3歳と5歳の娘に「平等に接する」ことができず、何度も悩んだ話──行動の平等を諦めて、心の平等を作るまで
──行動の平等を諦めて、心の平等を作るまで
「子どもには平等に接しないといけない」
親になってから、何度この言葉を頭の中で繰り返したか分からない。
特に、3歳と5歳の娘を育てている今は、毎日のようにこの言葉にぶつかる。
結論から言うと、
行動としての平等は、どうやっても無理だった。
でも、ある視点を変えたことで、
親としても、子どもとしても、少し楽になれた。
今日はその過程を、実体験ベースで書く。
子どもは「愛情の差」を本能で察知する
子どもって、本当にデリケートだ。
抱っこの順番
名前を呼ぶ回数
声の強さ
忙しいときに後回しにされた理由
大人が「そんな細かいこと」と思うことを、
子どもはちゃんと覚えている。
ある日、下の子(3歳)の世話をしているとき、
上の子(5歳)が静かにこちらを見ていた。
何か言うわけでもなく、
泣くわけでもなく、
ただ黙って。
その夜、布団の中でぽつっと言われた。
「〇〇ちゃん(妹)ばっかりやな」
責める口調じゃなかった。
怒ってもいなかった。
ただ、そう感じた事実を伝えただけ。
この一言が、正直いちばんきつかった。
行動としての平等が、構造的に無理な理由
冷静に考えると、当たり前の話でもある。
3歳と5歳では、
できること
危険察知能力
感情のコントロール
すべてが違う。
3歳は、
今この瞬間を生きていて、
危険があれば即対応が必要。
5歳は、
状況を理解できる分、
我慢ができてしまう。
結果として、
「我慢できる方」が後回しにされる構造ができる。
これは親の愛情の差じゃない。
育児の設計上、避けられない現象だった。
一番まずかったのは「説明しないこと」
当時の自分は、
心の中では「仕方ない」と思っていた。
下の子は小さい
今は手がかかる
上の子は分かってくれる
でも、その理由を言葉にしていなかった。
これが一番のミスやったと思う。
5歳の子は理解できるからこそ、
説明されないと、勝手に解釈する。
自分は後回しにされる存在
もう守られなくてもいい存在
そんな風に。
視点を変えた:「行動の平等」から「意味の平等」へ
そこから意識を変えた。
やめたのは、
「同じことをしよう」とすること。
代わりに始めたのが、
意味を言葉で揃えること。
例えば、
「今は妹が危ないから先に助けるね」
「あなたを後回しにしたわけじゃないよ」
「待ってくれてありがとう。ちゃんと見てた」
これを、
その場で、短く、必ず言う。
解決策①:後回しにしたら、必ず“回収”する
一番意識したのはこれ。
後回しにしたまま終わらせない。
用事が終わったら必ず戻る
目を見て話を聞く
抱きしめる
たった5分でもいい。
「言葉 → 行動」で回収することで、
子どもの中で納得が生まれる。
解決策②:「我慢させてごめん」をちゃんと言う
親が謝ると、
子どもは安心する。
「ごめん」は、
親の威厳を下げる言葉じゃない。
子どもの心を守る言葉だった。
解決策③:一対一の時間を“短くても”作る
完璧な時間はいらない。
上の子と2人で話す5分
下の子を抱っこして「大好き」と言う瞬間
これがあるだけで、
「比べる必要」が減る。
子どもが求めているのは、完璧な平等じゃない
今ならはっきり言える。
子どもが欲しいのは、
常に一番
常に同じ扱い
じゃない。
「私はちゃんと大切にされている」
この感覚だけ。
行動は不公平でも、
心が不公平じゃなければ、子どもは耐えられる。
この悩みを持つ親は、もう十分やっている
ここまで悩んでいる親は、
もうちゃんと向き合っている。
本当に問題なのは、
悩まなくなること。
完璧じゃなくていい。
間違えてもいい。
説明して、謝って、戻ってくる。
それを繰り返すだけで、
親子関係はちゃんと修復できる。
