【劇場版考察3】MAV戦術の存在意義を考える
前回の記事に少し触れたが、MAV戦術には欺瞞の匂いがある。
本作で、MAVはなぜ設定されたのか。作中で、MAVはどういう意味を持っているのか。これは多分、鶴巻監督の「ニュータイプをポジティブに描きたい」という部分とも関わっていると思う。
今回はそれについてもうちょっと説明し、深堀りしてみる。
■「NTは優れた兵士である」?■
前回の記事で触れたが、鶴巻監督は本作で「ニュータイプをポジティブに描きたい」のだそうな。それについて自分は、過去のシリーズ作品のほとんどが、ニュータイプを戦争の道具としてしか扱ってこなかったことがネガティブな描写となり、やがてテーマとして扱われなくなったと指摘した。
では、そもそも何がネガティブの始まりだったのだろう?
79年の「機動戦士ガンダム」(以下「原作」)39話で、フラナガンはシャリア・ブルをサンプルとして、ニュータイプ(以下「NT」)能力を研究してギレンに報告していた。シャリア・ブルはギレンとの謁見の際にそれを見せられている。一方、「Beginning」ではシャアを研究対象として同様のものが作成され、フラナガンはまずシャアに見せている。

「Beginning」作中では、実戦におけるNTの能力として、予測射撃や、亜光速で飛来する光学兵器を回避する能力などが指摘されていたが、これはほぼ普遍的にNT兵士にはこのような能力がある、と期待できるものだ。その後は更にサイコミュによる遠隔兵器の運用が加わり、キシリアがNT部隊創設を考えるようになるわけだが…
この時点で立ち止まって注目すべきことがある。
それは、このフラナガンのレポートが持つ歴史的意味だ。おそらくフラナガンのレポートは、ジオンの戦争指導者たちに「NTは戦場において優れた兵士になりうる事実を教える」ことになった。
ここで私達は「架空戦記」であることを踏まえて、ひとつの先入観を棄てねばならない。それは「NTは優れた兵士である」という、ファンが当然に持っているこれまでの知識だ。
違う。この世界ではまだそうではない。
このフラナガンのレポートが上にあがるまで、「NTは戦場で優れた兵士だ」なんてことは、正式には(ジオン軍的には)認知されていない。わかりやすく極論で言い換えよう。もしかしたら「このレポートがなければ、ジオン軍の基本方針において、NTは単なる戦場の兵器になどさせられなかった」のだ。
つまり、このフラナガンのレポートこそ(ジオン軍において)その後のNTの悲劇的な歴史の始まりなのだ。だからこそ、フラナガンがシャアにあのレポートをザビ家より先に見せたことは大きな意味を持つ。わかるだろうか?
ファースト劇場版3作目、ア・バオア・クーでのアムロとシャアの対決の時、シャアはアムロをこう詰った。「君は自分がいかに危険な人間か分かっていない。 素直にニュータイプの在り様を示しすぎた」。アムロはNTが優れた兵士であることを、あまりにも露骨に示しすぎたということだ。アムロが戦場で生き延びるために、そのNT能力を全解放して殺して殺しまくったことは、結果としてはNTの可能性を限定し、NTの未来を閉ざす行為だった。シャアはそれを非難したのだ。
これは逆に言うと「NTが優れた兵士であることを露骨に示してはいけない」ことがシャアにはわかるということだ。
彼の洞察力は「Beginning」の世界においても同じだろう。すると、フラナガンとシャアには、あのレポートからNTが兵器にされる未来が推察できたのではないだろうか。その可能性になにかの手を打てたはずだ(あるいは、あのレポートはそのまま上に送られてはいないかもしれないが)。
そうして編み出された「NTの力を隠すための建前」が「MAV戦術」ではないだろうか?
