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御巣鷹山墜落事故から40年・日本航空安全啓発センターを訪問して

まだ自分が4歳の時の出来事でした。

そんな小さな頃のことにもかかわらず、あの時テレビから流れてきた異様なまでの物々しさと緊迫感は、今は建て直されて跡形もない実家のリビングの光景や、いつもと違う様子でブツブツ言いながら食い入るように映像を見る両親の姿とともに、おぼろげながらも記憶に焼き付いたまま離れていきません。カメラを持って右往左往するマスコミ、画面に映る無惨に焼けただれた山肌、ヘリで釣り上げられていく生存者の姿――これは「とてつもないことが起こった」と、さすがに子供心にも分かります。
その後も毎年8月12日になればどこかのチャンネルで特番が組まれ、それを目にするたびに事故の記憶を呼び起こすことになり、まるで印鑑を何度も同じ場所に押し付けるかのごとく脳裏に一層深く刻まれていきました。

私は子供の頃、三度の飯より飛行機が好きというくらいの航空ファンで、鶴丸を描いた日航のジャンボ機が大好きでした。堀ちえみが体当たりで演じた「スチュワーデス物語」の再放送をよく見ていて、それが影響したのかも知れません。もう少し身体が丈夫で理系に強かったら、絶対にパイロットかキャビンクルーを目指していたでしょう。残念ながら天はそういう道を開いてくれませんでしたが、大人になって生活に少し余裕ができてきた頃に日本航空のマイレージに登録し、乗務員ではなく一乗客として日本や世界の各地を日航機で旅するようになりました。
そんな筋金入りの「赤組=JALファン」である私にとって、やはり御巣鷹の惨事は本当に胸の痛い、決して避けては通れない出来事です。

学生時代からJL123便に関する資料や書籍には多く目を通してきましたから、一通りの知識や情報は持っていますが、以前からこの事故に関する怪しげな風説が流布していることに強い違和感を覚えていました。近年、それが荒唐無稽な「陰謀論」にまで発展していく様を見るにつけ、私は言い知れぬ憤りを抑えることができません。
なんといっても、その内容のお粗末さが度を超えています。例えば自衛隊が訓練中にロケットを誤射したとか、何者かがトロンOSを潰すために技術者もろとも抹殺しようとしたとか、証拠隠滅のために自衛隊が現場で火炎放射器を使ったとか、SF話としても「稚拙」としか言いようのないひどい内容であり、果てはその手の書籍が全国学校図書館協議会の推薦図書にまでなっていることを知って、もう唖然とするしかありませんでした。
こういう「陰謀論」で面白がったり泡銭儲けを狙ったりするのは、事故で犠牲になられた520名の方々や、命がけで救助に当たったすべての関係者の方々を冒涜するものに他なりません。

40周忌を前にして123便の一件に再び注目が集まる中、ゴールデンウィーク明けのある日、私は羽田の第1ジェットハンガーに併設されている「日本航空安全啓発センター」を訪問する機会に恵まれました。
ここの見学予約を取ることは不可能に近いほど難しいのですが、123便に関するWEBニュースを見た後、施設のことが気になって予約サイトを覗いてみたら、奇跡的に1名分だけ枠が空いている日を見つけたのです。次いつ取れるか分かりませんから、すぐに押さえました。

当日は身なりを整え、心して整備場に向かいました。
ものすごく緊張しました。520人が亡くなった機体の残骸を前にして、平常心を保てる自信は到底ありません。恥ずかしながらゲートを抜ける前から、どきどきして冷や汗が出ました。
見学はアテンダーの日航社員が解説を加えながら、誘導に従って一つ一つの資料を順番に見て回るという形です。メインフロアに入る前に、日航が1951年の創立以来、経験してきたすべての事故の概略を聞き、この施設が「二度と死亡事故を起こさない決意」のために創設されたことを知らされます。

