓮の凄みと、この映画がなぜ「心の奥の柔らかい場所」を突いてくるのか、その正体を解き明かしたいと思います。
いつのまにか「私の物語」になっている
この映画は、オムニバス形式でいくつかの「お別れ」が描かれます。
それが逆に、観る側の人生のどこかに必ず「刺さるフック」を作っているんです。
「天国でもおむつは必要」
事故で亡くなった妊婦さんの棺に、おむつを入れるシーン。
めめ演じる漆原が放った「きっと天国でも子育てにはおむつが必要だと思います」という言葉。それは単なる業務的なセリフではなく、失われた未来を肯定する、最大級の優しさでした。
親として、涙腺が崩壊した瞬間
闘病の末に亡くなった5歳の女の子のエピソード。
正直、親になってから「子供が先立つ話」は直視できないほど辛い。
お母さん役を演じた志田未来さんの演技が本当に素晴らしかった!
「泣く」というより「壊れてしまいそうな感情」がすごかった。
まだ自分が亡くなったことを理解できていない女の子に対して、美空(浜辺美波さん)が語りかける言葉。
「ちょっとだけ先に向こうの世界に行って、パパとママが来た時に、その世界のことを教えてあげたらきっと喜ぶよ」
そして漆原の「ママに褒められるのが、きっと一番嬉しかったんじゃないでしょうか」という言葉によって、お母さんがほんの少し前を向けたように見えたのが印象的でした。
俳優・目黒蓮が体現した「静かなる喪失感」
そして、物語の核心に触れる、漆原自身の過去。 新婚早々、不慮の事故で妻を亡くした彼が、なぜ葬祭プランナーになったのか。
「あ、食器洗ってる時間ない!帰ってからでいいか」
そんな、誰の日常にもある何気ない一言が、最期の言葉になってしまった残酷さ。
漆原の瞳に宿る、消えない哀しみと、それを包み込むような静かな佇まい。
目黒蓮という俳優は、セリフがない「間」でこれほどまでに語れるのかと、その表現力にまた涙が出ました。
「許せない自分」を許すための時間
最後に描かれる、美空の家族の物語。
ここが個人的に胸をえぐられた場面でした。
「あの日、手を放さなければ」という、数十年抱え続けたおばあちゃんの罪悪感。
それを責めることも許すこともできずにいたお母さんの葛藤。
この映画は「悲しみを消してハッピーエンド!」のような終わりではありません。
ただ、「悲しむための時間」を丁寧に用意してくれる。
「正解のない別れ」に無理やり答えを出さず、その人なりの形でお別れをすることを肯定してくれる。
だからこそ、観ているこちらの心が浄化されるような、不思議な余韻が残るのです。
大切な人に、今、伝えたいこと
鑑賞後、真っ先に浮かんだのは、大切な家族や仲間の顔でした。 「いつか言えばいい」と思っていた言葉が、実はとても儚いものだと気づかされます。
『ほどなく、お別れです』は、観終わってすぐに「面白かった!」と叫ぶ映画ではありません。
その後の日常の中で、ふとした瞬間に心に残り続け、身近な人を少しだけ丁寧に愛したくなる、そんな作品でした。
皆さんは最近、大切な人に「ありがとう」を伝えられましたか?
この映画を観た方、これから観る方、皆さんの「お別れ」に対する想いも、ぜひコメントで教えてください。
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