私の「虚栄心」は死んだ。借金を背負ってようやく見えた北極星。
私の経歴書には、語られていない「空白の数年間」がある。
普段扱っているテーマのせいか、私はしばしば「清廉潔白な理想家」として扱われる。
だが、その実像は、多くの人が抱くであろうイメージとは程遠い。
私の原点は、高尚な理念などではなく、もっと俗っぽく、剥き出しの「生存本能」から始まっている。
地球環境を憂う余裕など微塵もなく、ただ己の口座残高と、画面の向こうのアルゴリズムをいかにハックするかに心血を注いでいた頃の話だ。
今回は、いつもの「きれいごと」は一度横に置いておきたい。
私が直面した無様な現実と、どん底で銀行の借金を背負った人間が、そこからどうやって「サステナビリティという勝算」を見出したのか。
その生々しい内幕をお話ししよう。
空白の物語:女子高生のカバンと哲学者の誤算

私の起業家としてのキャリアは、2016年8月、会社を辞めた直後の「ある誤算」から始まった。
私は、Instagramやnoteなどの表立った場において、
「サステラを立ち上げる以前は、ファッション関連のWEBメディアを運営していた」
と説明してきた。
それは嘘ではないし、経歴の大部分を占めているのも事実だ。
だが、もう少しだけ解像度を上げて語るならば、私の起業家人生には、その前日譚とも呼べる、ほんの短い「空白の物語」が存在する。

当時、独立したばかりの私には、一つの確信があった。
「高校生向けのスクールバッグ販売」だ。
横浜の女子高生たちの間では、なぜか地元のとある男子校の指定バッグを持つことが一種のステータスとなっていた。
他校の、しかも男子校の鞄をファッションとして持ち歩く。
この不可解で局所的な熱狂を目の当たりにした私は、直感した。
「このローカル・トレンドをハックして、より洗練されたデザインを作れば、爆発的な富を生めるのではないか」
商売の匂いを嗅ぎつけた私は、すぐさま工場に発注をかけ、実家の自室には20個の在庫が積み上がった。

しかし、現実は冷徹だった。
無名の若者がバッグを宣伝したところで、ネットの海には一滴の波紋すら起きない。
誰も私の声を聞いてはいなかった。
「どうすれば人に注目してもらえるのだろう?」
集客に行き詰まった私は、苦肉の策として、商品とは無関係な記事を書くことにした。
趣味らしい趣味もない、実につまらぬ人間である私が、ブログのテーマとして消去法の果てに選び取ったもの。
それが、人生で唯一、飽きることなく眺め続けてきた「歴史」という景色だった。
「せっかく時間があるのだから、歴史上の人物や出来事を面白おかしく伝えてみよう」。
それはビジネスというより、半ば趣味のようなブログ更新であった。
しかし、転機はそこから訪れた。

古代ギリシャの哲学者・ソクラテスのエピソードを、私なりの視点で面白おかしく紹介した記事を書いたところ、これが本命のバッグ紹介記事を差し置いて、爆発的に拡散されたのである。
「無知の知」を説いた哲学者が、2000年以上の時を超えて、私の窮地を救ったのだ。
多くの人が私の文章を読み、笑ってくれた。
そして、その膨大なアクセスは、ブログに貼っていたGoogleの広告を通じて、またたく間に収益へと変わっていった。
在庫を抱え、必死に売り込みをかけても一円も動かなかった数字が、ただ文章を書き、人の心を動かしただけで、当時の私には信じられない額の利益として跳ね返ってきたのである。
言わずもがな、「歴史」というテーマでアクセスを集めたブログなので、肝心のバッグは一切売れなかった。

そこで私は、ある残酷なまでの経済合理性に気づいてしまった。
苦労して在庫を抱え、発送業務に追われる「物」の商売よりも、ただ記事を書き、そこに人を集めるだけの「情報」の商売の方が、遥かにレバレッジが効き、利益率も効率も圧倒的に高い。
「これだ」と確信した瞬間、私はバッグ事業を完全に放棄した。
この強烈な原体験が、私をWebメディアという底なしの沼へと引きずり込んだ。
私はSEO(検索エンジン最適化)という「デジタルの戦術」に没頭し、翌月には「メンズファッション」のメディアを立ち上げ、本格的な事業化へと突き進んでいった。
拡大と慢心:数字だけを追いかけた日々

