『掘り炬燵の夜、枝豆の緑を眺む ― 力丸 炉ばた焼 網場にて』
東通りという場所は、どうしてこうも賑やかで落ち着かぬのか。
しかし人間というものは不思議なもので、賑わいの真ん中にこそ、ふっと身を預けたくなる瞬間がある。
その流れに押されるようにして「力丸 炉ばた焼 網場」の暖簾をくぐった。
三階までの階段は、思いのほか急である。
途中で一段飛ばしをしてしまったが、これは若さの証というより、単なる気の迷いにすぎない。
息を整えつつ掘り炬燵の席に通されると、そこは予想以上に手狭で、隣席との距離も近い。
しかしながら、この窮屈さがなぜか妙に落ち着くのだから、人間の感覚とは当てにならぬ。
メニューを開けば、ほとんどが税込385円で統一されている。
この整然たる数字の並びには、ある種の哲学すら感じられる。
私は枝豆と梅くらげを頼んだ。
すると料理は、こちらの心の準備などお構いなしに、実に素早く運ばれてきた。
店という場所が、時にこんなにも機敏であることを私は忘れていたらしい。
枝豆の緑は、皿の上で控えめに光っていた。
ただの豆である。
しかし、ただの豆が夜を和やかにすることもある。
梅くらげの酸味が舌に触れると、ひとつの皿の小ささが、会話の大きさを邪魔しないのだと気づく。
久しぶりに集まった友人四人のうち、一人は今月新しい職場に移ったばかりで、もう一人は転職活動の真っ最中だという。
世の中は忙しく、ひとは常に揺れている。
それでも、こうして同じ掘り炬燵に足を突っ込み、他愛もない話に笑い合えるのは、なかなか得難い。
店は静かすぎず、騒がしすぎず、ちょうどよい。
枝豆の薄い塩気と、友の近況と、385円の哲学が、ひと晩の会話をゆっくり温めていた。
帰りの階段は、行きよりも短く感じられた。
友と語らう時間というものは、どうやら重力すら軽くする力を持つらしい。


