夕焼け物語 第1部 赤い秋 第6章:「星空のアイスキャンデー」を 観た母は 第1部最終章
──人生を語るとき、空が赤くなる
第6章:「星空のアイスキャンデー」を観た母は
──母との再会と再生
北関東に住むぼくは、97歳の母を東京の老人ホームに訪ねた。クルマで片道3時間のドライブだ。母は1年ほど前からその老人ホームに入居している。数カ月ぶりの訪問である。前回の訪問では、母はぼくの名前を思い出せなかった。
ぼくも介護福祉士だから、自分の働く施設の面会で、面会に来た息子さんが、母親に「誰だい?」と尋ねられ、驚きや失望、信じたくない気持ちを隠せないでいる場面に遭遇したりする。今回の訪問で、母の様子が変わっていても、ありのまま受け止めようとしていた。
介護施設では、入居者の容体が急変したり、転んで骨折したりすることがある。すぐに家族に事態を連絡する。家族によっては「なんでこうなる前に、もっと早く知らせてくれないんだ」「どうしてちゃんと見てくれなかったんだ。なんとかならなかったのか」と苦言されることもある。
高齢者は時間とともに身体の能力も体力も落ちていく。思考や記憶も低下していく。食事も受け付けなくなっていくこともある。それが自然なことで、しょうがないのだ。無論、施設として何らかの落ち度がある場合もあるし、「しょうがないじゃないですか」とは、お預かりしている以上、言うわけにはいかない。
入居者のご家族は、どうしても感情が先に出てしまうことがある。親の認知症の事実をどうしても認められない。「わたしの母が歩けないなんて、そんなことはない」運動能力の低下していることを、受け容れられない。介護職はプロとして対処する。まず状態や状況を正確に把握する。対策を決めてそれをスタッフ間で共有する。そしてご家族あるいは入居者の困惑とどう向き合うか・・・?
13時、定刻に到着。母は自分の個室で待っていた。直前に介護スタッフにぼくの来ることを伝えられていたのか、ぼくの姿を認めても驚くことはなかった。ぼくの名前が分かるかは、尋ねなかった。母は頭髪がほとんど白くなり、体全体が白っぽくぼんやりとした印象だった。精気がなく声が細くなっていた。以前の母は、よく通る高い声で話し、よく笑った。
ベッドに座った母のそばに椅子を引き寄せ、腰かける。次女の新婚旅行の写真を見せる。夏に子供が生まれることを話した。その説明が、頭の中に入っていかないようで、首をかしげている。次女の子供の頃の写真から見せれば、少しづつ次女の記憶、母の孫の記憶が蘇るのかなあ・・・しかし疲れさせるようで、写真をしまう。土産に持ってきた地元産のカステラを出して、分けてふたりで食べる。カステラを口にしても、ことばがない。母は今どこにいるのだろう。
棚にあったB4のファイルを開いてみる。塗り絵だ。色鉛筆で塗った花の塗り絵が何枚もあった。右下に母の名前が書いてある。スタッフの字だろう。「お母さんが塗ったの?」ぼんやりとした表情で微笑むが、ことばは出てこない。
ファイルをめくると、歌詞集が出てくる。いきなり母が、印刷された文字を声に出して読み始める。読み上げるうちに、やがてそれが歌詞だと気づいて、メロディーをつけて歌いだす。か細いけれど、音程のしっかりした、抑揚のある歌声になる。
母は、東北の田舎から上京して、幼稚園の先生をしていた。昭和30年前後の話で、保育士の資格などはなかったのかもしれない。母はどこで覚えたのかオルガンを弾いて、園児たちに歌や遊戯を教えていた。ぼくが誕生する以前、母がまだ独身の時代だ。
詳しい事情は分からないが、8人兄弟のうち、妹と弟と母の三人がそれぞれに東京に出てきて、なにかと助け合っていたらしい。ぼくも子供の頃、オルガンを弾きながら歌う母の姿を覚えている。
ファイルにあった童謡や懐メロを、ぼくは母と一緒に歌った。歌っている歌詞がわかるように、ぼくは指先で歌詞をなぞりながら一緒に歌った。
「青い山脈」「荒城の月」「リンゴの唄」「青春時代」「四季の唄」「母さんの唄」「ふるさと」・・・
”冬を愛する人は・・・根雪を溶かす大地のような ぼくの母親” と歌う。ぼくの頬を涙が伝った。
二、三十分歌っただろうか。前より母の顔に表情があらわれている。以前のような明るく抜けた笑顔ではないが、穏やかに微笑む。ぼくは持参したノートPCを開き、「星空のアイスキャンデー」の動画を何も言わず母の前でスタートさせた。
