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短編:おてあげですね

◉【アマノ文筆クラブ】参加作品

 彼女はカウンター越しに笑った。困った時に浮かべる、あの角度の笑みだ。
「おてあげですね」
 湯気の立つマグカップを差し出しながら、そう言った。

 その喫茶店は駅前の再開発から取り残されていて、時計だけがやけに正確だった。
 僕は三度目の面接の結果を報告しに来た。履歴書は通らず、電話も鳴らず、未来は相変わらず薄い霧の向こう。
 彼女は何も問わない。ただ、コーヒーの濃さを確認しただけだった。

 窓の外で雨が線を引き始める。彼女はカップを磨きながら、僕が沈黙を破るのを静かに待っていた。
「ここのところ、ずっとこの調子です」
 ため息を混ぜて吐き出した。
「うまくいかないことって、重なるんですよね」
 それは慰めでも助言でもなく、事実の提示だ。僕は頷いた。頷くしかなかった。

 カウンターの端に、忘れられた傘が一本立っていた。柄が少し欠けている。彼女はそれを見て、ふっと肩をすくめた。
「直そうとして、余計に壊すこともある。だから──」
 言いかけて、彼女は言葉を畳んだ。代わりに砂糖を一袋、僕の前に滑らせる。
 コーヒーは苦かった。でも、砂糖は入れなかった。今日は入れない選択が必要だと思ったからだ。
「おてあげですね」
 彼女は、もう一度その言葉を口にした。今度は、降参という意味合いのものではなく、合図のようだった。

 僕は忘れられた傘を手に取った。雨はまだ降っている。でも、外へ出る理由が、ひとつ増えた気がした。直さないままでも、差して歩ける。欠けた柄は、手のひらに不思議と馴染んだ。
 ドアを開けると、鈴が鳴る。振り返ると、彼女は笑っていた。
 完璧じゃないまま進め、と言う笑顔だった。

 雨の中で、僕は深く息を吸った。負けを認める言葉が、次の一歩を許してくれる夜がある。
 人はきっと──そういう夜に、人生の階段をひとつ昇るのだ。

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