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コオロギ食の炎上から学ぶデマ拡散のメカニズム

2023年頃、日本のSNS空間を突如として席巻したコオロギ食に関する批判的な言論。

その熱狂は今や鳴りを潜め、ほとんどのメディアやタイムラインから姿を消してしまった。

一体なぜだろう?理由は、きっと単純だ。

多くの人が、この話題に「飽きた」からだろう。

しかし、私はあえてこの「終わった話」を、いま再び掘り起こしたい。

なぜなら、あの騒動の結末こそが、私たち全員にとってあまりに重い教訓を突きつけているからだ。

そして今、インターネット空間ではびこる「太陽光発電」をめぐるデマや陰謀論に対して冷静に対処し、地球規模の課題に立ち向かう術を、私たちはあの失敗から学ぶ必要がある。


地球の限界とコオロギ食の論拠

コオロギ食は、多くの人々にとって、もはや記憶の彼方に追いやられた、懐かしい話題かもしれない。

なので、改めて、コオロギ食というムーブメントが世界で起こった背景を振り返ることから始めよう。

私たち人類はいま、2050年には90億人を超えるという人口増に対応するための「タンパク質危機」という課題が突き付けられている。

従来の食肉では地球環境への負荷が高すぎるという、持続可能性の限界が目前に迫っているのだ。

その解決策として、培養肉、代替肉、昆虫食、藻類などの代替タンパク源の研究開発が世界的に進められてきたわけだ。

中でも、コオロギは、牛肉や豚肉に比べて飼育に必要な土地や水、飼料が遥かに少なく、環境効率が極めて高いことが知られている。

  • 水資源: 牛の約2,000分の1程度の水で飼育可能という試算がある。

  • 飼料効率: 同じ量のタンパク質を生産するのに、牛の約12分の1の飼料しか必要としない(Food and Agriculture Organization, 2013)。

さらに、乾燥重量あたりのタンパク質量は牛とほぼ同等であり、日本の食料安全保障にも貢献し得る代替案であった。

コオロギ食は、科学的根拠のある代替案として世界的に、大真面目に注目されていたのである。

食の転換は常に抵抗を伴う

コオロギとエビは、生物学上ともに「節足動物」に属し、その味や風味は酷似しており、共通の成分を多く含む。

事実、コオロギが甲殻類アレルギーを持つ人々に交差反応を引き起こす可能性が高いことも、この近縁性を裏づけている。

ではなぜ、エビが日常の食習慣として広く受け入れられているのに、コオロギはこれほどの強い拒否反応を生み出したのか?

その理由は至って単純だ。

多くの人々はコオロギを「食べたことがないから」である。

コオロギ食に対する強い「嫌悪感」は、人間の本能的な防御反応である食物新奇性恐怖(ネオフォビア)に深く根ざしている。

これは、歴史を振り返ってみても、食文化が転換する時期において常に伴ってきた、特段珍しくない心理的な抵抗である。

(ナマコ、ウニ、カキも先人たちがネオフォビアを乗り越えた末に現代にまで受け継がれている、と思わざるを得ない見た目をしている。)

しかし、こうした本能的な抵抗が「陰謀論」という外装をまとったとき、議論が建設性を失い、制御不能な力を持ち始めてしまったのだ。

デメリットと安全性のファクト検証

デマを信じる人に対して「ファクト」を提示しても「バックファイア効果」という心理現象により、逆効果になってしまう場合が往々にしてある。(※バックファイア効果については詳しく後述する)

しかし、コオロギ食に関する陰謀論はすでに熱狂を終え、鳴りを潜めている。

それゆえ、今こそ感情論を排し、ファクトと冷静に向き合う絶好の機会である。

というわけで、ここでは、コオロギ食が炎上した2023年当時、SNS空間で拡散されたデマ・陰謀論とそのファクトを検証する。

強制と排除のデマ:「学校給食強制摂取説」

当時、SNSで最も激しく炎上したデマの核心は、「選択の自由がない学校給食で、生徒たちがコオロギを無理やり食べさせられた」という主張であった。

しかし、批判の標的となった徳島県の高校の事例は、集団給食ではなく、食物科の授業の一環として行われたものであり、試食は希望した生徒や職員を対象にした自主的な取り組みであった。

