石ころを蹴りながら帰った、あの頃。
※約1,000文字あります(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)
小学生のころ、
ひとりで帰ることが多かった。
友達と並んで、
笑いながら帰った記憶は
ほとんどない。
ランドセルを背負って、
ただ黙って歩く帰り道。
話し相手もいないから、
足元に転がる石ころを見つけては
つま先で蹴りながら歩いていた。
コロン。
またコロン。
石ころは、
私より少し先を転がっていく。
追いついては蹴り、
また追いついては蹴る。
そんなことを繰り返しながら、
家まで帰っていた。
今思えば、
あれは遊んでいたというより、
寂しさを紛らわせていたのかもしれない。
子どもは、
「寂しい」と言葉にするのが
あまり得意じゃない。
だから、
心の中にある気持ちを、
石ころに預けていたのかもしれない。
帰り道に咲く花を眺めたり、
空を見上げたり、
風の音に耳を澄ませたり。
誰かと話せないぶん、
自然がそっと隣を
歩いてくれていたような気がする。
あの頃は、
それが当たり前だった。
でも大人になってから、
ふと思うことがある。
本当は、
誰かと並んで歩きたかったんじゃないかな。
今日あった出来事を話したり、
笑い合ったり、
寄り道をしたり。
そんな何気ない時間に、
心のどこかで憧れていたのかもしれない。
子どもの頃に感じた寂しさは、
消えることはない。
だけど、
その寂しさがあったからこそ、
今の私は
誰かの孤独に気づけるようになった。
ひとりでいる人を見ると、
なんとなく気になってしまう。
笑っていても、
心の中では泣いている人がいることを、
少しだけ知っているから。
人は、
経験した痛みがあるからこそ、
人に優しくなれる。
寂しい帰り道も、
誰にも気づかれなかった時間も、
決して無駄ではなかった。
あの日、
石ころを蹴りながら歩いていた小さな私は、
知らないうちに、
誰かの気持ちに
寄り添える心を育てていたんだ。
だから今、
もしあなたが
ひとりぼっちだと感じているなら、
その時間にも意味があることを伝えたい。
寂しさは、
あなたを弱くするものではない。
誰かの痛みを理解できる、
優しさを育ててくれる時間でもある。
あの日の帰り道は、
決して楽しい思い出ではない。
でも、
あの静かな時間があったから、
今の私がいる。
石ころを蹴りながら歩いた一本道は、
遠回りだったようで、
ちゃんと今の私へと続いていた。
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