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編集長の恋4

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さっきから机の上の電話が鳴りっぱなしだった。編集という仕事は、本来集中することが何よりも大切なはずではないのか。それなのにどこの出版社でも、デスクの電話はジャンジャン鳴る。しかもうっかり出ようものなら大概は辟易する内容だ。
先週花江に結婚の話をされて以来、俊郎は何も手につかなくなった。お父さんにはもう相談しない、というセリフは思いのほか効いた。
あの翌日啓子より、もうすでに式の日取りも決めていると聞いた。相談も何もあったものではないが、何も話をされないとなるとやはりこたえる。式は四か月後の十月。もしかして今はやりの既成事実婚か、と心配したがどうやらそれはないらしい。
小さい頃は何でも話してくれた花江が、中学くらいからかいつの間にかどんどん離れていった。啓子とは女同士色々とうまくやっている様だが、自分は常に蚊帳の外だ。
日取りまでも決まっていると聞き、あの野郎の長い首に縄でも括り付けてやりたい衝動にかられるが、それでも具体的な話をされると、花嫁と一緒に歩く十月のバージンロードを想像したりするのだから、親心とは不思議なものだ。
花江に言われるまでもなく、一人娘が結婚によって幸せになるのを喜ばない親はいない。でもそれが現実となるとやはり戸惑う。自分でも大人げないとは思うが口を挟みたい。父親として何かしてあげられる事はないのか、本心からそう思う。
小さい時分は自分のものだった花江。その娘に対しての影響力を、幾分かでも取り戻す最後のチャンスにも思えた。
結婚資金は援助してやろう。でもそれだけでは何かが足りない。ではそれが何なのか? どうしたら娘に本当の思いを伝えることが出来るのか? 俊郎はずっと考えていた。
 
気がつくと内線のランプが点滅している。俊郎は反射的に受話器を取った。
「何とかさんとか言う方です。編集長にって言ってます。ええ電話が遠かったものでよく聞こえませんでした」
山椒魚の山本だった。電話もろくに取れないのか。舌打ちしながら切り替えた受話器の先では、思った通り知らない相手が、こんにちは、なんて呑気な声をあげている。
「憶えていらっしゃいますか、先日琢磨さんの出版パーティーでお会いしたものです」
「えっ、ええ、そうでしたか。ああーはいはい。それで今日は?」
男はゴトウと名乗った。名刺交換をしたらしい。
毎回この次は、お前なんか憶えていない、と言ってやろうと思う。こういう輩は後を絶たない。かかって来る電話のほとんどが、保険やら健康食品やら原稿やらの売りこみだった。パーティーなどで名刺交換などしなければ良いと思うが、大概酔っているのでこういうことになる。  
今日はどうやら持ち込み企画らしかった。どいつもこいつも自分の企画に必ず興味を示すと思っている。だってそうだろう、ベストセラーになるのは間違いないんだから、というのがその理由だ。
「いやあ本当に遅くなってすみませんでした。やっと出来ましたよ。あの時伊藤さんとお約束した私の本の企画書が」
「約束? えっ、約束しましたか」
「もしかしたら、お忘れになっていらっしゃるんですか」
「いやそんなこと無いですよ。そうですね、約束したのならもちろん見せてもらいますよ。約束ですから」
毎回こうなる。そしてすぐに後悔するのは分かっていた。もしかしたらという思いは、きっと悪魔の発明なのだろう。
男、ゴトウはすぐにやってきた。どうやら会社の前にでもいたようだ。やはり見覚えがなかった。会った事すらないのかもしれない。
よれよれの封筒から出されたA4の束の一番上には〈シングルファーザーよ立ちあがれ! 妻に逃げられてわかった危ない夫婦・親子関係〉と印字してあった。
肩口まで伸びた髪に、ペンストライプの濃紺のスーツと真っ赤なイタリアンカラーのシャツ。どう見てもまともな会社勤めはした事がないだろう。
最近増えてきたこういう輩は、ノータイが〈自由〉と〈富〉の証だと思っている。でもほとんどの奴がネクタイはもちろんそのどちらも持ってはいない。
企画書を受け取った俊郎はざっと目を通した。予想通りで、あとはどうお帰り頂くか考えるだけだった。
「なるほどシングルファーザーですか。子育て本ですか? それとも夫婦間の話?」
「実は、僕は二年前に、女房に逃げられまして」
「そうですね。ここにそう書いてありますね」
「ええ。それでわかったんです。万物に共通する世の中の仕組みが」
「万物? 世の中の仕組み……それはどんな?」
「そうっすね、一言ではとても……。あ、そこ、そのページの見出しに書いてます。一言で言うのは難しいんですが」
「そうですか、じゃあ結構です」
「あ、いや、あえて言えば思い込みっすね」
「思い込み? 考え方とか捉え方って事ですか」
「そうです」
「じゃあ心理学でいうところのリフレーミングとかそういった事ですか」
