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編集長の恋15

15
 
日名子が俊郎の部屋にきて五日が経っていた。
未だ俊郎に詳しい話はしていない。俊郎は身体のあざのことを聞きたそうにしているが、無理に聞いてこようとはしない。それがありがたかった。
最初の朝、俊郎にお金を借り駅前の商店街で、キャンバス地の赤いズックと衣類を何枚か買った。それからずっと、大学にも行かずにレコードを聴いたりして、俊郎と部屋で過ごした。夕方二人で銭湯に行き、牛乳を二本買って帰った。
俊郎を好きになったのかと言うと、よくわからない。予想がつく成り行きだったとはいえ、実際にこうなってみると、自分でもはっきりと気持が整理できない。それでも一人にはなりたくないし、なれなかった。  
今は俊郎のやさしさが唯一の拠り所だ。俊郎は凝り固まった思想もない。殴ったりもしない。俊郎に甘えることで、自分の心の穴を埋めて行くことが出来たと思う。
三日目の土曜の夜に結ばれた。西本に申し訳ない気持ちは全く無かった。絶対にあいつが悪い。西本のことは頭のどこかに押しやって考えないようにしていた。
まだ慣れない俊郎の重さを感じる度に、心が俊郎に反応し始めている。もしかしたらこれが恋になることがあるのかもしれない。
そして火曜になった今日、うたた寝から覚めるともう夕方だった。いつまでもこうしてはいられない。
「伊藤君、今日はこれからデートしようよ」
まだなんとなく気恥しくて、俊郎とは呼べないでいた。 
「デート?」
「そう。部屋にこもってばかりいたら、カビが生えるわよ」
意を決して自分の部屋に一旦戻ろうと思った。何もかも置いてきた。西本がいるかもしれないが、その時はその時で俊郎と一緒ならば何とかなる。荷物を取ってきて、またしばらくは俊郎の世話になろう。
「二人で飲みに行こう。私いいバーを知っているの。今度は私が奢るわよ。その前にアパートに一旦戻りたいの。一緒に来てくれる?」
「ええ……勿論」
 
アパートに着いた頃には、辺りはもう暗くなっていた。心細くなった日名子は西本がいる気配がしたら、やはり引き返そうと決めていた。
部屋の電気はついていなかった。ドアにはカギが掛かっている。牛乳入れの後ろに隠した予備の鍵はそのままあった。それでも一人で入る勇気がなく俊郎の手を握った。
ドアを開けるとすぐに異臭がした。酒やたばこやらのすえた臭いだ。暗がりの中、俊郎は強く手を握り返し何も言わなかった。
部屋の電気をつけた。想像通りぐしゃぐしゃに荒らされていた。吸い殻の入った中華そば屋のどんぶりと空の一升瓶が横倒しに転がっている。そこから茶色いシミが広がっていた。
部屋中に下着や服が散らばり、鏡台は鏡が割られて破片が散っている。恥ずかしさや怒りもあったが、むしろすぐに怖くなってきた。鏡台の上に置いてあった財布を手に取った。意外なことに中身が減っている様には見えなかった。
押し入れからカバンを取り出し、下着や服など身の回りの物を手当たり次第に詰め込んだ。西本が今にも戻ってくるのではと気が気ではなかった。その様子を玄関にいる俊郎に見られている。どう思われようと今は時間が惜しかった。
一刻も早く出ようとしたところに、何故かそれだけがハンガーで鴨居にかけてある真っ赤なミニのワンピースが目に入った。買ったばかりでまだ一度も袖を通していない物だ。この赤いワンピースを見ながら一升瓶を手にする西本の姿が頭に浮かんだ。
日名子は咄嗟にそのワンピースを抱え、下駄箱の上にある化粧箱から、合わせて買った赤いパンプスを取り出し、かばんに入れた。部屋の様相に呆然としているように見える俊郎を促して部屋を出る。部屋にあった自分の鍵と合鍵を持ったが、西本も合鍵を持っている。当分この部屋には戻れない。
 
足早に前を行く日名子は、俊郎が最初の晩に刑務所の前で見た時のような心許ない顔をしていた。あの部屋の惨状。泥棒ではない。男だ。想像した通り日名子は抜き差しならない状況に陥っている。
付き合っている相手がいるだろうとは覚悟していた。しかもおそらくは質が悪い男だろうとも。でも想像以上だった。その男こそが日名子の体に残っているあざの原因だろう。そう思った途端に自分の中で、憤りと同時に抑え切れない恐怖心が芽生えた。
体が小刻みに震えてくるのを感じる。日名子に全てを問い質したい。でも聞くのがあまりに怖くもあった。
大学では今でも一部の過激派の中で、頻繁に揉め事やリンチが行われているという噂だった。そういった剣呑な空気があの部屋にはある。この数日間の出来事が、もしかしたら全て悪い夢なのではないかとさえ思えてきた。
日名子とこうして駅まで急いでいる次の瞬間にも、周りから角材や鉄パイプを持った奴らが現れ、ボロ雑巾の様にされてしまう。そして血まみれで虫の息になった時に、すべてが夢だったことに気がつく……。
日名子が抱えた赤いワンピースが、先程からひらひらと目の前で揺れている。それがどんどんと大きさを増し、血のりがべったりとついた壁になっていく。次の瞬間にはその血の壁に猛スピードで激突してしまうのだ。
「伊藤君」
「……」
「大丈夫? 早く電車に乗ろう」
振り向いた日名子の目にも怯えを感じた。俊郎の手は汗でじっとりと濡れていた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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