そして、いよいよ機体の残骸と対面。
絶句しました

「遺品」という展示の性格上、写真撮影は当然ながら厳禁です。

海から引き上げられたボーイング747の巨大な垂直尾翼。よく見ると、ところどころ外皮からリベットが抜け落ちています。これは、圧力隔壁が破裂して空気が吹き出した際、内側から押されて吹き飛んだものです。圧力隔壁破壊説を裏付ける重要な証拠の一つです。
オレンジ色に塗られたコックピット・ボイス・レコーダー(CVR)とフライト・レコーダー(DFDR)つまり「ブラックボックス」も現物が展示されていました。CVR音声は非正規ルートでマスコミに流出していますが、日航としては法律に従い「音声非公開の原則」を貫いているため、クルー同士の会話を紹介するにあたっては声優さんによる朗読で再現していました。
肝心の圧力隔壁の本体はすべて保存されています。その裂けてひしゃげたお椀型の姿は実に痛々しく、無言で鎮座しながらも何かを訴えかけているようでした。520名の命を奪った不気味な破壊の痕跡。その裂け目の一部から、メーカーのボーイング社が犯した圧力隔壁の修理ミス跡(1枚の板を誤って2枚に切り分けて貼ったもの)がはっきりと見て取れます。なお修理ミスの部分に関しては、実物と同じ構造の金属部材を模型として用意し、訪問者が手で触れて確かめることができるよう工夫されています。
最も強烈な印象を残したのは、犠牲者の方々が実際に着席されていた座席の残骸です。骨組みが飴細工のように曲がり、文字通りズタズタになった前部スーパーシート(現ファーストクラス)に続き、それよりは幾分ましながらもやはりメチャメチャな中央部座席、そして比較的痛みの少ない後部座席。破壊の度合いは、そのまま乗客が受けた衝撃の違いを表しています。
ベッタリと黒ずんでいるのはまさしく血痕です。それに気づいたとき、私は血の気が引き、息が詰まりました。どうしようもない悲惨さに、涙を抑えることができませんでした。
マスコミで紹介されることも多い「搭乗者の遺書」も展示されていました。突如として突きつけられた死の可能性を前にした最期の言葉。踊り狂った字は、それだけ機体が激しく揺れながら飛んでいたことを意味します。どんな思いで言葉を綴ったのか――亡くなった方の「生の声」に接し、ただただ泣くしかありません。

凄まじい展示内容の重さ、資料の豊富さもあり、90分の見学時間はあっという間に過ぎ去りました。参考書籍のライブラリーには貴重なものがたくさんありましたが、目を通している時間はありませんでした。
520名の死の痕跡は、無限に等しい強烈な重圧をもって私たちの目前に迫ってきます。この世に生きることの意味を否応なしに考えさせられます
人によっては耐え難いショックを受けるでしょう。

面白半分で気楽に訪問できる場所ではありません
それでも私は機会があれば、また訪問して学ばなければならない、再び向き合わなければならないと強く思いました。

あえて厳しい言い方をさせてもらいます。くだらない「陰謀論」を吹聴している愚か者たちは、すぐさまこの場に行って犠牲者の声なき声に耳を傾けてくるべきです。この鎮魂の場に足を運び事実そのものに向き合えば、安っぽいインチキ言説などすべて吹き飛びます。
何より、残骸の前で犠牲者と関係者に謝罪してほしいものです。

それにしても、日航の熱意には頭が下がります。
自社の「汚点」ともいえる事故の歴史を一般に広く公開し、絶対安全の誓いを立てるという試みは、世界的に見ても類を見ないのではないでしょうか。事故のことなどイメージダウンに繋がるから早く世間から忘れ去られてほしいと願うのが普通でしょう。莫大な費用をかけて事故記録を保存・公開する日航の取り組みは、そういう発想の対極に位置するものです。
2023年1月2日、日航の最新鋭エアバス機が着陸時に海上保安庁の航空機と衝突し、機体全損の憂き目に遭いましたが、全員脱出に成功し死者はゼロでした。海外メディアはこぞって「奇跡の生還」と報道しましたが、安全啓発センターを訪問したとき「あの正月の事故で人命が救われたのは、こういう誠実な取り組みが実を結んだ結果だ」と心底思いました。

まもなく私たちは40年目の8月12日を迎えます。
昨年から今年にかけ、世界では重大な航空事故が相次ぎ、多くの方が亡くなっています。本当に残念で残念で仕方ありません。
今日も安全啓発センターに眠る123便の残骸は、空の安全の実現を私たちに強く訴えかけています。その声に報いることこそ、亡くなった方々の霊をいやし、痛ましい犠牲を明日へと活かすことに他ならないのです。

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