わたしがnoteを辞めようと思った瞬間。市場価値がないと感じたとき。
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夕暮れ時、
部屋の明かりをつけないまま、
スマートフォンの画面だけが白く浮いている。
ブラウザを開き、
慣れた指つきでダッシュボードを表示する。
そこに並んでいるのは、
残酷なまでに無機質な折れ線グラフ。
右肩下がり。
その線は、
まるで私の呼吸が少しずつ浅くなっていく軌跡のように見えた。
昨日よりも今日。
今日よりも明日。
数字が減るたびに、
自分の輪郭が薄くなっていく感覚。
「ああ、私には市場価値がないんだな」
そう口に出してみると、
乾いた音が部屋の隅に吸い込まれていった。
市場価値。
便利な言葉。
自分という人間を、
一列の数字や、
誰かの親指ひとつで決まる「スキ」の数に置き換えてしまう。
そうすることで、
傷つくのを防いでいるつもりだった。

書き始めた頃は、
もっと自由だった。
誰に届かなくても、
ただ指を動かすことが救いだった。
言葉を紡ぐことは、
散らかった部屋を片付ける作業に似ていた。
それがいつの間にか、
誰かに「買われる」ための陳列棚に並んでいる気分になった。
画面の向こうには何千、
何万という人がいるはずなのに。
それなのに、
数字が落ちるだけで、
世界中のすべての人から背を向けられたような錯覚に陥る。
私は、
誰のために書いているのだろう。
私の価値は、
この折れ線グラフの角度で決まるものだろうか。
そんなはずはない…と、
心の一部分が叫ぶ。
けれど、
残りの大部分は、
冷え切った指先で次の更新ボタンを押すのをためらっている。
「もう、辞めてしまおうか」
そう思う瞬間は、
いつも静かにやってくる。
怒りでも悲しみでもなく、
ただ、
ひどく疲れ果てた午後の紅茶が冷めていくような、
そんな静寂の中で。

私は、弱い。
誰かの反応がないと、
自分の存在さえ疑ってしまうほどに。
承認という名の劇薬を、
毎日少しずつ摂取しなければ生きていけない。
そんな自分を「浅ましい」と断じるのは簡単だ。
けれど、
その弱さを抱えたまま、
今日まで書いてきたこともまた事実。
グラフの右肩下がりを見て、
私は一度、
立ち止まる。
価値がないと決めつけたのは、
フォロワーでも、
noteのアルゴリズムでもない。
他ならぬ、
私自身だった。
私が私を、
市場に並ぶ「商品」としてしか見ていなかった。
肉体があり、
体温があり、
今日食べた夕飯の味を知っている一人の人間としてではなく。
でも、
そう気づけたことは、
ある種の光かもしれない。
どん底まで落ちたグラフの先には、
もう下がる余地がない。
あとは、
ただそこに「ある」だけ。

辞める理由はいくらでも見つかる。
時間は足りないし、
指は疲れるし、
心は削れる。
それでも、
こうしてまた、
真っ白な画面にカーソルを合わせている。
「市場価値」という言葉の檻から、
そっと足を踏み出してみる。
明日、
グラフが上向く保証はない。
もしかしたら、
さらに急な角度で落ちていくのかもしれない。
けれど、
その数字が指し示しているものは、
私の命の重さではないはずだ。
それは単なる、
通り過ぎた風の記録。
私は、
何を探しているのだろう。
ただ、
この曖昧な不安を、
そのまま言葉にして置いておきたい。
正解を出して、
自分を納得させる必要なんてない。
ただ、
書き続けることでしか見えない景色がある。
外はもう、
すっかり暗くなった。
街の灯りが、
ひとつ、
ふたつと灯り始める。
あの光のひとつひとつにも、
誰かの迷いや、
誰かの諦めきれない夜があるのかもしれない。
そう思うと、
少しだけ呼吸が深くなった気がした。
私は、
まだここにいる。
それだけで、
十分ではないか。
価値があるとか、
ないとか。
そんな結論を出すのは、
もっとずっと先の話でいい。