2018年10月。
SEOや広告を徹底的に研究し、「書きたいことを書く」のではなく「アルゴリズムに最適化し、売れるための文章を書く」ことを追求していった結果、メンズファッションサイトの数字は私を裏切らなかった。
画面越しに跳ね上がるアクセス数と、それに比例して膨らんでいく収益。
個人の副業や趣味の域を遥かに超え、一つの「事業」として制御不能なほどの勢いが増していくのを肌で感じていた。

この波をさらに大きな潮流にしたい。
その衝動に突き動かされるように、勝負に出た。
私は法人成りし、株式会社を設立した。
事業を広げる中で目をつけたのは「インターネット回線」の比較メディアだ。
なぜ、ファッションから一転して通信インフラなのか。
それは、当時のウェブビジネスにおいて「SEO(検索エンジン最適化)」と「アフィリエイト(成果報酬)」の掛け合わせこそが、極めて収益性の高い、言わば「黄金の鉱脈」であると確信したからだ。

在庫を持たず、検索エンジンのアルゴリズムを攻略し、高単価な商材へと送客する。
この「勝利の方程式」を横展開することで、事業は幾何級数的な成長を遂げた。
いつしか会社の売上は、かつて会社員として身を粉にして稼いた収入の、優に10倍に迫る規模へと膨れ上がっていた。
絵に描いたような右肩上がりの数字に、私は完全に酔い痴れていた。
社員を増やし、横浜駅のすぐ近くに立派な事務所まで借りるようになった。
オフィスで数字を見つめる自分に、「成功者」としてのアイデンティティを重ね、本気でそれを自分の実力だと信じ込んでいた。
しかし、当時の私の中にあったのは「いかにGoogleの順位を上げるか」「いかに効率よく刈り取るか」というハックの思考だけだった。
画面の向こうにいる生身の「人」ではなく、検索エンジンの「アルゴリズム」という名の機械と戦っていたのだ。
数字は伸びていた。
だが、心の深淵では「これは本当に自分のやりたかった実業なのか?」という空虚さが、不気味なほど静かに広がっていた。
転落と再起:元社員との共闘

2019年の末。
Googleのアップデートで検索順位が急落し、コロナ禍の広告費縮小が重なった。
売上は蒸発した。
横浜の事務所を畳み、社員を解雇した。
銀行から融資を受けた。
それでも足りなかった。
私は、親に頭を下げて金を借りた。
これが、何よりも苦しかった。

思えば私は、社会が敷いたレールの上を器用に歩くことが、どうしてもできない人間だった。
受験も、就職も、世の中が良しとする競争の中で、私は何ひとつとして望む結果を出せたことがなかった。
周囲が当たり前にこなしていくことが、私にはどうしてもできない。
そんな不器用な私が、人生で初めて「自分にもできるかもしれない」と手応えを感じ、唯一、成功の兆しを見出せたのが起業という道だったのだ。
右肩上がりの数字は、これまでの劣等感をすべて拭い去ってくれる魔法だった。
ようやく、胸を張れる自分になれた気がしていた。
それなのに、現実はどうだ。
唯一の誇りだった事業に失敗し、私はまた、あの頃と同じ「何ひとつ上手くいかない人間」に逆戻りして、無様に実家の敷居を跨いでいる。
情けない自分を曝け出すだけではない。
彼らが汗水垂らして蓄えてきた、老後の安寧を守るための大切な資金にまで、私は手をつけようとしているのだ。
その背徳感と自己嫌悪で、喉の奥には常に焼けた鉛が詰まっているような感覚だった。
あの夜の、親の瞳。そこにあった隠しきれない不安と、私の不甲斐なさをすべて飲み込んでしまうような深い慈愛を、私は一生忘れることができない。

