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シングルマテリアリティとダブルマテリアリティと神仏習合マテリアリティ

本日もただの妄言につき、何ら学術的な話でもないけれども、サステナビリティに取り組んでいると考えてしまう話です。

シングルマテリアリティとダブルマテリアリティの詳しい説明をここでしようと思わないので、良さそうな解説を引用しようと思います。

TCFDやSSBJはシングルマテリアリティだから取り急ぎはシングルマテリアリティだ、とか、うちは欧州に拠点があるからダブルマテリアリティだ、とか、そんな話ですね。
私が個人的に感じているのは倫理や文化の問題とも表現できます。

シングルマテリアリティに関しては倫理はないと言えるかと思います。
純粋に財務諸表を作ることと何ら変わりなく、サステナビリティ課題が企業のリスク要因だから、その企業への影響を金銭的に表現するなどして開示するということです。

一方のダブルマテリアリティは社会への影響を開示します。これはまずどのような社会であるべきかという目的がある(目的論)。そして社会を構成する企業はその責任を果たすべきである(義務論)。

これは欧州社会を体現しています。市場に任せるだけではうまくいかない。国家は人々の権利を守る義務がある。その根底にはキリスト教の影響もあるでしょうし、かつての植民地時代や環境破壊への反省や、色々あると思いますが、研究者ではないなので分かりません。でも北欧の福祉社会だとかを思うとイメージできるかとも思います。

シングルマテリアリティが米国的なのも腑に落ちる気がします。自由の国、アメリカは国家が個人の自由を保障するというよりも、国家が個人の自由を侵害しないという概念。サステナビリティも自由な経済活動において、純粋にそれが企業に影響があるならば、投資家の自由のために開示するべき。それ以上に社会を持続可能にしようという倫理観にまでは踏み込まないという概念だと感じます。

そこで日本です。これらの制度対応について日本は常に受動的に受け入れるのみです。とても日本らしい 笑。八百万の神万歳。
これは古代日本以来の伝統芸能です。古くは中国、そして戦国時代、江戸時代、特に明治の欧州からの文化の受動文化は永久に不滅です。
ただ、この話も日本文化の研究者に言わせれば明治維新以前以後は違うとか、色々あるとは思いますが、やはり専門的な研究者に譲りたいと思います。

ただ政府や経済団体の動きを見ていると「脱亜入欧」っぽいと感じてしまいます。そしてその影響を受ける経営層が「他社もやっている」という理屈でサステナビリティに取り組みます。その結果、CDPのAリスト企業は日本企業が多い、TCFDも一番対応している。どういう社会にしたいとかでなく、欧米の制度だから、他社もやっているから、という倫理で進んでいきます。

受け入れすぎた結果、日本企業のマテリアリティ選定では不思議なことが起きています。GRIやCSRD、SASBなどの基準と関係ない、感動、健康、安全、幸せな社会、技術力、カルチャーみたいなものがマテリアリティに入ってきます。前回の記事でも書いたことに関連しますが、これはマテリアリティを「重大課題」と捉えたときに、日本企業にとっては社会課題や社会的価値なども大事な課題や価値だと捉えて、サステナビリティとは関係のない物が入ってくるためです。

日本企業のマテリアリティはダブルマテリアリティという人がいますが、実際は違うと思います。価値創造ストーリー、パーパス経営、GRI、SASBなどを統合した結果の「神仏習合マテリアリティ」かもしれません。

批判的に書いているようですが、私はこれぞ日本的で良いのかもしれないと思っています。日本はそうやって多様な文化を寛容に受容することによって成り立ってきた国なのですからね。

むしろ私はシングルマテリアリティにもダブルマテリアリティにも批判的な態度を取りたい部分があります。果たして本当にシングルマテリアリティの開示は投資家にとって有意義なものになるか、ダブルマテリアリティが描くサステナビリティの価値は地球や各々の地域にとって有益なものか。この疑問を持つこと自体は健全なことだと思います。

日本は政府の意向と関係なく、こうして各企業や個人が欧米の概念を自由に解釈して物事が進んでいくことでしょう。
楽しみなのはSSBJ開示です。おそらく凄くCSRD的な開示も出てくるし、TCFD的な開示も出てくるし、何だかよくわからないけど社会的価値を分析しているものも出てくるはずです。そう思うと27年6月のSSBJが適用された有価証券報告書が楽しみです。

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