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蘭 第12話 同じ夏は来なくても

 僕が18歳になり、その時互いを祝うことにした。僕の誕生日と、蘭がよろこびで泣いた記念で。今まで何かをきちんと祝ったことなどなくて、小さく笑いながら真夜中屋根に上ってって、ケーキに火を灯した。僕らは笑い、いろいろな話をした。

「しゅん消さないと。風で消えちゃうでしょ。」
「はいはい。」ぼくがそういうと蘭が楽しそうに笑い手をたたく。ろうそくの光がぼわっと明るく僕らを照らしてる。

 出会ったばかりのころの笑顔を思い出した。クシャっとした笑顔でさも愉快そうに笑った、ぼくが吹き出だしてしまうくらい。突拍子もないことをクルクル変わる表情で言うときのことも。ぼくはそういう時初めはあっけにとられて、おかしくて大声で笑っていたのだ。少年と間違えられるくらいの細い体に大きなTシャツと膝上までのパンツをはいて、家の前をはだしで歩いていた。泣きはらした真っ赤な目と不貞腐れた顔で。ジュースを音をたてて飲んで、通り過ぎてく車を睨みつけていた。窓を全開に開いて、真剣な顔で星を見た。風と舞うカーテンの前で、心地よさそうな顔で空を見上げ、少しだけ笑っていた。吠えるように叫んで泣く時。静かな目で何かを見る時。知って、逃げないで、飲み込んで、私は綺麗だ。と笑う蘭。出会ったから僕は生き返ったようにどんどんとみずみずしくなっていった、きちんと大人になろうと思った、全部創り上げなおそうと。その決心はゆっくりと確かに根を張り僕の中にある。どれだけすごいことなんだろう。
 
「しゅん。」
「はいはい」
「思い出に耽ったりしてるんだ?」
「ん。」ろうそくの火を消し頷いた。
「蘭に感謝してるんだよ。とにもかくにも、食べよう?」あきれた顔をする蘭にそういってごまかす。
「ふーん?」蘭がなんだそれはという顔で僕を見る。
「あのね、蘭が後ろを振り返らなさすぎるし、ほめられるのを嫌がるところ、あるだろ?」
「なにさ、そんなのもうちょっと後でだっていいじゃない。今は見えるものを逃さないように歩くのに精いっぱい。それにしゅん甘やかすでしょ」驚いたように、当然だというような顔をして言った。
「でも後ろをみることは、後ろに引っ張ることを意味しないんだ。全然そんな暗いもんじゃないよ。あったかくて、僕を強く柔らかくするよ。」後ろを見返していたくない、とかって考えたり、やたら冷静にいようとしたりそんなふうに思うこと、なることはもう一度もなかった。ぼくは蘭に会う前の僕を、合ったばかりの頃の蘭を思い出して笑いながら言った。
「うん、そうだね。ねえなにをそんな笑ってるの?」蘭が不思議そうに僕を見る。
「蘭がさ、ブラジルに行くって言ってた時のこと、」最後は声にならなかった。
「その考えは別に今だって変わらないけどね。」と言うから僕はこらえきれなくなって、吹き出してけらけらと笑った。

 そのはずみでケーキが倒れそうになり、僕らはケーキの存在を思い出して慌ててつかんでいたフォークを2人分刺す。食べながら「なんでもかんでも試してみればいい、やってみる。」と言う14歳のころの蘭に、すごいなと僕が目を細めると、嫌な顔をして「失敗したり、どうしても恥ずかしくなったりしたりさ、どうしようもないなら、ブラジルに行けばいいんだ。」と言った蘭のことを僕が詳細に話して聞かせて、だからなにが変なんだろうという顔をする蘭を見て僕は笑った。懐かしかった。そんな僕をみて蘭も笑っていた。


 夏休みは明け、秋が来た。まだ寂しくない、赤くて黄色でオレンジの時。その秋に、夏は蘭と別れた。

 夏は僕と学校ですれ違った時に、僕にそれを伝えた。少し切なげな、優しく温かい熱と光を纏って彼は僕と話した。
 
 その一週間後くらいのある日、先生に頼まれた僕はホームルームの始まる前に学級委員の川瀬さんを探していて、美術室のドアの外に静かに立っている彼女を見つけた。近くに行って川瀬さんが何を見ているのかとドアを覗いて、2人がそこにいることに気がついた。みんなが教室で座ってぼんやりと先生の話を聞くその時間はとても静かで、会話は聞こえてきた。出会って話して、知って、絵を僕を好きでいてくれてありがとうと言う夏を、蘭が見つめて愛おしそうにありがとうと言って頭を撫でているのだった。それはとても彼ららしいやり方で、おもわず僕は微笑んでいた。僕は川瀬さんに声をかけて一緒に教室まで戻った。彼女は夏のことが好きだったんだろうか、と思ったけど何も言わなかった。とてもいい気分だったから、僕はその感覚に浸っていた。
 