通帳に振り込まれた借入金を見つめながら、私は自分の脆弱さを痛感した。
「たまたま上位にいたからクリックされた」だけの、顔の見えないユーザーを相手にする商売には、持続性も誇りもない。
「アルゴリズムに選ばれるのではなく、ユーザーから『この人の言葉だから聞きたい』と能動的に選ばれる存在にならなければ、もう生き残れない」
そう決意した私は、主戦場を検索エンジン(Google)からソーシャルメディア(Instagram)へと移した。
アルゴリズムに支配されるのではなく、人の心を動かすことで生き残る道を選んだのだ。
ただし、ここで誕生するのは、まだ「サステラ」ではない。
再起をかけて私が着手したのは、占いのメディア運営である。

そこに高尚な志など、一片もなかった。
借金という重圧に背中を焼かれながら、私はまだ、アフィリエイトで効率よく儲かるジャンルを選ぶという、かつての成功体験の亡霊に取り憑かれていたのだ。
ツールこそ変われど、私の根底にある思考は、まだ何ひとつ変わっていなかった。
とはいえ、当時の私にInstagramの知識など皆無に等しかった。
暗闇の中で途方に暮れた私が、最後に頼ったのは、ある一人の人物だった 。
それは、経営危機の際に断腸の思いで解雇せざるを得なかったかつての仲間である。

その仲間は個人的にファッション系のアカウントを運用しており、かつての社内で唯一、Instagramの生きたノウハウを持っていた。
一度はその手で未来を断ち切ってしまった相手に、自分の不甲斐なさを晒し、恥を忍んで助けを求めた。
過去の負い目も、未来への不安もすべて抱えたまま、私たちはもう一度手を取り合った。
仲間の確かな知見という『理性』と、私の言葉という『感情』。
こうして、止まっていた私たちの時間は、再び力強く動き始めたのである。
ちなみにこの時、共に占いメディアのInstagram運用に携わってくれた仲間こそが、現在のサステラの共同創設者であり、クリエイティブディレクターである。
深まる迷い:経営者としての倫理観の分岐点

当時のInstagramには、占い師個人が言葉を発する場所はあっても、雑誌のページをめくるような高揚感とともに、占いの世界を旅できる「メディア」という器は、まだどこにも存在していなかった。
この広大なSNSの海にぽっかりと空いた空白こそが、私たちが逆転を懸けて飛び込むべき、未開のフロンティアだったのだ。
この市場の空白を突いた戦略と、仲間の磨き抜かれた運用ノウハウは、驚くほど鮮やかに的中した。

フォロワーは瞬く間に数万人を超え、画面上の数字は、かつてない勢いで膨れ上がっていった。
主戦場を検索エンジンからSNSへ移したことで、私は資本主義という冷徹な淘汰の波から、首の皮一枚で、文字通り命からがら逃げ延びたのである。
時代に適応した、と言えば聞こえはいい。
けれど、数字が伸びるのと反比例するように、私の心には二つの深い楔(くさび)が打ち込まれていた。
一つは、自身の倫理観との痛切な摩擦だ。
私は昔から、自らの確信が伴わない言葉を他者に手渡すことができない。
それまでの人生において、占いに救いを求めたことなど一度もなかった自分が、それを「売る」側に回る。
その歪(いびつ)な構図を埋めるために、私は「論理」という名の鎧を纏おうとした。
「占いは儲かる商材だ」と割り切る強さがあれば、景色はもっと明快だっただろう。
けれど私は、その活動に無理やり魂を宿らせようと、あるいは「これは価値ある仕事なのだ」と自らを言いくるめるために、歴史や哲学の深層を掘り起こしては、必死に理論武装を重ねていた。
それは、肥大していく自己欺瞞から目を逸らすための、あまりに不器用で、切実な抵抗だった。

