同情で繋がる関係は、相手の課題を奪うこと。
優しい人ほど
ここを履き違えがちなのですが、
相手が複雑家庭や悪い生まれ育ちの中で健気にやってきた人、
何かしら心に闇を抱えている人を
「可哀想だから」という理由で見捨てられないことは多いです。
きっと彼らに、他にも良いところはあるのだと思います。
ユーモアがあったり、
苦労してきたぶん気が利いたり、
話しやすかったり色々と理由はあると思います。
でも、なにか引っかかる。
一緒にいると、どこか振り回される。
だけど何かしら理由を付けて離れられないのは、「まあ根はいい人だし」と思いながらも
その根源には「可哀想だから見捨てられない」という同情心が強かったりします。
同情はつまり、情。
長く一緒にいればいるほど、
そして深く知っているほど
人間だから情が強くなります。
恵まれて育ってきた人間ほど、
「この人はなんか厄介そうだな」と感じたら
ドライに離れられたりします。
そういうのが上手な人って大体、
親や周りに愛されてきていて自己肯定感が高い。
自分が悪影響を受けそうな相手から、
自然とスっと引けるのですよね
私は、今思うと
可哀想な人ほどなかなか離れられませんでした。
もちろん性格自体が合わなかったら
仲良くなることもないのですが、
気が合った人が 可哀想な人ほど
嫌なことがあってもなかなか離れられなかった。
相手の弱みを知ってるからこそ、情けなのか。
周りからは「そんな人を相手にしてるなんて、優しすぎだよ!」と言われることも。
それってなぜか?
今思うと、自分も「可哀想な人」だったから。
可哀想な人って、
病気だったり障がいがあったりとか、そういう意味じゃなくて
「 傷付いているのにそれを隠して、明るく健気に振る舞い続けている人」
だったと思う。
そして今思うとまさにそれは自分だった。
そしてその人達と同じように、
自分も見捨てられたくない気持ちが人一倍強かった。
自分がストレスになる相手だったら、離れたらいい。
だけど、可哀想だからどこか突き放しきれない。
それは自分も同じように、見捨てられたくなかったからだと思う。
そしてその人たちを突き放して傷付けることで、自分も傷付くような気がした。
可哀想な親を突き放せなかったとか、
自分がそんな親から見捨てられたくなかったとか。歪な親子関係から生まれたアダルトチルドレン的な要素は、間違いなく大きいでしょう。
今でこそ「境界線が薄いから」とか「愛着障害」と言われるけれど、
やっぱり根本的に感性が優しいのもあると思うのですよ。
極端に言えば、
人類にとって戦争って辛いじゃないですか。
自分の国が噛んでいなくても。
そういう分断の波動って、元来苦しいもののはず。
そのエネルギーに対して、敏感な部分もあると思う。
突き放すことって、冷たいんじゃないか。
残酷なんじゃないか。相手を傷付けるのが、怖いとか。
でもそもそもがドライな人は、子供の頃から
依存的な親ともうまく距離取れたりするから。
根本的に優しいからこそ、
そんな親を受け入れて味方になってあげようとした。
結局は優しい証拠。
だからそんな自分を責めなくてもいいんだけど、
やっぱり際限なく可哀想な人全員を
無償で受け入れてたら、人間破滅するんですよ。(真っ黒な目)
私はそういう人間関係が重なったことも大きくて、うつ病になったので。
本当に、人生において関わる人間って選ばなきゃいけないんだなって
今になってやっと痛感しています。
もっと、お育ちの良い教育家庭みたいに
「お友達はちゃんと選ばなきゃダメよ!」って
言われたら違ってたのかなーなんて、思ったりもする。
優しさって本来素晴らしいことのはずなのに、
この世界では優しさを与える人を
本当に、選ばないといけない。
みんながバランス感覚持ってるわけじゃなくて
色んな人間が存在するから。
苦労して傷付いてきた人ほど、優しくなって、
人の傷にも繊細に気付いて、
際限なく受け入れて、消耗してしまう。
過去の自分がいたら……
もう…そんな人達よりお前の方がよっぽど大変なんだからほっとけーー!!!
可哀想な人ほど深入りするなーーー!
と、言いたい。
まあ、可哀想だなって思った時には
もうある程度 仲良くなっちゃってるからね。
可哀想な人も、本当に大変なら
プロの手を頼るべきなのです。
メンタルクリニックや、カウンセラー。
そして公共機関。
日本の福祉って意外と充実してますよ。
日本は、
カウンセリングに行く=すごい病んでる人
っていうイメージが根強くて
だから病んでる人は、友達に相談して
結果的に負担を掛けるようになってると思う。
もしくは誰にも言えないか。
そして自己中な人ほど、
際限なく無料で話聞いてくれる人を重宝して
フル活用してくるんで、
「でも家庭環境が苦労してて可哀想だから…」って聖母にならないでください。
そうやって深く同情してしまう人ほど、
自分自身が心を病んでいたりします。
そして優しい人ほど残念ながら
依存心の餌食になってしまいがちな世の中です。(辛いね)
もし本人があまりにも大変そうだったら、
「辛そうだね。クリニック受診してみたら?」
「カウンセリング受けてみたら?」と言ってみましょう。
向き合う気がない人はそんなこと言われても
流すと思うので、その場合はもう放っておきましょう。
自分は向き合う気がないけど、無料で話は聞いて欲しい!という人は
どんなに気の毒な事情があっても、関わったら消耗してしまいます。
自分に余裕があるならいいのですが、
たぶん同情で聞いてあげている時点で、
心に余裕無くなっているはずです。
ちょっとした愚痴大会で終わらず
自分が心を乱されたり消耗するなら、
必要以上に同情しないことが大切。
同情って実は
相手の課題を奪っているから。
自分がその人の壁打ちになることで、
問題を代わりに背負ってあげることで、
本人はその分向き合わずに済んでいるのです。
でもそれを自分が代わりに抱えて、
犠牲になるのはおかしな話です。
それは優しかったあなたが離れて、
初めて本人に気付く機会を与えられるかもしれない。
(たぶん、気付かない人は一生気付かないし)
だから可哀想な人から離れないことが美徳だと思わず、
自分が依存されている、利用されていると思ったらどんな背景がある人でもガンガン離れましょう。
(一時的に距離を取るでもいいけど、
粘着質な人は何度もしつこく話しかけてくるし
話し合いも難しいことが多いです。)
それが酷いことだと思わされてきた自分の方が、可哀想だし気の毒なのです。
自分の心を守るための選択は、
相手への酷いことではなく自分への優しさです。
(自戒もこめて…)
可哀想な人でも、自立し合えるのならいいのですが
お互いに心が病んでいたりするとそれはなかなか難しいです。
まずは自分の心を守ることを最優先に。
大変なのは、可哀想な人ではなく
可哀想な人にそこまで引っ張られててしまう自分です。❤️🩹