 その日の夕方、僕は蘭を窓から呼んだ。蘭がぼうっとしているような気がした。

「今日見かけたよ。」窓に手をかけ窓枠に身をのりだし言った。風が心地よいい夕方だった。
「ああ、じゃあ知ってるね。」
「うん。」

 僕は、夏が蘭は一人で夜散歩するとき、星のたくさん見える森の奥で水を飲む熊を見ることがあるだろう、とか、どこか温かい場所で踊っている人達を見たことがあるだろうと言ったこととか、夏が僕を笑わせた時の話だとかをした。蘭はさも愉快そうに笑った。

「僕らは魂が手と手をつなぎあってんだって。双子みたいに手をつないで、汚いものをにらんで、手を離さないで、強くなろうと頷きあって歩いてきてたんだって。」
「夏、そういったの?」蘭が微笑む。

夏はどこまでも蘭のことを考えていた。蘭は今あまりにも先を見て、何か夏とは違うものを求めていることは明白だった。だけど蘭は夏にとても眩く強い光を見せて、夏は蘭に懐かしくて優しいものがちゃんとあることを伝えたことも本当だった。蘭は夏のことがとても好きだった。とても純粋に、あたたかく優しい感情を抱いていた。それは蘭が持てる最上級の愛だったんじゃないかと僕は思う。

「あんまりにもきれいなの。」
「うん。」
「夏は愛を知ってるの。あたたかい、ゆったりとしたものを持っているの。それを見せてくれたのね、びっくりするようなやり方で。とても感謝している。」はにかむように笑いながら言った。うれしかった。蘭があのゆらりと動く、僕らのもっていない光を、それを持ちそれを知っていて豊かでいる人を見たこと、感じて笑ったこと。いろんな色を纏って透明になって、一人でゆっくりとみずみずしくなってきた蘭が、目を大きく広げて大きなゆったりとした他人の放つシャボン玉を見て笑っていた。今もなお心地よさそうにしていられること。

「しゅん?」眉をあげる僕に彼女は言った。
「卒業したら、どこに行こうか最近考えているの。いろんなことが始まっていく予感があるの。何になろうか?」
その発言は、その始め方は、彼女にとても合っていると心から思った。
 
 

 僕は二年生の時に使っていた三階の白く広い廊下を歩いていて、青い空に雲がいくつか浮いていた。川瀬さんが言った教室はここの近くのはずだった。そこのベランダにいるからと言っていた。

「なんかすごい久しぶりだ。美術部はどう?」ようやくたどり着いた教室のカーテンを開け外に出ると、グラウンドを見下ろしている川瀬さんがいた。
「そうだね。ありがとう来てくれて。」美術部のことには答えずそういった。
「ここ気持ちいいね。」そこはだだっ広いベランダのような場所で、でも春だから、風が目に見えない何かを彩っているみたいだった。
「美術部の皆でここでデッサンしたことあって。みんな好きなのここ。」
「そういうのすごいいいね。いいな、今度来て描いたり、眠ったりしてみようかな」みんながここでのびのびとデッサンしている様子が容易に想像できて、ああほんとに素敵だなと思った。美術部の皆がここを知っていることも、ここで絵を描く人たちも、夏がここでカラフルな、人の心にぽわっと何かを灯してみせるような作品を描いたであろうことも、すべてが僕を微笑ませた。川瀬さんは笑っていた。

「川瀬さんの絵、見たことないかも。」ぼくはふと気になってそう聞く。
「夏君がすごいから、私あんまり自分の展示していないの。」
「え、関係ないだろう?僕だってすごく気になる。夏も悲しんじゃうよ。」ぼくは夏のことを考え、微笑んだ。しばらく僕らは美術部のことや最近のことを話した。川瀬さんは少しの間静かになって
「蘭ちゃん」とつぶやいた。
「知ってるの?」
「知らないよ。でも何度か見かけたことあるから、学校で」
「ああ、そうだよな。」
「ごめんごめん、話がずれちゃった。話たかったのは、うーん。言いづらいなあ、言いたくない、なあ。」首をかしげるようにして少し下をむいたままそう言った。僕は黙って川瀬さんのことを見ていた。