中古で1万円以上する『世界占術大事典』を手に入れ、古今東西の占術の歴史を浚(さら)った。
そこで私が目にしたのは、単なる迷信の集積ではなく、人間が数千年にわたって積み上げてきた、途方もない「救い」の体系だった。
空に浮かぶ星々を、自らを超越した高次の存在として仰ぎ、そこに大いなる力を認める。
それは、紀元前の人々にとって、呼吸をするように自然な振る舞いであり、特定の対象に神聖を見出そうとする「宗教」の本質にも通ずるものだ。
何が正解か分からず、信じるべき指標を失いがちな昨今において、星々に自らの運命を問い、救いを求める行為には、間違いなく人類が培ってきた切実な価値がある。

けれど、それでも。
その「救い」の体系を、自分のビジネスという枠組みに当てはめようとしたとき、最後の最後でどうしても「腹落ち」が得られなかった。
私が受け入れられなかったのは、占いの世界そのものではない。
その神聖な営みの歴史を、ただ「効率よく儲かるための商材」として消費し、アルゴリズムの餌食にしようとしていた、自分自身の浅ましい魂の在り方だったのだ。
もう一つは、隣の芝生の青さに対する羨望があった。
Googleの変動とコロナ禍という鉄槌を受け、かつてのアフィリエイト仲間たちは、次々と別の道へ霧散していった。
中でも、広告費を投じてアクセスを買い、成果報酬との差益を抜くアドアフィリエイトで巨万の富を築く者たちの景気の良さには、正直、羨望がなかったかと言えば嘘になる。
そもそも、私の経営者としての出発点は、SEOアフィリエイトによる幾何級数的な成長によって、己のアイデンティティが「成功者」として書き換えられてしまった場所にある。

一度その味を占め、右肩上がりの数字でしか自分を定義できなくなった人間は、たとえその後でどれほどの敗北を喫しても、無意識に「あの熱狂」の再現を求めて彷徨い続ける。
それは、ギャンブルで一度大儲けしてしまった人間が、負けが込んでもなお、あの万馬券やジャックポットの快感を忘れられずに通い詰める心理と、酷いくらい似ていた。
だからこそ、かつての「成功の方程式」の再来を予感させるアドアフィという領域に、私が惹かれないわけがなかったのだ。
私がInstagramという荒野で、地道にユーザーと交流をしながら、指先に血が滲むような思いで数十万円の売上をコツコツと積み上げている傍ら、彼らは涼しい顔で月に数千万円という、文字通り「桁の違う」利益を叩き出していた。
「これこそが、かつての自分が手にしていた『最短の正解』ではないか?」
スマホの画面越しにちまちまと投稿を作成し、一円を積み上げるような小さな商売を必死に回している自分が、たまらなく惨めだった。
かつての「効率の権化」だった自分はどこへ消えたのか。

あまりの収益性の差に目が眩み、私は深夜、薄暗い部屋で青白いディスプレイの光に照らされながら、アドアフィの攻略法を、取り憑かれたように調べ尽くした夜もあった。
預金通帳の数字が減り続ける中で、日々追い込まれていく私は、喉から手が出るほど、その「打ち出の小槌」が欲しかったのだ。
だが、その深淵を覗き込むほどに、ある冷ややかな確信が私を支配していった。
それは結局、戦場が「検索エンジン」から「広告プラットフォーム」に変わっただけで、かつて私が没頭し、そして崩壊したSEOアフィリエイトと本質的には何も変わらない、ということだ。
どちらも巨大なプラットフォームという盤の上で、アルゴリズムや入札単価という「他者の論理」をハックし、いつ音楽が止まるかに怯えながら空席を奪い合う、不毛な「椅子取りゲーム」の延長に過ぎない。
情報を右から左へ流し、その通行料を掠め取るだけの行為に、私が求めた「実業」の手触りは、どこまで探しても見当たらなかった。
「たとえ数千万を稼いでも、明日プラットフォームに背を向けられたら、私には何が残るのか?」

