短編:寿司
「好きこそ物の上手なれ」
ことわざにもある通り、好きで夢中になれる物事は上達するのも早い。俺は寿司が大好物だ。
ちゃんと手順を学んで自分でもうまく握れるようになりたいと思っている。だからこの板前体験は非常に楽しみにしていた。しかも仕事の一環ときている。
期間はたったの一日だが、寿司職人の一日をこの目で見て、寿司について色々と調査する目的で臨んでいる。
今回お世話になる店は、江戸前で古くから営業している老舗だ。
大将と女将さん、その息子さんの三人で切り盛りしている。
「本日はよろしくお願いします」
頭を下げる俺に、三人は並んで笑顔で迎えてくれた。
友人と一緒に何度か訪れたことのある店だから、思ったよりフランクな感じで接してくれてありがたい。
まずは大将から今日一日のプログラムの説明を受け、簡単な用語のおさらいをする。用語はバッチリ予習済みだ。
一般的に知られているものだと、寿司飯はシャリ、具材はネタ、わさびはナミダ、醤油はムラサキ、生姜はガリ、お茶はアガリ、会計はおあいそなど。
この他にもギョク、カッパ、鉄火、クサ、軍艦など意外と馴染みのあるものが多い。
道具の名前も少しだけ覚えてきた。寿司を盛りつける『寿司下駄』は一人前の寿司の盛りつけに使われるもので台の下に下駄のような足がついている。
『寿司桶』は酢飯を混ぜたり、寿司を盛り付けるのに使われる道具だが『飯台』とか『飯切』とか呼ばれることもあるようだから紛らわしい。
とまあ、このくらいはちょっと調べればわかることだ。ちゃんと予習してきた点については大将にいたく褒められた。
次は米を炊いて酢飯を作り、ネタをさばいて実際に握る体験。聞くところによると、一人前の板前になるには下働きから始まって十年くらいは修行が必要らしい。
「シャリ炊き三年、あわせ五年、握り一生」という言葉があるようで、技術だけではなく、食材の選別や仕入れ、お客さんへの対応など、多岐にわたる知識と経験が必要だ。
それを踏まえ、全ての工程を拝見させていただいた。
米を洗う時、酢飯を切る時、ネタをさばく時、そして握る時、そのどれもが圧倒的な手際の良さで、一種のパフォーマンスを見ているようだった。
見よう見まねでやってみたが、シャリを一定の量掴むのはまるでダメだった。それでもどうにかこうにか握った寿司を食べてみると、舌に当たった時のシャリの感触がまるで違う。
大将たちの手元を見ているだけなら簡単そうなものだが、一朝一夕で身につく技術ではないことがよくわかった。
お客さんとの会話も難しく、ネタに関する知識がないと成り立たない。ただの世間話なら水商売と同じで深く踏み込まず聞き役に徹するのが無難だと教えてもらった。
そんなこんなで板前体験が終わった。わずかな時間だったが、得られたものはたくさんあった。何より、自分でも少しは上手に握れるようになったことが嬉しかった。
捜査会議が始まった。今回のヤマは強盗殺人だ。被疑者はある反社組織の幹部だが、どこに雲隠れしたのか、その所在が掴めずに捜査は難航している。
地取り、鑑取りともに有益な情報は上がらず、指揮を執る課長と管理官はいつもの苦い顔だ。次は特別任務についていた俺から報告をあげる番だ。
ふと既視感に襲われた。
「この感じ、前にもあったような……」
嫌な予感がして、課長からの書き置きを取り出し、内容を確認する。
──一時的な潜入を許可する。寿司について徹底的に調べあげてこい──
よかった、別に間違ってはいない。俺の思い過ごしだったようだ。
「おい! 荒谷!」
会議室に俺の名を呼ぶ課長の声が響く。
「はい!」
返事と共に立ち上がった俺に、課長は捜索中の被疑者の名前を口にした。
「被疑者の寿司について調べてきたことを報告しろ!」
