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俺に敵なんかいない【ヴィンランド・サガ #名言ノート93】

今回紹介させていただく名言はこちら!

俺に敵なんかいない

幸村誠先生作『ヴィンラド・サガ』というマンガからの言葉です。主人公のトルフィンが言ったセリフです。

全文はこちらです。

アンタ方とは今日会ったばかりだ

なんの恨みもねえ

なんで俺たちが殴り合わなきゃいけねえんだ

アンタ方はオレの敵じゃない

ここだけ切り取ると、主人公のトルフィンは戦いを好まない博愛主義者のような印象を受けるかもしれません。けど、そんな単純な話ではありません。



ヴィンランド・サガってどんな話?

『ヴィンランド・サガ』は、ヴァイキング時代を舞台に、復讐に燃える少年トルフィンが、様々な出会いや経験を通して、暴力の虚しさを知り、真の平和と「本当の戦士の道」を求めて成長していく壮大な物語です。

『ヴィンランド・サガ』は、11世紀末から12世紀初頭のヴァイキング時代を舞台にした歴史アクション漫画で、アニメ化もされています。

物語は、北海最強と謳われた元戦士の父・トールズを持つ少年トルフィンが主人公です。幼い頃、トルフィンはヴァイキングの傭兵団を率いるアシェラッドによって父を殺され、その仇を討つためにアシェラッドの部隊に身を置き、戦場で腕を磨いていきます。

物語の序盤は、トルフィンが父の仇であるアシェラッドへの復讐心に燃え、戦場で短剣を振るう姿が描かれます。

しかし、アシェラッドとの出会いや、デンマーク王子クヌートとの関わり、そして奴隷としての生活を経て、トルフィンは復讐だけでは満たされない虚しさを感じ、「本当の戦士」とは何かを模索するようになります。

暴力や争いの連鎖から抜け出し、争いのない理想郷「ヴィンランド」を目指すという、非暴力の思想へと変わっていくトルフィンの精神的な成長が大きなテーマとなっています。


復讐編

主人公であるトルフィンは幼くしてヴァイキングに父親を殺されています。トルフィンは己の意志で復讐を決意して、なんとひとりでそのヴァイキングの船に残り、復讐を誓ったヴァイキングの統領とともに生活を送るようになります。

ヴァイキング側からしたら、その場で殺してしまってもよかったのですが、面白半分で放っておくことになりました。無視してれば勝手にどこかのタイミングで死ぬだろうという判断をしたのです。

しかしトルフィンは敵であるヴァイキングたちの中に紛れて、己もヴァイキングの一員として過ごしていくことになります。トルフィン本人としてはヴァイキングの仲間になった意識はなく、父の敵である、ヴァイキングの統領であるアシュラッドから離れないように勝手について行っているだけ。という意識でした。

実際トルフィンは、アシュラッドに何度も決闘を挑んでいます。カタキをとるといっても話をそう単純ではなく、トルフィンはあくまでも『戦士』として父親のカタキをとると心に決めていました。トルフィンがアシュラッドの船団に残り、手柄を上げ続けるのはあくまでもアシュラッドに決闘を申し込むためだけです。

決闘を申し込むためにはアシュラッドから言い渡された無理難題をクリアする必要があって(例えば敵地に単身で乗り込んで親玉の首を取ってくるとか)、トルフィンはその無理難題をクリアするためにヴァイキングの兵士としてどんどん腕を上げていきます。こうして、トルフィンとアシュラッドの奇妙な共闘関係が構築されていきます・・・。

ヴァイキング側からしたら、トルフィンはしだいに『便利なコマ』として認識されるようになっていきます。父親のトールズ譲りの戦闘センスの良さと、敵であるアシュラッドに決闘を挑むために無理難題を課せられてもそのたびにクリアしてくる使い勝手の良さ・・・。アシュラッドは統領でありつつも格闘センスも抜群なため、たとえ決闘が行われたとしても直情的に突っ込んでくるトルフィンに決して負けません。

作中では明記されていませんが、トルフィンはアシュラッドに対して『父性』すら抱いていたのではないかと思います。

そんな歪み切った関係にも終止符が打たれることになります。詳しく書くとネタバレになってしまうので避けますが、物語の途中でアシュラッドは自らの選択で命を落とすことになります。

