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【アメリカ生活】私のプロフィールは、「私」より先に広まっていた


背中に貼られた「見えない履歴書」。筒抜けだった私のプロフィール



 渡米して二か月ほどの頃、夏休み前のイベントで玄太の学校に出向いたある日のこと。

 日本人らしき女性が、私のところにやってきた。

「あの…玄太くんのお母さんですよね? はじめまして。私、一つ下の学年の××の母です」

 ××と言われても、私はその××さんの名前は初めて聞いたし、その子の存在すら知らない。当時は玄太の世話係のバディであるケンのお母さんにすら会う機会に恵まれなかったし、この学校のほとんどの日本人の保護者を知らなかった。

 玄太に学校の話を聞いたところで、「楽しかった」とか「疲れた」とか「(遠足で)先生がアイスクリーム買ってくれた」とか、断片ばかりで、学校の全体像なんて見えてこない。

 もちろん本当は色々盛りだくさんな出来事があったのだろうが、英語の壁があり、本人すらそれがなぜそうなったのか、ああなったのかという理解ができなかったということも多いにあるだろう。

 その保護者の××さんはさらに話を続ける。

 「△△地区に住んでおられるんでしょ? 私は同じ地区の〇〇通りに住んでいるんです。長い間、外国を転々としていらっしゃるんですってね。うらやましいわ~。春にいらっしゃったそうですね。私はその10日後に来たんです」

 こりゃあ驚いた。私はこの××さんを全く知らないというのに、向こうは私の渡航歴から住所、果ては「〇日に渡米した」というピンポイントな情報まで入手していたのだ。

 ん?これって、輪の中に入る許可を得る前の査定か。

 まるで「見えない履歴書」を背中に貼って歩いているような気分である。

「親切」という名の格付け。狭いコミュニティの不思議な力学

 後でわかったことだが、発端は、唯一私のことを知っていた近所の保護者だった。
 彼女はよかれと思って(あるいは格好のネタとして)、周囲の日本人に私の「プロフィール」を吹聴していたのだ。

 気味が悪いのは、その「情報」の偏りである。

 私は一言もこの人から玄太の学校の日本人コミュニティのメンバーも紹介してもらっていないし、「こんな人が〇〇通りに来たよ」などという情報すら教えてもらっていないのに、裏ではこの人を通して私のデータがフリー素材のように流通していたのだ。

 この狭い日本人社会特有の薄ら寒いモヤモヤ。

 そしてなぜ、私は「教えられる側」ではなく「査定される側」に回されたのか。

 後日、同じ境遇の友人が、その「解読不能な数式」の解をズバリと言い当ててくれた。

「日本人はね、自分より『下』だと思った新人には親切だけど、海外歴が長い『異質』な人は敬遠するものなのよ」

 なるほど。 親切の顔をした、見えない序列!

 何も知らない新参者には、「教えてあげる」ことで、自分の優位性を確認し、ちょっと異質なものには、自分たちのルールを乱さないか、檻の外からじっと観察して品定めする。

 その「異質」なものに対する警戒心は、場所がどこであれ、日本人が集まれば自動的に発動するシステム。

 どこか、日本の縮図を見ているようでもあった。

園庭の隅っこの連帯。インドネシア人のお母さんと分かち合った「異邦人」の空気


 そういえば、昔、こんなこともあった。

 玄太が日本の幼稚園に入学した時のことだ。ちょうどオランダから帰国したばかりで誰も知り合いはいなかった。

 その保護者のほとんどは、保育所が同じとか、育児サークルや入園前の事前の顔合わせなどで、それぞれ知り合いがいて、共通項の固まりをつくっていた。

 その「共通項」が全くない私には、声をかけてくれる人はおらず、寂しい思いをした。

 唯一の救いだったのは、夫の留学についてきたという、同じように新参者のインドネシアのお母さん二人だった。お迎えの時に幼稚園の園庭で待つ時は、私はいつも彼女たちを探した。

 園長先生からは、彼女たちの通訳も頼まれていたので、気負うことなく私はいつもこの二人の隣にいた。一緒にいると不思議と肩の力が抜けた。

 他者からは、この二人だけでなくきっと私も同じ「異邦人」として見られていたのだろうが、その時間は決して惨めなものではなかった。

 言葉はたどたどしくても、「格付け」も「査定」もない、そこだけが私の本当の居場所だったからだ。 

 後で親しくなった友人に聞いたら、「外国帰りの人ってあの人?」と他の保護者から私のことをこっそり聞かれることが何度もあったらしい。

 これも悪意ではないのであろうが、自分がそんな風に囁かれていたのかと思うと、鳥肌が立つ。

 そんなに興味があるんだったら、新参者に挨拶くらいしてくれたっていいじゃないか。


 悪意のない噂と、勝手に一人歩きする私のプロフィール。


 そして時は経ち、ここはアメリカ。

 結局、場所がどこであれ、日本人が集まれば自動的に発動するシステムに、私はどこかで見切りをつけていたのかもしれない。

 様々な人種が行き交うこの中学校の雑踏の中で、私は思い出していた。かつて園庭の隅でインドネシア人のお母さんたちとひそかに分け合った、あの「異邦人」の、名前のつかない安心感を。