幸運とは、自分を幸運だと信じることだ【名監督 #名言ノート48】
今回紹介させていただく名言はこちらです!
「幸運とは、自分を幸運だと信じることだ」
幸運(ラッキーな状況)ってどこからかランダムにやってくるような感覚がありますが、その一般的な価値観に一石を投じる言葉ですね。
言った人
テネシー・ウィリアムズ
どんな人?
テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams, 1911年3月26日 – 1983年2月25日)は、アメリカ合衆国のミシシッピ州コロンバス生まれの劇作家です。

テネシー・ウィリアムズは、アメリカを代表する劇作家の一人であり、その作品には、彼の複雑な家庭環境や精神的な苦悩が深く反映されています。
彼の愛称「テネシー」は、その南部訛りからセントルイスでの学友に付けられました。長年、ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチ・クオーターで暮らしました。
人物像と背景
家庭環境: 牧師の祖父、音楽教師の祖母、両親、姉弟と共に育ちました。靴のセールスマンだった父親は留守がちで粗野かつ暴力的で、病弱なテネシーに失望していました。両親の夫婦仲は悪く、喧嘩が絶えませんでした。
姉との関係: 2歳年上の姉ローズとは大変仲が良く、双子と間違われるほどでした。しかし、彼女は精神障害を患い、生涯のほとんどを精神病院で過ごしました。両親が彼女に対するロボトミー手術を許可したことに対し、ウィリアムズは両親を許さず、姉を救えなかった自分自身の罪悪感に苦しみました。彼の作品の登場人物には、家族に対する直接的な抗議がしばしば見られます。
環境の変化: 8歳の時に、父親の仕事の関係でミズーリ州セントルイスに引っ越し、特権階級の南部の穏やかな暮らしから、工業都市のアパート暮らしへと一変しました。新しい環境に馴染めず、友人もいない日々が続き、この異なる環境の変化とそれに苦しむ人々は、彼の作品によく現れるモチーフとなっています。
コンプレックスと克服: 彼は身長が低いことをはじめ、様々なコンプレックスの持ち主でしたが、ある出会いをきっかけにそれらから解放されたと言われています。
主な作品と受賞歴
1945年の『ガラスの動物園』で好評を博し、劇作家としての地位を確立しました。その後、『欲望という名の電車』(1947年)、『熱いトタン屋根の猫』(1955年)でピューリッツァー賞を受賞するなど、数々の傑作を発表しました。
テネシー・ウィリアムズの作品は多くが映画化されており、代表作には以下のものがあります。
『ガラスの動物園』(The Glass Menagerie, 1945年)
『欲望という名の電車』(A Streetcar Named Desire, 1947年)
『熱いトタン屋根の猫』(Cat On a Hot Tin Roof, 1955年)
『バラの刺青』(The Rose Tattoo, 1955年)
『去年の夏突然に』(Suddenly, Last Summer, 1959年)
『イグアナの夜』(The Night of the Iguana, 1961年)
幸か不幸かは自分次第
今回紹介させていただいた名言はこちらでした!
「幸運とは、自分を幸運だと信じることだ」

テネシー・ウィリアムズは、身長が低いなどの自身のコンプレックス、幼少の頃の環境の変化による人間関係の苦しみ、姉を救えなかった罪悪感、親との確執といったような、いわゆる多くの『不幸』を抱えていました。
しかし、「幸運とは、自分を幸運だと信じることだ」という言葉で自分自身を励まし、アメリカを代表する劇作家の一人にまで登りつめました。
数々の名作をのこし、ピューリッツァー賞(アメリカの新聞経営者ジョセフ・ピュリッツァーの遺志により、1917年に創設された文化賞です。報道、文学、音楽など、各分野でその年の優れた業績に贈られる。)を受賞するなど、輝かしい業績を納めました。
テネシー・ウィリアムズの言うように、幸運の本質って、「自分を幸運だと信じること」なのかもしれません。
楽しいから笑顔になるんじゃなくて、笑顔を作ると楽しい気持ちになる。という「フィードバック仮説」というものがあります。私たちの感情が表情によって影響を受けるという考え方です。
これはなにも表情に限った話ではなく、「自分は幸運だ」とか「自分は不幸だ」とか、自分の置かれた状況をどうとらえるかによっても私たちの感情は影響を受けます。
そりゃたしかに、許容範囲を超えるような不幸な出来事が起きたとき、へらへら笑って「ラッキー」と言っていたら、社会的な常識がないやばいヤツだと認識されてしまいます。そういう時はしっかりと不幸な出来事を受け止め、一般常識的な期間はその件については触れない、触れなければいけない状況であれば決してふざけた態度はとらない。といった態度は必須です。
けど、自分の身長が低い。とか、学歴が低い。とか、親とそりが合わない。とか、才能がない。とかとか・・・考えても仕方がないことを「不幸だ」と認識して自分のからに閉じこもっていても、何も好転していきません。
1000円ひろうとか、なにかラッキーなことが偶然におきたときにだけ「ラッキー」と思うのではなく、そもそも『自分は幸運だと信じる。で、なんで幸運なのかを後から考える。』こういう姿勢が大切なんじゃないかと思います。
『職場に嫌な人がいる』という悩みがあったとしてもまず幸運だと考えてみる。そうすると、自分が幸運である理由を探さなければいけなくなります。
自分とそりが合わない人とどう付き合えばいいか、いい練習がタダでできる
なぜその人のことを嫌だと思うのか、自分の価値観を振り返るきっかけになる
なぜその人が自分をはじめ多くの人から苦手意識を持たれるのか、反面教師として学べる
といったように、物事の見方をかえることで、今自分が置かれた状況を「幸運」だと思える考え方ができるようになります。
許容できない出来事にどう向き合うか

次に、職場の人間関係の悩みのような、日常的なお悩みレベルならまだしも、人生の岐路に立たされるような出来事が起きた場合はどうでしょうか。
例えば務めている会社が倒産する。最愛の人に別れを告げられる。信頼していた人に裏切られる・・・
とかですかね。さすがに考え方の角度を変えるくらいでは「幸運だ」と思えないかもしれません。
そんな時でも、「自分を幸運だ」とまず言ってしまうんですよ。むしろ独り言でもいいので「ラッキー」と口に出してみてください。
言ったからには『なぜ自分がラッキーなのか?』を脳が探さなければいけない状態になります。
そして、突き詰めていくと・・・
「まぁ、会社がなくなっても生きてるからラッキーだな」
「まぁ、別れてくれって言われたけど、生きてるからラッキーだな」
「まぁ、めっちゃ裏切られたけど、生きてるからラッキーだな」
といったように「幸運=ラッキー」の基準を極限まで下げなければいけなくなります。けどこれがいいんですよ。
普段の忙しい生活の中で「そもそも生きてる」とか「特に脳に異常がなく生活をおくることができている」とか「全世界で見たら比較的安全な日本に住むことができてる」とかといったような、当たり前だけど特別なことに気づくことができるきっかけになるからです。
そもそも、今の自分が今この瞬間に存在することができていること自体が奇跡みたいなものです。第二次世界大戦を生き抜いた祖先たちがつらい時代を生き抜いて生命をつないでくれた結果が、今を生きる人々なんですから。
自分の人生が幸運か幸運じゃないかだったら、絶対に幸運の方がいいですよね。
で、幸運か不幸かは、ものごとの捉え方やどこをどう切り取るかによって、いくらでも変わります。
自分の人生を幸運と決めることができるのは自分だけです。だったらあとはどうすればいいか、もうお分かりですね。
つらい時にこそ「幸運とは、自分を幸運だと信じることだ」という言葉を思い出したいものです。
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