耳の遠い母のために、音量を大きくした。歌詞があれだけ読めたから、セリフの字幕も読めるだろう。母はじーっと子供のような表情で、PCの画面をのぞき込んでいる。主人公の少女時代の母が夜空を仰ぐ姿で動画が終わった。
「外に出るとね」母がしゃべり始めた。「夜空の星が零れ落ちそうでね・・・」両手で掌を上に向けて拡げて見せながら、母は私に語りかけていた。19年前ぼくが48歳の時、母が私に語ったくれた物語は、何も変わることなく、母の中に息づいていた。ぼくは深いため息をもらし母の声を、話す姿を受け止めていた。
1時間の面会時間が終わり、居室を出てエレベーターまでの長い廊下を、手押し車を押す母と並んで歩く。
「もう帰るの?」こわばりの解けた母の口から言葉がこぼれ出す。
「泊っていけば?」
「初めて来たんだよね?」
(どこに泊まれるんだよ、今日で面会は4度目だよ)・・・
母のチグハグな問いかけがうれしくて、おかしくて、笑いが込み上げてくる。母もうれしそうにぼくを見上げて笑みを返す。
エレベーターの前に着く。
「じゃ、またね」
ぼくはそう言うと、母と抱擁して別れた。
第1部「夕焼け物語 入門篇」終了
第1部のおわりに──真っ赤な空をみちくさしながら──
夕焼け物語とは何か。映画の精神カウンセリングのシーンが思い浮かぶ。患者が目を閉じて長椅子に寝そべり、背を向けて長椅子の後ろにいるドクターが、患者の話を傾聴する。その長い時間の過程で、患者の人生が再構築される。
夕焼け物語にもそれと似た作用があるのでは、と漠然と思った。この本、第1部では患者の話の代わりに、ぼくの人生の断章を綴ることになった。春夏の映像の表現者、秋の介護士の世界、夕焼けのみちくさ道中。読者の皆様が、ぼく個人の話を読み進めるうちに、ふと本を置き、ご自身の生きてこられた道のりに思いを馳せていただけたら、それがぼくの望むところかもしれない。世代も経験も多種多様な読者の皆様の内奥に、ご自身の過去が息遣いをうかがわせて立ち上がり、振り向けば真っ赤な夕焼け空。そんな思いに出会う読者がひとりでも多くいてくれたら・・・。それが、第1部を書いた目的だったと今感じている。
序で書いた通り、ぼくはこのところずっと、来る日も来る日も夕焼けに包まれた空間の中を、確たる行く先もなく散策している。これは比喩ではない。実際に肌で白い冬の季節の訪れを感じている。寿命時計が指し示す余命の時間を、残り少なくなった夏休みのように、愛おしく感じる。振り返れば楽しい夏休みだった。残りの休みをどうやって過ごそうか・・・そう思いを巡らす。そんな時空間にいるぼくの感覚を、読者の皆様に少しは感知してもらえたのか、あるいは全然届いていないのか。正直よくわからない。
『母・星空のアイスキャンデー』
▶ YouTubeでご覧いただけます:

👉 夕焼け物語/母/星空のアイスキャンデー
本だけでもこの物語は完結していますが、
映像として出会っていただけると、また違う“色”や“音”が心に浮かぶかもしれません。
次にお届けするのは、「夕焼け物語」第2部──
🎭「サンセットカフェ」
カフェという舞台で、多彩な登場人物たちが、
“夕焼け”について語り合う、対話篇です。
そしてさらに、その先には…
🚂「サンセットトレイン」
舞台は列車の中へ。
「夕焼け物語」は、ついに時空を超える旅へと出発します。
最後に、あなたへ。
この物語は、あなたの物語でもあります。
夕焼けの中で、何かを思い出し、
誰かの言葉を思い出し、
そして、自分自身の声と向き合う──
そんな瞬間が、あなただけの「夕焼け物語」となりますように。
第2部へ続く
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📢 お知らせ
『夕焼け物語:陽の落ちる前に、あなたに語りたい』は、加筆・再編集を経て書籍化されました。
日本語版(Kindle配信中/ペーパーバック10/5発売予定)
英語版 Sunset Stories: Conversations at the Edge of Daylight(Kindle/ペーパーバック配信中)
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