■MAV戦術は「煙幕」■
どう考えても、MAV戦術はNTには不要な戦術論だ。
NTは単身でも亜光速のビームを避けて予測射撃をする。敵の位置を、急所を、正確に予見する。有視界戦闘で先制攻撃をかわされたら困るから2機一組でかばい合う…なんていうが、その懸念は、先制攻撃を必中してくるNT兵士にはほとんどないのではないか。
だが、先述の通りシャアにはNTの実力を隠したいという気持ちがあったと仮定する。そのうえで、シャアとシャリア・ブルがペアで作戦行動をしていたのは事実だった。

するとこう推理できる。戦場におけるNTの真の力を隠蔽しようと考えたふたりは「勝ちの固いMS戦術」を編み出した。「自分たちが生き残って勝利したのはNT能力のためではなくMAVのおかげである」という「物語」をつくったのではないか。
MAV戦術の理論は、戦域を俯瞰できるふたりのNTによって実戦の中で組み立てられたものだから、本当に有視界戦闘に突撃する一般兵…ノーマルタイプには有効でかつ説得力をもっていたのではないか。それはNTの力を過小評価する効果があったのではないだろうか。
ソドンのブリッジクルーであるコモリですらNTの実存を疑っていたように、NTの真偽を疑う認識は0085時点で軍内部にさえある。ソドンにシャリア・ブルやパイロットであるエグザべがいて、秘匿のサイコミュ兵器であるジークアクスが搭載されているにも関わらず、だ。つまり「ジークアクス」の0085においては、軍内部においてさえ、NTは都市伝説ならぬ「戦場伝説」レベルなのだ。そしてコモリはシャリア・ブルからMAV戦術の説明を受けてもいる。これはMAVはNTの実存をごまかすための煙幕であることの象徴的な演出ではないだろうか。軍内のNT兵士に対する認識がこのような程度にとどまっているのは、おそらくシャアとシャリア・ブルの企みが一定成功を収めたからだろう。
原作を思い出して欲しい。ホワイトベースのクルーはマチルダから初めて連邦軍内に「ニュータイプ」なる概念が漂っていることを聞かされる。それは「超能力のようなもの」だと。それにブライトらは懐疑的だった。おそらく本作の0085のジオン軍のムードは、ちょうどあのくらいの認識なのだろう。一方で、フラナガンスクールのようなNT育成の民間機関は存在しているから、この世界では、NTという概念や実存は、肯定する人と懐疑する人が混在する、旧人類がニュータイプという存在をはっきり知る直前の「これからの世界」なのではないか。
だが、この仮説にはひとつ大きな穴がある。
ザビ家のトップはフラナガンレポートを見ているはず。フラナガンが改竄しない限りは。いくら現場で戦術論を吹聴したところで、上層部まで騙すことはあまり現実的ではない。そしてサイコミュ兵器は実戦投入されている。
ということは、戦中か戦後か、いつの時点からはわからないが、NTの能力を隠匿したいというシャアの思惑に協力している上層部の人間がいるのだろう。それはやはり、NT部隊創設に積極的で、シャアに命を救われた形になったキシリアあたりがバックについて、MAV戦術論の吹聴に協力したのではないだろうか。これには、NT兵士が政治的・軍事的な切り札になると考えたキシリアの、ギレンに対する政治的駆け引きだったかもしれない。
ただ、表向きはサイコミュ兵器が禁止され、ジークアクスのようなサイコミュ兵器の研究開発は秘密裏に双方で行われている。という世界情勢を見ると「NTが戦場の脅威であること」を隠しているのは、もしかしたらジオンと連邦が談合した、もっと別次元の大きな陰謀かもしれないが。
■NTはペアでこそ機能する■
鶴巻監督は、NTはアムロとララァのように、感応し合うペアでこそ成長し真価を発揮するものである、という主旨のことを述べている。そのような2人1組のNTのためにMAVという設定を作ったことをほのめかしている。
とすると、MAV戦術には、作劇上、NTを演出するために機能する別の意図がある、と考えなければならない。というかそちらのほうが本当の主旨だろう。