その問いに答えられない自分に気づいたとき、私は静かにブラウザを閉じた。
そして、あの暗闇の中で、かつての自分を形作っていた成功体験を自ら切り捨てた痛切な訣別こそが、私の経営者としての倫理観における決定的な分岐点だったのだと、今になって強く思う。
どれだけ喉から手が出るほど金が欲しくても、社会に対する新たな価値が宿らないモデルには、もう手を染めてはならない。
一人の人間として、これだけは譲れない不器用な意地。
その最後の一線を守り抜くことだけが、私に残された唯一の光だった。
覚醒:「力」ではなく「規範」で勝つ

2020年9月。
自分が心の底から信じきれていない情報を、知識という鎧で塗り固めて発信し続ける日々に、私は拭いがたい違和感を抱えていた。
それは、事業としての限界というよりも、私自身の「誠実さ」の限界だった。
「次こそは、利益の計算よりも先に、自分の魂と紡ぎ出す言葉が嘘偽りなく共鳴する場所を選ぼう」。
誰に恥じることもなく、自分の言葉のすべてに責任を持てる場所。
そんな「体温のある実業」を求めて、私は次なる一歩を踏み出そうとしていた。
だが、甘い理想主義に逃げるつもりは毛頭なかった。
一人の経営者として、今後も長い時間をかけて存続し続けられる領域はどこだろうか。
一過性の流行で終わることなく、時代がどれほど移り変わっても本質的な価値を積み上げられる場所。
私の頭には「AI」と「SDGs」という、二つの決定的な選択肢が浮かんでいた。

ここで私は、世界を俯瞰して考えた。
IT競争において、日本はすでにアメリカや中国に完敗している。
これからAIという「力(パワー)」の領域で、日本企業がGAFAやBATHに勝つのは至難の業だろう。
しかし、「規範(ノーム)」の領域ならどうだろう?
欧州が中心となって進めているSDGsや脱炭素といった「新しいルール作り」の領域。
歴史的背景や、「三方よし」のような精神性を持つ日本なら、この「規範」の領域でこそ、世界に勝機があるのではないか。
戦略的に考えれば、答えは「サステナビリティ」であった。
最後のひと押し:断崖から落ちるセイウチの衝撃

私の頭(ロジック)は「サステナビリティ」を選んでいた。
しかし、当時の私はまだ、次の一歩を踏み出すための決定的な「火種」を欠いたまま、出口のない焦燥感の中にいた。
一分一秒でも早く手を動かさなければ。
一円でも多く稼がなければ、自分には価値がない。
そんな、「より多く、より速く、より効率的に」という強迫観念に追い立てられ、心臓を直接握りしめられているような毎日。
にもかかわらず、私はどうしても仕事に向き合えない時間を過ごしていた。
占いメディアを運営することへの違和感と、膨らむ借金。
その重圧から逃れるように、私は深夜、暗い部屋でNetflixを眺めるような「現実逃避」を繰り返していた。

何者かになりたいと願って独立し、数字というスコアだけを追い求めてきた。
「右肩上がりの数字」こそが自分の正体であり、それが止まることは、自分の存在価値が消えることだと思い込んでいた。
そんな無残に剥がれ落ちたプライドの残骸を抱えながら、深夜に虚無的な映像を貪る自分の不甲斐なさに、猛烈な嫌気がさしていた。
だが、皮肉にもこの「脱落」こそが、私の凝り固まった心を解き放つ準備をさせていたのだと思う。
そんな中で出会ったのが、ドキュメンタリー『Our Planet』の一場面だった。
地球温暖化によって氷を奪われたセイウチたちが、居場所を求めて高い崖の上へと、すし詰め状態で追いやられていく。
そして視力の弱い彼らは、海へ戻ろうとして、断崖から次々と転落して死んでいくのだ。
巨体が岩場に叩きつけられる鈍い音を聴きながら、私は身体が震えるのを感じていた。
彼らは、資本主義が生み出した「気候変動」というシステムの犠牲者だった。
そして私もまた、同じ資本主義が強いる「止まらぬ成長」という呪縛に最適化し、その果てにアルゴリズムという鉄槌を受けて居場所を失った、システムの敗北者だった。
自らの未熟さゆえに崖っぷちに追い詰められた私と、何の責任もなく居場所を奪われた彼らを、同じ『犠牲者』として括るのはおこがましいかもしれない。
だが、そのとき私は確信した。

