【小説『われても末に』】3 手配書
――丁か、半か。
器を逆さにして、男が言う。中に入っている2つのサイコロ目の合計が、丁か半か。確率は、二分の一。マーシャルは、固唾を飲んだ。
「半!」
丁、と答えた者もいるし、マーシャルと同じように半と叫んだものもいる。男がそっと器を上げる。中のサイコロは、4と1を表に出していた。
マーシャルは、くそっと言って金を男の前に叩きつけた。
「ついてねえな。やめだやめだ、もう帰る」
「なんだ、マーシャル、怖じ気づいたか。次は10倍にしてやるぞ」
「うるせえ。もう、かける金がねえんだ」
「その、玉佩があるだろ」
男はニヤリと笑ってマーシャルの腰元を指差した。
「これはダメだ」
マーシャルは鋭い眼光を男に向け、螺鈿が装飾されいる腰元の玉佩に手をやった。周りにいた他の男たちが囃し立てる。
「母ちゃんの形見だもんなあ」
「おやっさん、許してやれよ。こいつはまだ、母ちゃんが恋しい年頃なんだ……」
男が言い終わらないうちに、マーシャルは乱暴に胸ぐらをつかんだ。
「その減らず口、舌を抜いてやろうか」
「まあまあ、落ち着け。わかったから」
器を持った男が宥める。マーシャルは、胸ぐらをつかんだ相手を横目で睨み付けると、突き放すように手を離した。
「マーシャル、お前金に困ってねえか?」
マーシャルは答えない。
「お前の親父が、稼いできた金のほとんどを酒と女に使っちまうって話だが?」
マーシャルは、無意識に拳を強く握りしめた。
「昔は腕のいい剣士だったのになあ。ここ数年、どうしちまったのか」
マーシャルの父は、ゾルガ王国の王直属の護衛を務める武官だった。武人が多いゾルガ王国で、王直属の護衛を座を獲得するのは容易ではない。17歳のマーシャルにとって、父は誇りだった。
ところが、ここ数年様子がおかしいのである。息子のマーシャルの顔を見るたび、不機嫌になる。外でも家でも酒をあおり、息子に手を上げることも少なくない。妓楼に入り浸っていることもある。剣士の腕は鈍り、素行も荒れて、ついには降格された。
「お前には、関係ないだろ」
「なあ、心配して言ってやってるだけだぜ?」
そうだ、と男が懐から紙を取り出して、マーシャルの前に広げて見せた。
「これ、知ってるか?」
マーシャルは、紙を見た。手配書だった。
――アイナン王国のイリア王女、行方不明。生死を問わず、保護したものには金500万を与える。
「アイナン王国の王女……。ゾルガまで来るのか?」
周りにいた男たちがざわついた。それがな、と男は声を低くした。
「可能性はなくはないさ。隣国だからな。さらに、ここからが重要なんだが……」
男は、もっとこっちに寄れと手招きした。マーシャルと男たちが額を寄せ合う。
「生死を問わず……。ここさ。保護するっていうのは表向きの話だ。本当は、殺してもいいっていう噂だぜ」
どういうことだ、と誰かが押し殺した声で言う。
「書面に明記はできねえよ。アイナンとの揉め事に繋がりかねない。しかし、このことはアイナンに婿に行ったグロス様と、リリカ様が仕組んだことらしくてな。イリア王女の北の国への婚姻を潰すための作戦さ」
なるほどな、と誰かが言う。
「イリア王女が北に嫁いだら、ゾルガにとっちゃ脅威だよな」
「戦か……?」
「やってやろうじゃねえか」
男たちが口々に言うのを、マーシャルは静かに聞いていた。手配書に描かれた少女の瞳がこちらをじっと見つめているような気がした。
「こいつを殺して手柄をたてれば、親父は戻ってきてくれるだろうか……?」
誰に言うでもなく、マーシャルは呟いた。
一瞬、周りが水を打ったように静かになった。
「……さ、さぁ、そいつぁわからねえが……」
器を持った男は、若干たじろいだようだった。
マーシャルは、手配書をぐしゃりと掴み取った。
「もらうぞ」
懐にしまうと、立ち上がって出入り口から出ていった。おい、と後ろから声がしたが振り向かなかった。
風が冷たい。空を見上げると、夕日が屋根の向こうに沈もうとしていた。梅の花の香りが風に乗ってかすかに届く。頭の高いところで結んだ長い髪が、風に静かに揺れた。こんなに穏やかなのに、胸の内側だけが落ち着かなかった。
――梅の香にほふ夕暮れぞ
亡くなった母の声が甦る。自然と、玉佩に手が伸びる。そのまま、腰に差した剣の柄に触れた。幼い頃から父親に鍛えられて、自分も剣術を身に付けている。人を斬ったことはない。その想像だけで、喉の奥がひくりと鳴った。
しかし、父のためなら……。
また、昔のように誇りを取り戻してくれるなら……。
マーシャルは、暗い夜道を、振り返らず駆け出した。