アレルギーの説明も事前に行われており、保護者からの問題提起もなかった。

この自主的な取り組みが、SNS上で「選択の自由がない強制」として意図的に誇張・誤認され、爆発的に拡散されたのである。

このニュースを鵜呑みにした部外者たちが「生徒が無理やり食べさせられた」と勘違いし、学校に大量のクレームを入れたことで、コオロギ食はSNSで大炎上した。

この大炎上が、コオロギ食関連企業への取引停止など、市場破壊に直結する決定的な打撃を与えたのだ。

しかし、残念ながら、私が観測した範囲では、給食でコオロギを無理やり食べさせられた事例を見つけることはできなかった。

健康被害と毒性デマ:「キチン質発がん性説」

次に拡散されたデマは、コオロギの外骨格に含まれるキチン質に発がん性がある、あるいは人体に有害な毒性成分が含まれている、という主張である。

しかし、ファクトとして、キチン質はエビ・カニの殻、キノコの細胞壁、酵母などに含まれる不溶性食物繊維の一種であり、発がん性を示す科学的根拠は確認されていない

最新の研究でもコオロギに毒性がないことは立証されている。

ただし、コオロギはプリン体を鶏レバーと同程度含むため、大量に摂取すれば痛風などのリスクにつながる可能性はあるが、これは一般的な食品との比較であり、毒性ではない。

このデマは、リスク管理すべき科学的な要素(キチン質、プリン体)を、単純な「毒」という言葉に置き換え、感情的な恐怖を煽る典型的な手法である。

利権・不当推進デマ:「補助金目的の無理な推進説」

これらのデマは、SDGsや政府への不信感、および経済的な不安といった社会的な不満をコオロギ食という具体的なターゲットに投影するものだった。

その核心は、敷島製パンなどの大手企業が、政府の補助金欲しさにコオロギ食を美化し、無理に推進している、という主張であった。

しかし、日本ファクトチェックセンターの検証などにより、敷島製パンがコオロギパウダー使用製品に対し、国からの補助金の交付を受けていないことが確認されている。

同社の取り組みは、フードテックや環境配慮の一環として、自社の経営判断で行われたものである。

このデマの構造は、再生可能エネルギーなど他の分野で議論されている「環境利権」への不満を、無関係な食品分野に持ち込み、企業の正当な活動を「不正な補助金目当ての行為」と単純化することで、憎悪と不信感を煽る手法であった。

そもそも「選択の自由」は保証されている

一連の炎上で個人的に感じたのは、コオロギ食が普及したとしても、食べたくない者は食べなければいいだけなのでは、ということだ。

これは現在の社会において、ごく当たり前の大前提だ。

私たちは人それぞれの好き嫌いやアレルギーがある中で、「食べたくないものは食べない」という選択の自由を行使して生活している。

肉を食べたくない者が肉を食べずに生活できるのと同様に、コオロギ食が普及しても、それを避けて生活することは十分に可能である。

私は、小さい頃から梅干しが苦手だが、コンビニで梅干しのおにぎりが売られていても批判しようなどとは考えない。

なぜなら、たとえ梅干しのおにぎりが売り場に置かれていても、私には「買わない」という選択ができ、自分自身に不利益がないからだ。

アレルギー成分表示も徹底される現代社会において、コオロギ食が強制されることが、食の多様性が認められた社会で本当に起こり得るのだろうか?

にもかかわらず、誰かに無理やり食べさせられるという根拠のない恐怖心から、その選択肢ごと消し去ろうとする行為に妥当性はあるのだろうか?

私自身、コオロギパウダーのプロテインは飲んだことがあるが、そのままの姿をしたコオロギは抵抗感があったため、食べたことがない。

ただ少なくとも、私は食糧危機を回避するための代替案を持ち合わせていないので、SNSでコオロギ食を批判することはなかったし、食糧危機の解決に資するなら研究・開発は進んで欲しいと願っていた。