彼らを崖へと追い詰めているのは、かつての私のように、地球の限界を無視してでも『より多く、より速く』を自己の価値基準にしてしまった、私たちの生き方そのものなのだ、と。
もし私が、以前のように年商の拡大に酔い痴れ、競争のレールのど真ん中を走っていたら、この映像を見ても「気の毒だ」という一時的な感情で片付けていただだろう。
だが、挫折によって、親に金を借りるほどに落ちぶれたことで、私の心のバリケードは崩れていた。
守るべき「偽りの成功者」という鎧を脱ぎ捨て、ただの無力な一人の人間として、セイウチの叫びを聴いた。
そのとき、彼らの痛みは、剥き出しの真実として私の胸に突き刺さった。
「AIかSDGsか」などと、どちらが儲かるかを冷徹な秤にかけていた自分の小賢しさが、猛烈に恥ずかしくなった。

彼らの叫びは、私たちが信奉してきた「成長」という物語の崩壊を告げる、共鳴の叫びだった。
私はもう、昨日の続きである今日を、平然と生きることはできなかった。
「これまで私が泥を啜りながら磨き上げてきた『伝える』という武器を、今、何のために使うべきか」。
その答えは、崖から落ちる彼らと共にあった。
それは緻密に積み上げた戦略を根底から突き崩す、抗いようのない使命感。
私は静かにリモコンを置き、それまでの「逃避」を終わらせた。
「成功」の定義を、数字から、持続可能な豊かさへと書き換える。
数字の奴隷を辞め、命の重さを指針にする。
サステラという名の、長く、不確かな挑戦へと漕ぎ出す覚悟が決まったのは、この夜だった。
背水の陣:売上ゼロからの起死回生

パンデミックの静寂が世界を覆い、社会の前提が音を立てて崩れていた2020年11月。
私は、占いメディアを共に運営してきた仲間と共に「サステラ」という名のメディアに命を吹き込んだ。
いざ運営を始めてみると、私たちはこの場所が持つ磁力に、抗う術もなく引き込まれていった。
かつて、生き延びるために運営していた占いメディアやインターネット回線の比較サイト。
そこで感じていた、喉に刺さった魚の骨のような違和感。
資本の論理に魂を切り売りし、自分すら信じていない言葉をアルゴリズムに献上するような不協和音は、そこには微塵もなかった。
「1%のサステナブルをすべての人に」という思想は、私たち自身の呼吸や身体感覚と完璧な調和を見せていた。
そんな私の心を震わせたのは、立ち上げから間もなくして届いた、一通のメッセージだ。

「サステラさんの元でインターンをさせてもらえませんか?」
それは、トレンドの波、アルゴリズム、閲覧数、収益性ばかりを追いかけ、数字の神殿に祈りを捧げていたこれまでのメディア運営では、決して受け取ることのなかった温度を持つ言葉だった。
画面の向こう側の生身の人間が、私たちの紡ぐ文脈に自らの「居場所」を見出し、共に歩もうとしている。
「もしかしたら、私たちの発信している情報には、社会にとって価値があるのかもしれない」。
起業して以来、常に「自分がいかに儲けるか」ばかりを執拗に追い求めてきた私にとって、それは初めて、己の営みが他者の人生に光を灯し、社会の一部として機能し始めたことを痛感した瞬間だった。
しかし、現実はどこまでも冷徹で、静かだった。

高潔な理想を掲げた私の画面に並ぶサステラの売上数字は、どこまで行っても、乾いた「0」のまま。
社会に光を灯したいという淡い理想と、事業を継続させなければならないという巨大な岩盤。
この二つの歯車が、噛み合わないまま火花を散らし、私の精神をじりじりと削り取っていった。
皮肉なことに、サステラに没頭すればするほど、既存事業である「占いメディア」が叩き出す収益が、私を過去へと引き戻そうとする。
それは、泥を啜ってでも生き延びろと囁く現実の象徴だった。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」。
そんな使い古された言葉が、呪いのように脳内を駆け巡る。

