鏡の世界は何を写している? 199/365
例えば、朝起きて身支度をする時、鏡を見て自分の姿を確認すると思います。
寝癖を直したり、女の人なら化粧をしたり、鏡はなくてはならないものです。
普段はあまり意識することはないけど、鏡に映った姿は左右が反転していますね。
鏡の前で右手を上げたら、鏡の前の自分は左側の手を上げることになります。
これをもう少しわかりやすく説明すると、他の誰かに目の前に立ってもらって、「僕と同じ側の手を上げてください」と、頼んだとします。
僕が右手を上げたら、目の前の人はその人にとっての左手を上げるでしょう。
鏡の中の世界はこのように左右が反転しています。
これはなんででしょうか・・・?
この左右の反転が起きる理由は、自分から見た「前と後ろ」がひっくり返るからです。
鏡の方向は前方向ですが、そこに映し出された方向は、自分の後ろ方向なんです。
だから鏡には自分の後ろ方向が映る。
車の運転中はバックミラーなどを使い、前を見ながら後ろに進むことをやっています。
つまり、鏡に映った世界は自分の後ろの世界なんです。
この世界をいつも見ているのは誰かというと、目の前に相対した時の他者です。
だから、鏡に映った世界は他者が見ている、私の後ろの世界。
私の後ろは、原理的に私からは見えません。
見ている方向が前なのだから、振り返ってもそこは前です。
だから鏡を置くことによって、後ろという他者から見た世界を見ることができるのです。
このことから考えると私たちは常に目の前に二つの重なる世界を持っていることになります。
私から見た右とあなたから見た右の両方を持っているから、鏡に映った姿は左右反転しているように見えてしまう。
本当は反転していません。そのままが映し出されています。
しかし、反対側に回り込んだ(相手側の前を想像すると)とすると、左右が反転したように思えるのです。
このことをもっと掘り下げて考えると、私たちの前と後ろは表と裏の関係とも言えます。
トランプを目の前に置いた時、こちらが表を見ていれば、あちらは裏を見ていることになります。
ここも即ち、視線の向き付けが逆だということです。
いつも私が見ている前という表。
そしていつも私が見えていない後ろという裏。
この裏を表として見ているのは相対したあなたという存在です。
つまり、見られている私の後ろ、裏は、他者が見ている。
他者がいないと成り立たない世界です。
それを無意識に取り込んで世界を見ているのです。
でも、それは目の前にはありません。
それはいつでも「後ろの正面」だから。
鏡に映っているのはいつも「後ろの正面」です。
私たちが他者との認識やコミュニケーションで感じる齟齬の原因はここにあると思います。
実は私の見ている前は、あなたの後ろ。
あなたの見ている前は、私の後ろ。
常に反転している。
私が話している表の世界の話はいつもあなたにとっては裏の世界の話。
あなたにとっての表の世界の話は私にとっての裏の世界の話。
空間がこのように構成されていることを、全く無視して、私とあなたが同じものを見ているという幻想に生きてしまっているのが、今の人間のゲシュタルトです。
これを可能にしてきたのが言語でした。
言語空間という虚像を作り、そこで統一化してきました。
しかし、その世界は見える世界ではありません。
言語から想起されたイリュージョン。
この幻想から覚める時期が来ていると思います。
鏡は教えてくれます。
この空間の構造を。
私とあなたの存在の場所を。
鏡の世界が写しているもの・・・
後ろの正面・・・
こういったところから、高次元の見方が出来てくると思います。
この鏡の構造を理解し、世界の二重性に気が付くことが次元上昇とも言えるし、これから私たちが身につけていく認識です。
鏡の構造を理解して、鏡の外へ出ること。
鏡割りは次元上昇!そう考えても良いかもしれません。
ここのところはすさじいが詳しく説明しています・・・
こういった空間認識に差異を用いる思想はおそらくヌーソロジーにしかない視点だと思います。
もっと詳しく知りたい方はヌーソロジーの世界をのぞいて見てください。
