継続は力なり
小学生だったか中学生の頃だったのか、呼び方は覚えていないが 確か運動能力をテストする様々な項目が当時 存在していたように記憶している。50m走、握力、反復横跳びとかがあったと思う。そのなかに "立位体前屈" ってのがあった。
和多志は昔から體が硬く軟性に欠けている。この前屈をするとき指先が測定器具に触れることができないので本来の測定が不能。測定値には"マイナス"がつく。
體は柔らかいことに越したことはないが、硬くても日常生活を送る上で さほど不自由に感じることもない。なので学校での単なる測定のためだけにこの立位体前屈ってやつは存在していた。
今現在の和多志は、と言えば両手の掌を全面べったりと床につけることができるようになっている。ある時このことにふと氣がついたのだが、たしか4,5年程前だったと思う。測定することがなくなって以来、氣にしたことはなかったので自分でも驚きだった。
実は柔軟運動をこっそりやり続けてきた賜物と言いたいところだがそうではない。特別なんにもやっていないのだ。とにかく不思議だった。な、なんでだ…… 🤔🤔🤔
で、考えてみた。
昔は無かったが今はあるもの。
これはきっと..... 礼拝、かもしれん。
日々の礼拝と體の柔軟との関連なんて考えたことなんかなかった。動作自体も複雑でもなければハードでもない。けれども、確かにちょっとしたエクササイズにはなっているのかも、ねん。
礼拝時間は5分そこそこである。
立礼と腰を90度曲げる屈折礼 そのあとに平伏礼、座礼、それらで構成される1セットを複数回繰り返す。平伏礼は(土下座同様に額を床につけるので) 脳に酸素が行くから良い、なんてのも聞いたことがあるが真偽は不明。

頑張ってやろうやろうと若い頃に何度も試みたダイエットは、一切続いた試しがない。
礼拝は特段頑張ってやろうと思っているわけではない。が、知らず知らずのうちに継続してやっていることがもたらした(と思われる)今回の事柄であ~る。
読んでくださりありがとうございました。
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