サステラに未来を賭けたい自分と、確実な金に縋りつこうとする自分。
その自己矛盾に引き裂かれ、鏡に映る自分の目は、いつしか光を失っていた。
中途半端な覚悟では、この巨大な岩盤は一ミリも動かせない。
どちらかを殺さなければ、どちらも死ぬ。
2021年7月。私は、起業家人生において最も重く、そして決定的な分岐点に立たされていた。
私は、当時唯一の収益源であり、文字通り私の生活の全細胞を支えていた占いメディアを売却した。
それは、明日を生きるための酸素ボンベを自ら切り離し、深海へと飛び込むような、狂気にも似た決断だった。
長年育て、自分を救ってくれた事業を「手放す」のではない。
サステラという、まだ海図すらない未知の可能性にすべてをベットするために、私は過去を「埋葬」したのだ。

当然、猶予などない。
背水の陣どころか、背後の橋は跡形もなく崩れ落ちていた。
銀行への返済、人件費、家賃、そして日々の食費。
通帳の残高は、音を立てて底に向かっていた。
数ヶ月以内にサステラを事業として軌道に乗せられなければ、その瞬間にすべてが瓦解する。
毎朝、目が覚めるたびに通帳の数字が頭をよぎった。
「もし、誰にも届かなかったら?」
その問いだけが、何度も夜を塗り潰した。

だが、そんな断崖絶壁の淵で、運命の歯車が静かに回り始めた。
昨今の「SDGs」という記号がファッションのように消費される70年以上前から、環境や衛生という社会課題に実直に向き合い続けてきた、ある一社の老舗企業。
彼らは、実績も、確実な勝算も、何一つ持たない私たちの青臭い想いに、ただ真っ直ぐに耳を傾けてくれた。
2022年。差し伸べられた手は、絶望の淵にいた私にとって、後光が差すような救いの光だった。
首の皮一枚で繋がったその縁は、単なるビジネスパートナーという枠を超え、今のサステラを形作る魂の礎となっている。
あの時、あの極限状態で彼らとの出会いがなければ、サステラという灯火は間違いなく吹き消されていただろう。
今でも、あの胃が焼けるような痛みを思い出すたびに、私は祈るような気持ちで、その奇跡的な縁に感謝を捧げている。
未来へ:成功ではなく「主権」を求めて

2025年12月31日。いま私がこの文章をしたためているのには、明確な理由がある。
2026年、サステラを立ち上げて以来、いや、2016年に独立をして以来、私は過去最大の大きな賭けに出る。
これは、これから歩むべき道が間違いではないかを確かめるための、いわば「経営者としての魂の棚卸し」だ。
振り返ってみれば、サステラを世に送り出したのは私たち自身だが、皮肉なことに、私の方がこのメディアから多くのことを教えられてきたように思う。
資本主義という冷徹なシステムの構造、そして、その中での「人の幸福」の在り方についてだ。
会社を辞めて起業した当初の私は、無邪気にも「株式上場」をゴールに掲げていた。
だが、当時のその目標には、社会をどう変えたいかという理念も哲学も、一片すら宿っていなかった。
そこにあったのは、ただ
「富を築きたい」
「人から尊敬されたい」
「何者かとして認められたい」
という、輪郭のぼやけた、それでいて執拗な自己顕示欲に過ぎなかったのだ。
その空虚な欲求は、親の信頼を裏切り、どん底を味わい、すべてが崩れ落ちたことで綺麗に剥ぎ取られた。

代わりに私の胸に深く突き刺さったのは、
「この命と、培ってきた力を使い、この世界に一体何を残せるのか」
という、逃げ場のない問いだった。
その問いの先に、今の私の現在地がある。
2020年に画面の中で見た崖を登るセイウチ、2023年にボルネオ島で見つめたゾウやオランウータン。
彼らの瞳に映っていた絶望に対し、私が培ってきたリソースを総動員して、巨大な壁に風穴を空けたい。
この想いに一点の曇りもない。
しかし、その風穴を空けるためには、もはやたった数名の「腕力」では限界がある。
少人数で運営するメディアという殻を破り、新たな仲間を引き入れ、より大きなうねりを作らなければならない。