「一年生の時からね、好きだったの。」
「え?」ぼくはしばらく沈黙を守ってから尋ね返した。川瀬さんは黙って下を見ていた。
「ありがとう。」驚いたけど、緊張した面持ちの彼女にすぐにちゃんとそう言いたかった。
「でもごめん、好きじゃないんだ。」ぼくは川瀬さんのことを見る。
「うん。私結構頑張って話しかけたり、分かりやすくしてたつもりだったのになあ。でも全然だね。それに村上君はずっと何かに一生懸命だったんだよなあ。」
「ごめん、気がつかなかった」
「いいの、分かっていたし、そんなの仕方がないよ。それに感謝してるんだ。一生懸命に何か考えてて、周りの人大事にして、いいと思うことはすぐ素直に伝えてて、たまに気持ちよさそうに空とか夕日とか見てて、とかさ。そういうの全部、憧れてた。それにそういう村上君見てたら、少しずつ少しずつ、自分にフォーカス出来たの。ゆっくり自分の中が変わっていった。絵、沢山夢中になって描いて、ちょっとこうやって外に出てきて、一人で描いて、そういうこと出来た。」それはとても素敵なことだし、そう語る川瀬さんの表情も素敵だった。でもぼくはそれを聞いて、蘭のことを考えずにはいられなかった。

だってそれは、
「うん。そんな顔しないで、分かってるよ。そこにたぶん、蘭ちゃんがいるんだよね。それでずっと村上君は何かにすごい一生懸命だったんだよね。それであんなふうに光ってたんでしょう。空見て気持ちよさそうに笑って。苦しそうに、怒ったように何か考えていたんでしょう?」
「言わないの?蘭ちゃんに。とっても、好きでしょう」一息ついてそういった。僕はしばらく黙っていた。

「一緒にいたんだ。不思議な距離感で、いろんなこと乗り越えていく間ずっと近くに、一緒にいた。だから分からないんだ、どうしたいのか。何が一番大切なのか、すごくゆっくりとゆっくりと何かが確かに分かっていく感覚はあって感情は知っているけど」
「見たことある、二人が一緒にいるところ。美術室の外で。」夏が蘭と再会したとき、あの日、扉の開く音がした気がしたのは気のせいではなかったのかもしれないと僕は思った。
「すごく不思議な雰囲気で、強い光みたいなさ、なにか確かなものが二人の間にあるの。すごいなんか不思議で綺麗な空間だった。二人がいるところは。二人で互いを強く見てるの。嫉妬とかもしなかった」思い出すように横を向いたまま言った。
「僕ら互いの幸せを願ってて、大切で特別なんだ。蘭のことが好きだよ。とてもゆっくり知った、もしくは始めからかもしれない。でも、そういう関係になったら近すぎるのかもしれない。変なふうにすべてが近くなりすぎてしまう気がする。くっついてしまうみたいな。そしてあの長い時間僕らに起こったこと、あの空間から出られなくなるような気がする。」
だってぼくらはずっとあそこにいたから。そしてぼくら、外の世界とまだ折り合いの付け方を、融合の仕方を知らないから。

ゆっくりじんわりと、しっくりきた。ああそういうことなんだろうな。

川瀬さんはしばらくの間外を見てから、僕をじっと見た。
「すごいね。こんな関係性があるのね。すごいな、本当に大切なんだね。」まっすぐな声でそう言った。
「うん大切だ。」自分がどうしたいのかも、何かいくつかのことが曖昧で難しい気もしていた。なのに妙にすがすがしい気分だった。
「部活あるんだ、もう行くね。美術室にだってどこだっていつだって来てね。変に気を使ったりとかしないでほしいの。ほんとうに、高校時代に出会ってくれてありがとう。」頷いてから、ゆっくりと僕の目を見ながらそう伝えた。
「こちらこそ。ありがとう。」
「でもここには来ちゃだめだよ。ここは私の特権。」にらむようにして言う。
「分かった。」ぼくは笑って頷く。
「バイバイ」
「うん。」ぼくは手を振った。


 
 
 


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