『ヴィンランド・サガ』におけるアシェラッドの最期は、物語の大きな転換点でした。

これまで『アシュラッドを殺す』ことだけを考えて生きてきた主人公のトルフィンは、人生そのものの目標を失ってしまいます。これまで復讐鬼としてバキバキにきまりきった目をしていたトルフィンでしたが、完全に無気力な人間になってしまい、流されるまま奴隷としてとある農場で働かされる生活を送るようになります。


農場編(奴隷編)

『ヴィンランド・サガ』の農場編(奴隷編)は、物語の大きな転換点となる重要なパートです。アシェラッドの死後、復讐の目的を失い、深い喪失感に苛まれた主人公トルフィンが、奴隷として生きる中で「本当の戦士」とは何かを模索し、非暴力の道を歩み始めるきっかけとなる物語が描かれます。

農場編(奴隷編)は、トルフィンが肉体的・精神的に大きく変化し、復讐の呪縛から解き放たれ、「復讐鬼」から「本当の戦士」へ、そして最終的には「探検家」「開拓者」へとその役割を変えていくための、非常に重要な準備期間として位置づけられています。暴力と殺戮が当たり前だった世界で、非暴力の道を選び、新たな価値観を見出していくトルフィンの姿が、この章の最大の魅力です。

トルフィンは、同じくヴァイキングの襲撃によって奴隷となった青年エイナルと出会います。エイナルは、戦争によって家族を失いながらも、前向きに生きようとする実直な性格の持ち主です。

二人は共に広大な森を開墾し、畑を作るという過酷な労働に従事します。ケティル農場の主であるケティルは、開墾した畑の収穫額が自身の奴隷としての値段を上回れば自由を与えるという条件を提示します。

この共同作業を通じて、トルフィンはエイナルとの間に友情を育み、それまでの戦場での生活とは全く異なる、畑を耕し、作物を育てるという穏やかな日常に触れます。

戦いしか知らなかったトルフィンは、当初は無気力で、心に空いた穴を埋められない状態でした。しかし、エイナルのひたむきな姿や、農場の人々との交流、そして過去の夢の中でアシェラッドと対話する中で、彼は「本当の戦士とは、剣を振るうことではない」という考えに至ります。

トルフィンは、争いを避け、人を傷つけないという誓いを立て、精神的に大きく成長していきます。

その頃、かつてアシュラッドの元でヴァイキングの一味として生活していたころに出会っていたデンマークのクヌート王子は、父スヴェン王の死を経てクヌート王となっていました。独自の「楽土建設」の思想を抱き、その財源確保のためにケティル農場の接収を目論みます。

クヌート王の軍勢とケティル農場の人々との間で戦いが勃発します。この戦いの中で、トルフィンは再び暴力の渦に巻き込まれそうになりますが、彼は「剣を持たずに」この争いを止めようと奮闘します。

この衝突を通じて、トルフィンはクヌートと再会し、彼らの目指す「楽園」が、異なる形であることを認識します。最終的には、トルフィンの非暴力の意思と、クヌートの変化が、戦いの終結に繋がります。

農場編(奴隷編)のクライマックスとして、トルフィンがクヌート王への拝謁を申し出るシーンがあります。

トルフィンは、クヌート軍の近衛兵のドロットの拳を100発耐えることができれば、クヌートへの拝謁が許されることになりました。軍隊側からしたら、絶対に勝てるとわかりきっているつまらない戦場でぽっと発生した余興みたいなものでした。

もちろんこのイベントは軍隊側からしたら正式なものではなく、にふと与えられたお遊びみたいなものです。トルフィンは多くのクヌート軍に輪の形で囲まれ、その中の一人から100発耐えてみせるという無理難題を一人で耐えることを申し出ます。

誰もが数発で終わるだろうと予想していましたが、トルフィンは100発を耐えきって見せます。最初こそ

「4年ほど前、短い間でしたが王陛下の近衛を務めておりました。王陛下にご確認を」

と敬語で相手に敬意を示す態度をとっていたトルフィンでしたが、終盤は一方的に殴られているという状況にもかかわらず『スゴみ』を見せつけて相手の軍勢を驚愕させます。

なるべく相手の感情を逆立てないよう気を使っていたトルフィンもさすがになん十発も殴られてくるとテンションが上がってきて

あと68発とっとと片付けろ!!ヒマじゃねンだ人を待たせてンだオレァよ!!