デマと憎悪が市場を破壊したメカニズム

コオロギ食の炎上で多用された「利権」という言葉は、メガソーラー批判など、現在SNS上で真偽不明の言説が横行する領域で頻繁に用いられている。

問題なのは、その定義が使用者によって曖昧である点だ。

議論を深めるためにも、私たちはこの言葉の本質的な定義を明確にしなければならない。

というわけで、本稿では「利権」を

「政府、行政、または政治家といった公的権力と、特定の国・地域・企業・団体結託し、競争を排して排他的に利益を独占するために獲得する、構造的な権益

と定義したい。

この定義に最も符号するのが、たとえば「石油利権」である。

石油の産出地域や、採掘・取得できる権利を有する企業は限られている。

これは、参入障壁が極めて高く、特定の既得権益者が強力な力を独占する構造だ。

自宅の庭から石油が掘れるという方はきっと少ないだろう。

しかし、コオロギの飼育や太陽光発電は、このような独占的な利権構造とは全く異なる

  • コオロギ食:コオロギを育てることは、企業規模や地域を問わず、オープンな構造を持つ。

  • 太陽光発電:中小企業はもちろん、個人の自宅に設置して売電することさえ可能な、参入障壁の低いオープンな構造を持つ。

さて、コオロギ食がSNSで爆発的に炎上した過程はご存知の通りであろう。

しかし、その熱狂の裏で、この騒動が国内市場に招いた結末までを注視している人は少ないかもしれない。

というわけでことの顛末をお知らせさせて頂くと、2023年にコオロギ食が炎上した結果、コオロギ食市場は急速に沈静化してしまったのだ。

「無印良品」へのコオロギパウダー提供などで知られた、徳島大学発ベンチャーの株式会社グリラスは、学校給食での試食提供をめぐる炎上によって取引先との交渉がストップし、多量の在庫を抱える事態となり、採算悪化から2024年11月に破産手続きに入った。

また、食用コオロギの養殖・加工を手掛けていたクリケットファームも同様に、市場の冷え込みにより2024年1月に倒産に至っている。

世間の根拠なき批判を受け、消費者の忌避感が広がり、売上が低迷して撤退を余儀なくされたのだ。

ただ、冷静に考えてみると、これほど市場の健全性(批判に対する脆弱性)を証明するビジネスモデルはないだろう。

なぜなら、真の「利権」というものは、本来、SNS上の批判や世論の動向など容易に跳ね返せるほどの盤石かつ排他的な力を持っているものを指すからだ。

どれほど世界中で「脱炭素」が叫ばれようとも、サウジアラムコ、エクソンモービル、シェブロンといった石油メジャーは、毎年のように世界時価総額ランキング上位に名を連ねている。

これこそが利権の持つ真の力ではないだろうか?

SNSで炎上したくらいで経営が傾いてしまうような中小・ベンチャー企業を指さして「利権」ということが、いかに的外れであるかは、この市場の悲劇的な結末によって明確に証明された。

私は2024年、森林インストラクターとして自然の素晴らしさを伝える傍らで、コオロギ食のベンチャーに携わる人物と出会った。

その方は、「利権」という言葉とはかけ離れた、ただ自然と食の未来を愛する善良なる市民だった。

その方は、SNSでの炎上によって経営が悪化した苦悩を率直に私に吐露してくれた。

私たちは、SNSで反射的に発せられた声が、たとえ悪意を持たなくとも、こうした真摯な努力を間接的に攻撃し、結果的にイノベーションの芽を摘むことになる、という現実を理解する必要がある。

SNSアルゴリズムの罠

デマがこれほどまでに急速に広まったのは、SNSの構造的なビジネスモデルに深く起因している。

アルゴリズムが、意図せずして憎悪や対立のコンテンツを優遇し、社会の分断を加速させているのだ。

科学的な事実よりも感情が優位になる拡散メカニズム

SNSのアルゴリズムは、基本的にユーザーの滞在時間エンゲージメント(反応)最大化するように設計されている。

このアルゴリズムこそが、「真実の拡散」よりも「注目の拡散」を優先させる構造を生み出している。

■高覚醒感情の優遇

複数の研究(例:Vosoughi et al., Science, 2018)により、アルゴリズムは、複雑な科学的な事実よりも、人間の本能的な注意力を利用する感情に強く訴えかける投稿を優遇することが証明されている。

特に、怒り、憎悪、不安、驚愕といった「高覚醒感情」を呼び起こすコンテンツは、他のどの感情よりも急速に情報を拡散させる要因となる。

■ネガティビティ・バイアスの悪用

アルゴリズムは、人間が負の感情を持つ情報に注意を集中しやすいというネガティビティ・バイアスを利用している。

これにより、「真実性」よりも「注目度」が重視され、デマが瞬時に拡散されるのだ。

「びっくりハウスの鏡」が映す社会の嘘

こうした感情優位の傾向は、SNSが「びっくりハウスの鏡(Funhouse Mirror)*」のように現実の社会規範を歪めて映し出すことで増幅される(Robertson et al., 2024)。

*遊園地のアトラクションで、錯覚を利用した不思議な仕掛けの室内体験型アトラクションの総称。凸面鏡や凹面鏡による視覚の変化を楽しむものや、傾いた床や家具による平衡感覚の狂いを楽しむものなど施設によって仕掛けが異なる。