そこで、先述したことは別に、MAVが秘めているNTにとっての意義を考えてみる。
先述の通り、NTにMAV戦術は不要だ。また、シャアもシャリア・ブルも、戦場で連邦軍のNTと交戦はしていない(コンペイトウでのアルテイシアからの奇襲を除けば)から、MAV戦術は「対NT戦」を想定した戦術論でもない。またそうであったとしても実戦検証がされていないから、有効かどうかわからない机上の空論だ。
するとシャアとシャリア・ブルにとってのMAV戦術の存在意義は「ペアリングによるNT能力の発現」や「ペアでのNTの運用」というレベルまで単純化される。ペアで兵士を運用できるという事実そのものにこそ狙いがあったとしたら、シャアとシャリア・ブルはその2人の間に生まれるかもしれない「感応」に可能性を感じていた可能性が高い。

シャアとシャリア・ブルが「NTによる人類の革新と新秩序」と夢見る同志であるなら、MAVによって感応し合うペア=NTを発見し、軍内部に同志を増やす活動に利用することが考えられる。NTの感応は、キリシアのような一般人には認識できない心と心を直結する意志の共有であるから、理屈の上では、密かにNT同士がネットワークを構築していく。漏洩のない地下組織の編成も可能になる。
■「本物のMAV」とは?■
ところでハロはマチュにとってのシュウジを「本物のMAV」と評した。
ハロの来歴やどういう目的のロボットなのかはさておき、「本物のMAV」とはどういう意味だろう。MAVには本物と偽物があるということだろうか。鶴巻監督はこの作品には真偽というテーマが一貫しているということを言っているので、多分そういうことなんだろうが。
MAVが本物であるとはどういうことか?
素直に考えると「本物」は、2人のNTの相性が完璧であることを指していると考えられる。先の記事で自分はそれを「キラキラが見える組み合わせ」ではないかと推理した。つまり原作のアムロとララァのような運命的に相性が最高の組み合わせ、ということだ。もちろんこれはゼクノヴァを起こせる組み合わせ」でもあるだろう。
ところで、シュウジはマチュと出会う以前にもキラキラを見ている。ではそれは誰と見たのか。一人で見たものなのか。という疑問が出てくる。先日の記事で書いたように、自分はそれを見せたのはおそらくララァではないか、と推理しているが、それが誰であったとしても「シュウジと誰か」「シュウジとマチュ」というふたつの組み合わせで共にキラキラが見えたのなら、キラキラは必ずしも特定のパートナーとに限って見えるものではなく、本質的には相性と能力の問題と考えられる。また、一方がキラキラの見えるNTだと、相性さえ良ければ、感応した相手をキラキラが見えるまで能力を引き上げる可能性もあるだろう。NTが感応によって相手の眠っていた能力を開花させることは過去の作品で描かれてきているからだ。つまりNTは(MAVによって)あたかも感染するように広がっていく可能性がある。
つまりMAVという制度は、軍内部のNTの発掘だけではなく、能力開発にも寄与していることになる。これもシャアとシャリア・ブル、フラナガンの狙いだったのかも。
そしてそれは、ゼクノヴァを起こしうるNTのペアを発掘する、という側面もある。NTを兵器として活用する事を考えている者からすれば、そういう意味もあるのかも知れない。
■まとめ■
以上をまとめると、MAV戦術の目的は以下が考えられる。
「NTではなく、MAV戦術が優れている」という物語でNTの実力を過小にして隠す情報工作=NTの兵器化の阻止。
NTの発現を促し、NTを増やし、軍内部にNTのネットワークを形成する組織工作の一環。
キラキラが見えるほどのNT能力の開発。
ゼクノヴァを起こすペアリングの発掘。
やはりこの作品は、NTが原作とは別の可能性を模索する舞台が整えられているように思うのだが、どうだろうか。
(2025/02/10 初稿)
(2025/02/11 加筆。一部修正)
(2025/02/12 少し加筆、フォーマットを調整)
(2025/04/26 画像、キャプション追加)
(2025/05/27 改題)