ですからね・・・。どう考えても殴られ続けてる側のセリフじゃないです。笑

最初こそ余興のつもりでへらへらと眺めていた周りを取り囲む戦士たちは、トルフィンが100発殴られるころには、言葉を失い、圧倒されていました。

トルフィンが、言葉だけでなく、態度でも『剣を使わずに相手にわかってもらえた』初めての瞬間です。父親のカタキをとるという呪縛から、本当の意味で解放された、感動的な瞬間とも解釈することができます。

やがて殴っていた当の本人であるドロットすらも

「疑ってすまなかった……。お前は……本物の戦士だ」

とトルフィンのことを認めるのでした。

「なぜ殴り返さないのだ?」

ドロットに認められたトルフィンに、戦士長のウルフが問いかけます。ここで股間会紹介させていただいた名言がトルフィンの口から発せられます。

アンタ方とは今日会ったばかりだ

なんの恨みもねえ

なんで俺たちが殴り合わなきゃいけねえんだ

アンタ方はオレの敵じゃない

と輝きを宿した目で返答すします。

このシーンは、トルフィンがかつての父の言葉を完全に理解し、それを体現した瞬間でもあります。

トルフィンの父、トールズは、生前に幼いトルフィンにこういって聞かせたことがありました。

よく聞けトルフィン

お前の敵は誰なんだ

お前に敵などいない

誰にも敵などいないんだ

傷つけてよい者など

どこにもいない

ただ優しいだけの言葉ではなく、もともとヴァイキングで戦士長を務めていた男の言葉なので、重みがあります。父トールズの言葉が『問い』になっていて、子であるトルフィンの言葉が『答え』になっていことに気づきます。とても美しい対比ですね。


ヴィンランド・サガは『目』で語る作品

ヴィンランド・サガは『目』で語る作品です。同じキャラクターでも年代やその時々の考え方で全く違った目をしています。

その『目』に一番変化があるのは、やはり主人公のとるフィンです。復讐鬼として過ごした10代から『俺に敵なんかいない』というまでに至った経緯を、とるフィンの『目』の変化を通してみてみましょう。

  • 幼かったころの無邪気なトルフィンの目

  • 復讐鬼になってしまったよどんだ鋭いトルフィンの目

  • 農場で奴隷として無気力に働き続けるトルフィンの目

  • 奴隷編クライマックスの『本当の戦士』になったトルフィン

◆幼少期のトルフィン◆

このころは無邪気に輝く目をしていますね

◆復讐鬼のころのトルフィン◆

肉食動物のような、冷酷な印象を与える目です

◆アシュラッド(生きる目的)を失い奴隷として働くトルフィン◆

覇気のない濁り切った目をしています

◆奴隷編クライマックスのトルフィン◆

無邪気な輝きではなく、いろいろなことを経験してきた上での輝きを持った目です

どの目も印象的ですが、今回の名言を言いながら見せる『目』はどの時代のトルフィンの目よりも輝いていました。

農場編(奴隷編)はヴィンランド・サガという物語全体から見ると、前半と後半を分けるようなとても大きな転換点です。(実際に農場編が終わったときにその終わり方があまりにも綺麗で、多くの読者から「最終回ですか!?」という問い合わせがあったそうです。笑)

そして個人的には、「アンタ方はオレの敵じゃない」というこのセリフがヴィンランド・サガという作品のクライマックスです。作者である幸村誠先生はこの一言を伝えたくてヴィンランド・サガという作品を描いたんじゃないかなと勝手に思ったりもしています。

ヴィンランド・サガはほんとうに名作です!アニメもありますが、個人的にはやっぱり漫画版がおすすめです。画力が圧巻なんですよね。

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改めましてこんにちは。『Nick』と申します。大学は出てないけれど読書を続けて外資系企業で10年以上。そんな等身大のサラリーマンが200冊以上の読書経験と、日々の仕事や暮らしの中で出会った「心に刺さる名言」を紹介します。マンガ・アニメ・映画などサブカルチャーからの引用も多数掲載!

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