【小説『われても末に』】2 希望
「アイナンの発掘調査に……?」
それを聞いた瞬間、オリバーの世界は一変した。
研究室の中は、本や論文で散らかっている。塔のように山積みになり、今にも崩れ落ちそうなほどだ。
その本の山から、担当のロゼ教授が顔を覗かせた。
「そうだ。君の研究テーマは『魔術と鉱物資源の親和性について』だろう?一緒に調査するアイナンの研究者の中に、王族出身の者がいる。黒青石を見せてくれる約束をしているんだ」
黒青石は、隣国の中立国、アイナン王国でしか採れない。
しかも、採掘できるのは王族だけだ。
その石を巡って、北と南は長く争ってきた。
文献では、何度も読んだ。だが、それを実際に目にした学者は、ほとんどいない。
「ぜひ、行かせてください」
ロゼ教授は、眼鏡の奥で微笑んだ。
「では、早速準備するといい。申し訳ないが、予約している馬車がもう一杯でね。馬を貸すから、現地集合でいいかな?」
「わかりました、教授」
オリバーは、期待に胸を膨らませたまま研究室を出た。
オリバーは今年で十九歳。
王府の学舎を卒業してまだ一年も経っていない新米の学者だ。今はロゼ教授の助手のような立場で、興味のある研究にかじりつく毎日だった。
出立の前日、研究もそこそこにオリバーは足早に家に帰ってくるや否や、自分の部屋でいそいそと明日のための荷造りを始めた。
すると、いつもより早く帰ってきた息子を見つけて、父が声をかけてきた。
「もう荷造りか?」
「はい、何だか落ち着かなくて」
「リベリオを出るのは、初めてだもんな」
「それだけじゃない。黒青石が見れるかもしれないんです」
オリバーの声は、無意識のうちに高揚していた。
「研究熱心だな」
「父さんの子ですから」
オリバーの父は、物理学者だった。
「また、お前は……」
父は、そっと微笑んだ。
そして、思い出したように、懐から何か取り出した。
「……そうだ。これを、持っていきなさい」
父が差し出したものは、玉佩だった。黒い石に、螺鈿細工の美しい紋様が施されている。手に取ると、不思議と冷たさよりも柔らかい温もりを感じた。
「母さんが亡くなる前に、お前が大人になったら渡すようにと、言われたんだ」
オリバーは、荷造りをする手を止めた。
「どうしたんですか、急に」
母は、幼い時に他界している。物心つく前のことなので、ほとんど記憶にない。だから、何を今さらと思っている。
父は言葉を探すように、視線を落とした。
「……お前に、話しておかなければならないことがある」
窓から差し込む夕日が、父の横顔を照らしている。オリバーは、父の方に身体を向けた。
「……確かなことは、何も言えない」
父はそう前置きしてから、続けた。
「だが——もしかしたら、お前は、私の子ではないかもしれない」
父の言葉が、意味を結ばないまま宙に浮いた。
——私の子では、ない。
その言葉が遅れて胸に落ちた瞬間、周りの音がすべて遠のいた。
「な……何を言っているんだ、父さん……」
オリバーは、自分の声が掠れているのに気がついた。
「これは、お前の出生と関係のあるものだと、母さんは言っていた。だが、それ以上のことは、私にもわからない」
玉佩に目を落とす。小さな葉のような形をした螺鈿の部分が、夕日に煌めいていた。
「アイナンは、リベリオよりも鉱物の研究が進んでいる。向こうへ行くついでに見てもらえば、何かわかるかもしれない」
オリバーは、父の顔を見た。鏡に映る自分の姿が脳裏に浮かぶ。
黒髪に黒い瞳の自分。
金色の目と褐色の髪の父――。
しかし、ずっとこの父を見て育ってきた。自分の目標だった。今までだって、これからだって。
オリバーは父の手を取った。
「父さん、話してくれてありがとう。でも、僕にとっては父さんはただ一人です」
父はオリバーの手をそっと握り返した。
夕日の赤い光が、玉佩を静かに照らしていた。
まるで、これから始まる旅路を見送る灯のようだった。
