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【アメリカ生活】アピールする欧米、忖度する日本――四つん這いで山を登る理由


一周一セント。玄太が「釣られた」募金のカラクリ


 ある日、玄太の中学校で、学校に関わる資金集めのための募金活動月間が始まった。先日はその催しの一つとしてランニング大会が開催されたそうだ。

 「ランニング」とはいえ、〇周走る、などという決まりはないので、みんなは大して真面目に走っていないのに、帰宅した玄太は十周も走ったと鼻高々に私に自慢する。

 「それはすごいねえ」と、とりあえず褒めてやると、なんてことはない。聞いてみると、一周走るごとに一セントもらえるのだそうだ。

 そのお金はもらってもいいし、学校にそのまま寄付してもよいとのこと。つまり、やっぱり釣られただけだった。

 欧米では、このように「苦労した対価として寄付を募る」スタイルは非常に一般的で、これを「スポンサーシップ(sponsorship)」と呼ぶ。

 自分が頑張ることで、対価が支払われる。

 つまり玄太の場合は、「自分が一周走るごとに、学校が一セントを負担し、その金額を学校への寄付金として積み上げていく」という構図だ。

 ふり返ってみると、長男が以前通っていたオランダのインターナショナルスクールにもそういう「走る」募金活動があった。

 インドの小さい村に小学校をつくるというプロジェクトだったが、これもやっぱり似たような形式だった。

 走れば走るほど寄付額が増える仕組みで、今度は学校ではなく、スポンサー役の保護者がその金額を負担する。

 その時の参加者は子どもだけではなく、自信のある保護者も参加してせっせと走った。

 〇くんのお父さんが一位になって、みんなで大歓声を上げたなんて言っていたが、あの時は「わざわざしんどい思いをしてお金を払うなんてあり得ない。 
 それなら普通に募金すりゃいいのに」と思ったが、今、募金大国、パフォーマンスが大好きなこの国の空気を吸うごとに、その気持ちも少しは理解できるようになってきた。

 ギャラリーの前で走り、自分の頑張りが目に見える形になる。
 そういう「参加している実感」が、彼らにとっては大事なのかもしれない。

四つん這いで峠を越える。非生産的なパフォーマンスの正体



 私が通うESLでも、ある募金活動の記事が課題に出された。

 内容は、ある男性がチャリティ活動を行った。彼は足だけでなく、手にも運動靴を付け、犬のように四つんばいになって重たいバックパックを背負いながら、険しく長い峠を何時間もかけて超えるという過酷なパフォーマンスで、それをやり遂げたとのこと。

 その記事を読んでから、次のような質問に答えろと書かれている。

・あなたはどんなすごい募金活動をやったことがありますか?
・あなたは募金活動のためなら、どこまでできますか?

 さっぱり意味がわからなかった。

 この四つん這いで山を登るという一見すると非生産的に見えるパフォーマンスと募金活動がどうつながるというのだろう。



 私の質問に対し、チューターは「あら、知らないの?」と言いたげな顔をして説明してくれたことによると、これこそが昨今の流行りの募金活動なのだと言う。

 今どき、オーソドックスな募金集めだけではつまらない、それでは人の関心を寄せることができない。

 人の注目を集めるためには、募金活動はもっと個性的であり、特色がないといけない。

 だからこういう四つん這い歩行のように周囲をあっと言わせるようなパフォーマンスをして大衆の注目を浴びることが大切。

 そして、そのパフォーマンスが面白ければ面白いほど、また、ものすごく大変なものであればあるほど、みんなは共感し、応援したくなり、寄付をしてくれるという構図なのだという。


なぜ五ドル払ってジーンズをはくのか?「見せる」美徳の境界線


 夫のアメリカ法人の会社でも面白い企画があった。

 毎週金曜日をブルージーンズデーと称し、ジーンズを着用してもよい日となっている。興味深いことに、ジーンズを着用する代わりに、五ドルの寄付を慈善団体に寄付することが条件らしい。

 わりとアメリカの会社ではどこでもある企画のようだが、最初、意味が呑み込めなかった。

 寄付してまでジーンズをはいて出勤したいのか?

 夫曰く、そうでなく、寄付をしたいからジーンズをはくのだとのこと。

 いや、もっと正確にいうと、寄付をしているということをアピールしたいからジーンズを穿くのだそうだ。

 何百人もいる現地従業員のほとんどが、その日はブルージーンズをはくのに対し、わずか十人くらいしか日本人社員はいないのに、その中でジーンズをはくのは、夫を含め二~三人しかいないらしい。

 夫は私と相反して非常に素直なタイプなので、日本人がジーンズにならない理由を聞いてもわからないようだったが、恐らくその一番の理由は、面倒臭いからだろうという結論になった。

 日本人は「どちらでもいい」と言われると、あえて自分のやり方を変えない人が多いように思う。

 それに寄付という習慣にも慣れていないし、寄付したことを誇示するなんて、むしろみっともないという感覚があるのだろう。

 以前、玄太の英語の宿題のプリントにこんな質問があった。

・Do I show respect for my peers?
・Do I show loyalty to my friends?

 直訳すれば、友だちを尊重したり、友だちに誠実だということを「見せて」いますか? ということだろう。

 だが日本ならば、こういうのは見せたりして押し売りせず、悟ってもらうことがよしとされる文化である。

 多民族社会において、内面的な誠実さは「可視化」されて初めて評価の対象になる。

 この「見せる」文化に馴染めるかどうかが、サバイバルの成功の鍵の一つなのかもしれないと感じる。

 アピールしすぎも確かに鼻につくものだが、外国に来たら、日本の奥ゆかしさ、謙虚さなどの「推し量る」流儀は通用するどころか、却って誤解を呼び、マイナスとなる可能性もある。

 ともあれ、私は我が息子たちには、金曜日にブルージーンズをはくのを楽しめるような人になってほしいと思う。

 欧米は、どんな生真面目な活動でも、その眼差しのどこかに余裕があり、遊び心があって楽しいなと思う。

 日本では「言わぬが花」。

 けれども欧米では、善意も誠実さも、見せなければ存在しないのと同じなのかもしれない。

 「言わねば無」

 そんな価値観の違いを、私は金曜日のブルージーンズデーで学んだ。