かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。
今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。
第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」Part 1
僕の住んでいた街は、どこにでも映画館があった。
封切館は繁華街に必ずあったし、弐番館、参番館でも繁華街の外れや、それこそ毎日の買い物に出かける商店街にもあった。
もちろん、封切館のようにスクリーンが大きいわけではなく、館内設備も古くて固い椅子はところどころ破れていたりする。
場所だって古いビルの地下で細い階段を降りていったり、ドブみたいな川のそばにあったり、立ちんぼとヤクザが屯するど真ん中にあったり、と必ずしも未成年が堂々と入れる映画館ばかりではなかった。
それでも、僕が(多少、怯えながらも)足を向けたのは上映する作品が魅力的だったからだ。
封切館では上映されないような、地味だけれど優れた作品や、気になっていたけれどつい見逃した映画、古い名作を上映することもあったし、それらのジャンルをまとめて独自の映画祭を催すところもあった。
通学途中の路線駅にあった映画館もそのひとつだった。
ただし、駅前にあったせいか、スクリーンこそ小さかったものの設備は比較的清潔で、学校帰りでも誰かに脅されることがなく、安心して入ることができた。
映画館の名前は「みゆき座」という。
中学、高校と続けていた剣道は全国大会の県予選、決勝で負けた。
同じ部員たちは大学の先輩に引っ張られてそれぞれ進学、中学の同級生も次々に大学を決めていく中で、僕はフラフラしていた。
強豪校の体育系体質にうんざりしていて、これをさらに4年間も続けるのは絶対に嫌だった。なんだか、人格が壊されていくような気がした。だから先輩からの誘いは全部断った。
かといって、高校3年間は部活漬けだったから今さら勉強したところで大学に入学できるほどの学力はない。
なんとなく、部員とも友達とも顔を合わせるのが辛くなり、僕は闇の中で光る別世界に逃げ込んでいった。
その日も、午後の授業が退屈そうだったので早退を決め込み、帰宅路線から途中下車して「みゆき座」に足を向けた。
その日、上映していたのは「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」。
1973年の作品だ。
当時、日本映画界は迷走していた。詳しく書けば何万字も必要となるのでここでは省略。とにかく僕が見たい日本映画は皆無だった。
だから上映作品が日本映画と分かった時、少しばかり躊躇した。
地元に戻って学生服をロッカーに隠してパチンコでもしようか、と迷ったけれど「みゆき座」の映画を選択するセンスが好きだったこと、これから映画館を出て地元に戻ったところで居場所がパチンコ屋っていうのもなんだか哀しかったので、とにかく観ることにした…。

Part 2に続く