■少数の過激派による議論の支配

オンラインでの議論は、驚くほど少数の、極めて過激で代表性のないマイノリティによって支配されていることがよくわかる。

たとえば、活動的なアカウントのうち、わずか3%の有害なアカウントが、全コンテンツの33%を生成していることが研究により明らかになっている。

また、ごく少数の0.1%のユーザーが、全体の80%ものフェイクニュースを共有している事実も明らかになっている。

■多元的無知の発生

人間は、多くの投稿や意見をまとめて平均的な規範を推定する「アンサンブル・コーディング」という認知プロセスを用いる。

しかし、SNSでは極端な意見のボリュームが不釣り合いに多いため、この「平均」の推定が歪んでしまう。

結果として、規範が実際よりも遥かに過激であるという誤った認識(多元的無知)が一般ユーザーの中に生まれる。

■偽りの二極化の加速

オフラインでは多くの人が穏健派であるにもかかわらず、SNS上では過激な意見だけが目立ち、人々は「社会は自分たちが思う以上に二極化している」と錯覚する「偽りの二極化」に陥る。

コオロギ食をめぐる「強制」や「利権」といったデマは、まさにこの構造に最適化されていた。

憎悪や対立のコンテンツが優遇されることで、「デマが真実を覆い尽くす」構造が生み出されたのである。

そして繰り返しになるが、太陽光発電をめぐる昨今のデマも同じような構造を有している。

憎悪を商品化するビジネスモデル

デマを吹聴し、特定の業界を「利権」だと批判する者たちが用いる論調は、「彼らは不正を働いて金を稼いでいる」というものだ。

しかし、この告発は、デマを吹聴している側にも、全く同じく跳ね返ってくる

2023年に発表された環境NGOの調査では、YouTubeにおいて気候変動否定論のコンテンツに広告が掲載され、その収益から年間最大約20億円もの収益を上げていたと指摘されている。

しかしながら、YouTubeは2021年10月に、科学的コンセンサスに反する気候変動否定論のコンテンツへの広告掲載を禁止するポリシーを発表している。

広告掲載が禁止されたコンテンツなのにもかかわらず、どのようにして否定論者たちはYouTubeで広告収益を得ていたのだろうか?

その背景には、否定論者側が、プラットフォームのポリシーを回避するための巧妙な戦略、すなわち「否定の仕方を微妙に変化させる戦術」があった。

  • 「古い否定論」: 「地球温暖化は起きていない」「人間の活動が原因ではない」といった、科学的コンセンサスを正面から否定する主張。→ YouTubeのポリシーで広告掲載が明確に禁止されている範囲。

  • 新しい否定論」: 温暖化そのものは否定せず、「気候変動の影響は無害または有益である」「温暖化対策(太陽光発電、EVなど)はコストがかかりすぎて実行不可能である」「気候科学自体が信頼できない」といった主張。→ YouTubeのポリシーの狭い定義から外れており、収益化が続いている範囲。

2023年時点で、YouTube上の気候変動否定コンテンツの約70%が、この「新しい否定論」にシフトしていることが確認された。

この事実が突きつけるのは、彼らにとって気候変動の是非は本質的な関心事ではなかったということだ。

彼らの行動原理は、憎悪や対立を煽るコンテンツを生産することで、プラットフォームからの広告収益分配を最大限に引き出すことにあった。

すなわち、デマの拡散は、金銭的な利益を目的とした「憎悪のビジネスモデル」として成立していたのである。

コオロギ食にしろ、太陽光発電にしろ、「彼らは不正に金を得ている」とデマを吹聴する人たちも、デマを発信することで得られる利益がある点は留意したい。

特に昨今のX(旧Twitter)は、デマや扇動的なコンテンツがはびこりやすい構造を強化している。

2023年8月以降、投稿がバズり、大量のインプレッション(表示回数)を獲得することで直接的な収益が得られるようになったからだ。

これは、ユーザーに対して「注目を集め、エンゲージメントを最大化するコンテンツ」を生産するよう、金銭的な動機を与えることを意味する。

結果として、事実よりも、怒りや対立を煽る、単純化された陰謀論がより多く生産される土壌が醸成されたのである。

ところで、先日Instagramを見ていたところ、まさに絵に描いたような「憎悪を商品化するビジネスモデル」を体現するアカウントを見つけた。

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