だが、アクセルを踏もうとする私の足元には、2020年にサステラを立ち上げてから5年たった今も重く、冷たいブレーキがかかっている。
かつて、売上が蒸発し、横浜の事務所を畳み、断腸の思いで仲間を解雇した、あの日の痛みだ。
私の身勝手な振る舞いや、経営者としての至らなさが、他人の人生を狂わせてしまった。
あの時の、背中を焼かれるような自責の念だけは、二度と繰り返してはならない。
その恐怖心が、私を長らく「組織の拡大」という名の迷宮に閉じ込めてきたのだ。
では、なぜ私は、それでも再び「チーム」で挑もうとしているのか。
そこに、私が人生をかけて死守したい価値である、「主権」という名の自由が関わってくる。

2018年の法人化から現在に至るまで、私の会社は外部資本を一切入れず、完全な独立経営を貫いている。
経営の荒波に揉まれ、資金繰りの崖っぷちに立つたび、「出資」という甘美な劇薬が幾度となく脳裏をよぎった。
資本を受け入れれば、眼前の霧は晴れ、束の間の安息は得られただろう。
しかし、それこそが、私が一人の表現者として、譲ってはならない「最後の一線」であった。
仮に投資家を迎え入れれば、引き換えに「利益の最大化」という冷徹な資本の論理に、会社の舵を委ねることになる。
経営効率という美名のもとに、メディアの「体温」が削ぎ落とされ、数字の奴隷へと堕していく光景を、私は嫌というほど目にしてきた。
もちろん、これは外部資本という選択そのものを否定するものではない。
自己資本の限界を超えた飛躍的なイノベーションや、圧倒的なスピード感で社会課題を解決していく局面において、出資はこれ以上ない強力なブースターとなり得る。
ただ、私がサステラという場所で守り抜きたい「情報の純度」や「中立性」を、資本の論理と照らし合わせたとき、それは共存し得ない制約になり得る。
もし私が資本という名の「見えざる検閲」を意識せねばならぬ立場にいたならば、私のこの不格好な原体験は、市場価値を高めるための「小綺麗な成功物語」へと書き換えられていたに違いない。
そんなことは、耐えられない。
私は、成功などしていない。
私はあまりに無力で、ちっぽけな人間なのだ。
今、この場所で差し出したいのは、完成された知性の標本ではない。
矛盾に満ち、迷い、泥の中を足掻き続ける一人の人間の、剥き出しの「不完全さ」そのものである。
天才の閃きとは無縁な場所で、私は幾度も人生の分岐点を見誤ってきた。
自らの肥大化したエゴと、経営者としての未熟さゆえに、信じてついてきてくれた仲間の人生を翻弄し、その大切な歩みを止めてしまうような決断を強いてしまった。
そうして自責の念に焼かれながら、私自身も奈落の谷底へと突き落とされてきたのだ。
だが、その暗闇を這いずり、絶望の重力を肌で知ったからこそ、私は「サステラ」という現在地を、他ならぬ自分自身の足場として見出すことができた。

「大きくすること」よりも「本質的であること」を。
「バズること」よりも「信頼されること」を。
2026年の挑戦は、この「独立した意志」を保ったまま、いかにして社会の壁を壊すかという、私なりの組織論の実験でもある。
何者でもなかった私が、ソクラテスの記事を通じて「伝える」という行為の根源的な喜びに震えたあの日から、私の北極星は変わっていない。
効率性という名の重力に抗いながら、私は、そして私たちは、終わりのない対話を続けていく。
己の人生を、そしてこの世界を、自分に嘘のない言葉で、自由に泳ぎ回るために。
この不確かな時代の荒野で、自分たちの主権を誰にも譲らず、ただ誠実であるために。
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