見出し画像

編集長の恋16

16
 
寝室に啓子が入ってきて、ベッドの傍らに立った。
「そろそろ起きてください。午前中に何かご用があると仰っていたでしょう」
「ああ」
俊郎は、サイドテーブルに置いた灰皿で煙草をもみ消した。
「それじゃあ、もうご準備なさったら」
「花江は大丈夫だろうな。確かに大丈夫と言っていたのか?」
「本当に困ったものです。いつまでたっても子供の様で」
「だからおれはあの男が気にいらなかったんだ」
「そんな事今になって言われても。あなたもあなたです。本当だったら花江を止めなきゃいけないのに、二人と言い争いになるなんて」
「なんだよ」
「何とか仲直りしたようですし。これからの夫婦生活でも色々ありますからね、いちいち驚いてはいられないんですけど。それにしても話を聞いてあげなくてはいけない立場のあなたがそんなでは」
俊郎は思わず起き上がった。
「おれがいけないってのか? 花江が泣いて電話をよこしたんだぞ。結婚式の前日に。あの男の態度はなんだ。それに花江も花江だ。助けを求めておいて、話の途中で電話を切ったんだぞ。あんな勝手な奴らの結婚式に、なんでおれがのこのこ出なきゃならないんだ」
「一人娘の結婚式ですよ。それにお仕事関係の方もいらっしゃいますし」
「それが無けりゃ出ないってんだよ」
「それにしても、どちらにいらっしゃるんですか? お昼はどうされるんです? 式は四時からですから、午後には家にいてくださいよ」
「わかってるよ。昼はいらないから」
さすがにサックスを吹きに行くとは言えなかった。やっぱりそれどころではないと昨日何回か後藤へ断りの電話を入れたが、留守電だった。返電もないので仕方なく約束したスタジオまで行ってみる事にした。今日は淵野辺駅の近くにある貸しスタジオに後藤を呼んでいた。 
スタジオで十五分待ったがやはり後藤は現れない。連絡くらいくれればいいのに。封筒に入れたレッスン料も渡せなかった。一人では練習する気にもならず、そのまま家に帰った。
啓子は、あらっという顔をしたがなにも聞かなかった。黙って昼御飯の支度を始めたようだ。
家に戻ってしまうとやることがなく、急にそわそわしてきた。式が始まれば、みんなの前でサックス演奏というセレモニーが現実に行われることになる。サックスを買って四か月半。式場の進行表に〈新婦父、楽器演奏〉なんて項目まで入れてもらった。
当の娘には、そりゃあ嬉しいけれど本当に大丈夫なの、とか迷惑がられ、元プロのベーシストの新郎からは冷たい目で見られ、それでもおれはやるのか。というよりも本当にやれるのか。
昼飯はろくに喉を通らず、やっぱりさっきちょっとでも吹いとくんだったな、と思い始めたところに携帯電話が鳴った。室田和也からだった。
「ようむっちゃん、今日はよろしくね」
「あの……。今日の式の予定は、変わりなし、ですか……」
「予定? 入りの時間とかか? むっちゃんは四時でいいですよ。カメラ忘れないようにね、カメラマンさん」
「ええ……」
電話の先の室田は風邪でもひいたのか元気がなかった。
「どうした」
室田は黙ったきりだ。
「むっちゃん……。あれ、変だな。もしもし……おーい、聞こえてる?」
「……いや、そうですか。変更なしなんですね」
「なんか電話おかしいのか」
「オッケーでーす。もちろんもっと早めに行きますよ。天気も良いし、やっぱり花江ちゃんは、日頃のおこないがいいんだな」
急な大声に思わず携帯から耳を話した。変な奴だな。
「俺のおこないだよ、いいのは」
「俊さん大丈夫ですか? 寂しくて泣いていたんじゃないでしょうね」
電話の先で室田がティッシュで鼻でもかんだような音がした。声も少し変だ。今日はカメラマン本番の大事な日だってのに、昨夜飲み過ぎでもしたか。
「よせよ、むしろせいせいしてますよ。部屋が空いてようやく念願の自分の書斎が持てたってなもんですよ」
「落ち着かなくて、朝早くからゴルフ練習に行ったりしたんじゃないですか」
「ゴルフ練習? まさかねって、ま、実は半分当たってるんだけどね。ゴルフじゃなくてサックスの練習に行ったんだよ」
「本当ですか。気合入ってますね」
「それが後藤がね、来なかったんだよ。すっぽかしだよ」
「後藤さん、呼んだんですか」
「いやね大分前から約束してたんだよ、本番前の最後の練習。それが今日来なかったのさ。嫌な予感がしたから昨日から連絡してんのに、電話も出ないわ、留守電入れても折り返しもないわ。肝心な時にこれだよ」
「連絡、取れなかったでしょう」
「ああ。やっぱりいい加減な奴なんだな」
「いや、でも」
「もう奴っこさんとはこれっきりかもな」
「俊さん、実はこんなときになんですけど。後藤さんが連絡取れないのには訳があるんですよ」
「なにが?」
「いや、やっぱり何でもないです」
「なんだよそれ。気持ち悪いなぁ、言えよ、むっちゃん」
「すみません」
「そんな思わせぶり、気になるだろう」
電話の先で室田が咳を一つした。気を使いすぎるのは室田の悪いくせだ。ようやく室田がゆっくりと話しだした。
「本当にこんなおめでたい時になんですが。実は、後藤さんの奥さんが昨日病院で亡くなったんです」
「なに? 奥さん……いたの? 逃げていったのじゃなくて新しい?」
「いえ、その逃げた」
「戻ったのか?」
「そうではなくて……」
室田は歯切れが悪かった。
「実は奥さん、逃げたんじゃなくて、長い事入院していたらしいんです」
「入院?」
「ええ。昨日になって急に亡くなられて。それで後藤さん、今日は手一杯なはずです」
逃げたんじゃない? どういうことだ? 
「何か怪我か、病気で?」
「それが……、七階から飛び降りたそうです」

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

いいなと思ったら応援しよう!