「……」
まだ心のどこかで奇跡を信じていた己を呪った。ため息がでた。
「えーとゴトウさんでしたっけ、レンさん。後藤蓮さん。正直言うとこういった本は結構難しいんですよ。例えば子育て本と夫婦間の本、それと心理学の本では書店の置く棚が違うんです。専門的に言うと図書コードって言うんですが。それで本はすべて管理されていてですね。最終的にはこの本はどのコードで管理するか決めなきゃいけないんです」
「はあ」
「後藤さんは、これが初めての本になりますね」
「はい」
「そうすると、本当に企画書通りに書くことができるのかも問題になります。それにそもそもこの本を書くにあたって、あなたにその資格があるのかどうか」
「いや女房に逃げられたのは僕ですから。僕しか書けないです」
「そうじゃなくて、あなたが書こうとしているものは商業出版ですよね。ということは一人や二人ではなくて何万人という人に求められる内容のものでなくてはいけないんです。それに耐えられるしっかりした構成。勿論それなりに権威の人が書いたちゃんとしたものでなくてはいけない、という事は分かりますね」
うなずいている後藤がどれだけ理解しているかはわからない。構わず続けた。
「ただ単に奥さんに逃げられた普通の人が書いた、その時の対処の方法や心構えの本ってのはいかにも弱いんですよ。あなたにそれを語る資格や裏付けがあるのかどうかが問われるんです。後藤さんは何か資格とかをお持ちですか? 心理学関係でも、NLPでも、コーチングでも何でもいいんですが」
「コーチ? ああ、それは得意です。子供の町内の野球部でコーチしていましたから。小学校の。いや本当です強かったんですよ」
「はは……」
そろそろお開きだった。あとくされが無い様にしっかりと引導を渡しておかないと、後々面倒な事になる。丁寧に企画書を返そうとして、最後に念のため経歴に目を通した。
四十五歳。長ったらしい横文字の会社社長。なるほど三流大学は出ているのか。こう見えて小学生の子供が三人もいるらしい。それを男手一つで育てている。それはそれですごいな。えーとその他には、二年前に妻が失踪(駆け落ち)って書いてある。
思わず笑ってしまいそうになった目に、飛び込んでくる文字があった。
元プロのサックス奏者として有名歌手のバックを務めていたこともある。何? 元プロのサックス奏者ぁ。思わず声が出た。
「えーと、後藤さんはサックス奏者なんですか? 元プロの」
「えっ、ええまあ」
「それで現在は、あ、辞めちゃって会社経営されてる。ちなみに歌手って誰ですか?」
「色々やったすけど、そうだな一番有名なところでは元ジュリアの大迫さんのバックすかね、知ってます? ファンキー・パンキー・ガール」
「ツイタタ、ツイタタ、ツイ、君は、ファンキー・パンキー・ガールって、もちろん。へぇー、そうなんだ」
ついあの有名なギターのリフを弾く真似をしてしまう。
「まあそうです」
「じゃあ、あのサックスソロもやっていたんですか」
「はは……、一応」
「本当ですか、それはすごいな」
「いやそれほどでも」
「あの曲はすっごい流行ったよね、あれ後藤さんなんだ」
「いやあのレコードのは違いますよ、あれは別の人。僕はだいぶ後のツアーメンバーなんで」
「そうなんだ。サックスかぁ、難しいんだろうなぁ。ねえ、いっぱいこう何か押すボタンとかついているでしょ」
「ああそうすね。でも意外と簡単なんすよ。結構見かけ倒しって言うか」
「いやいや簡単だと言っても、そうおいそれとは出来ないでしょ」
「そんな事無いっすよ、今は教室とかもいっぱいありますから」
「やっぱり始めから先生についた方がいいのかね」
「そうっすねその方が。基本はやっぱり大事ですね」
「後藤さん……。あのーこんど」
「はい」
「こんどぜひ」
「はあ」
「おれにサックス教えてよ。実はおれサックスやろうとおもっていたんだよね」
「えっマジですか」
「是非教えてください。たのんます」
「へー、伊藤さんがですか。ああもちろんいいっすよ。ケーオツですよ、はは」
俊郎は興奮していた。言っちゃったよ、大チャンスが転がり込んできた。本当にサックスをやって皆を驚かせてやる。
そうだ、なんだったら花江の結婚式で披露してやる。あんなひょろひょろキリンのベース弾きがなんぼのもんだよ。見てろよ、お前たち。
サックスをきめる自分を思い描き高揚感にひたった。目の前であいそ笑いしている後藤が、急にいい奴に見えてきた。やるぞ、絶対、サックス。
「あっ、企画書はお預かりしておきます」
後藤が帰った後も、体中に力が漲って来るのを感じていた。手に握りしめた企画書の経歴の部分に〈サックス〉と大きく赤ペンで書いた。そしてそのページをちぎって財布にしまい、企画書は山の上に乗せた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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