「高峰秀子著『わたしの渡世日記(上)』(文春文庫)はメチャおもろい、それは高峰秀子の人間性がほとばしっているから」
これは高峰秀子の「回顧録」
「わたしの渡世日記」は高峰秀子のいわば「回顧録」です。それくらいの格調があります。
高峰秀子の感性、人間性がほとばしっていてこれほど面白い読み物はなかなかありません。
5歳で松竹蒲田の子役としてデビューし、昭和のはじめから昭和十年代を子役から娘役、女優となっていく高峰秀子を自身の口で振り返っていくのが、この「わたしの渡世日記」の上編に納められています。
映画が無声映画からトーキーへと変わる日本映画創成期の偉人たちが数々登場するのも興味が尽きません。
その中で家庭に恵まれない高峰秀子がどう思い、どう女優として成長していったのか、そのことが飾らない筆致の中に彼女の豊かな感受性とともに語られています。
子役は大成しないと言われますが、高峰秀子は大女優となり大成した、そのわけがこの上巻によくわかるように記されています。
豊富な写真も当時を偲ばせ、若き日の高峰秀子の愛らしさがわかる
初期の映画人、巨匠、大俳優、大女優あるいは世の著名人に可愛がられたことが挿入される豊富な写真によって理解することが出来ます。
そしてなにより、成長していく高峰秀子の愛らしさ、女性としての美しさを数々の写真によって観ることができます。
このこともこの本の余沢でしょう。
そして黒澤明との叶わぬ恋
ここでは一つだけ、内容を取り上げてみます。
それは高峰秀子17歳、黒澤明30歳のとき、二人は名画「馬」の製作中に恋に落ちたということが書かれています。
ただその恋はあまりにもはかない、幼い恋だった。高峰秀子の母親と東宝映画の組織によって未然に別れを余儀なくされます。
しかし、その恋から三十年以上を経て高峰秀子のその筆致は、心の底に残る恋ごころを切なく語り掛けてくれています。
あまりにも言葉の少ない恋が、その淡く本来恋がもつ本質を余すところなく表現しているように思います。
あの「黒澤明」が、30歳にもなっていた黒澤が、自分の恋をまともに表現することが出来なかった、と思うのは私だけでしょうか。
本当の恋とはやはりそういうものなのではないかとしか言いようがありません。
本欄で記事にした「高峰秀子ベストエッセイ」の中に「クロさんのこと」でも高峰秀子は再度語ってくれています。
その恋から30年以上が経った日に本当にそれ以来なのでしょう、恩師の葬儀で再会します。
そのとき、黒澤明が高峰秀子を眼に止めると、座っている高峰秀子の隣りに行き腰かける、しばし沈黙のあと、高峰秀子は黒澤の最新作を観た、と語り掛けるが、その会話もあれだけ言葉を駆使出来た黒澤にしてあまりにも少ない、、、、
黒澤は、高峰秀子への恋を30歳のときのそのままの形でずっと胸の奥に抱えていたのだと思います。
そして、それはもとより高峰秀子にとってもそうだったのです。
なんと麗しい恋なのでしょうか、、、、、
世の中にこんな恋があってもいい、そう思います。
