なぜ、noteを毎日書くと「自分探し」から卒業できるのか
自分は探すものじゃなくて、ずっとここにある
過去に書いたノートをぱらぱら見ていたら、ちょっと刺さることが書いてあったので、今日はそのことについて書きたいと思います。
独身時代、わたしは自分のやりたいことを見つけるためにワーホリに行く計画を立てていました。(結局行っていませんが)
当時は外に世界にいけば、自分がわかるかもしれない、変われるかもしれない、と思っていたんです。
でも、生まれてからずっと同じ場所にいるわたしでも、好きなこと・やりたいことを見つけられました。
それは、noteのおかげだと思っています。
毎日書き続けて1200日以上。
最初は「自分探し」のような気持ちだったけれど、いまは「もう探さなくてもいい」と思えるようになりました。
自分って、どこかに探しにいくもの?
自分探しは、今とは違う場所でしか見つからないとどこかで思っていました。
・海外にいく
・本を読む
・診断を受ける
何かヒントがあれば、やりたいことが見つかるのでは?
新しい自分に出会えるのでは?
でも、冒頭の一文を見返したときハッとしました。
自分は探すものじゃなくて、ずっとここにある
おそらくその当時もハッとして、ノートに書いていたんだと思います。
東洋的な「修行」の視点でnoteを見る
自分探しは、西洋的なアプローチ。
言い換えれば「今の自分の中にあるものを深掘りすること」。
一方、東洋的なアプローチは「師匠に習って修行する」こと。
自分の枠を外して、外から学ぶ。
この考え方でnoteを見てみたら、
noteを毎日書き続けること自体が、″修行″だったと気づきます。
毎日noteは″鍛錬″。でも、それは「我慢」とは違う
「鍛錬」と聞くと、つらくてしんどいイメージがあるかもしれません。
でもわたしのnote習慣は、
× 我慢して書いた
〇 自分の意思で書き続けた
という意味で、″鍛錬″だったと思います。
毎日noteを書くことは、
「今日、わたしは何を感じて、何を考えたか」を言葉にする作業。
ときに、やめてしまいたいと思う正直な気持ちに向き合うことも、新たな気づきがありました。
noteを書いていたら「修行したいこと」が見えてきた
noteを毎日書いているうちに、″何者になりたいか″じゃなくて、
″これを続けていきたい″と思えることが、自然と見えてきたんです。
わたしの場合はそれが「言葉を書くこと」でした。
Kindle出版や、ライターとしての仕事にもつながっていきました。
自己分析では、自分の“枠内の答え”しか見えない。
でも、″修行″として取り組むと、枠を超えて自分が見えてくる感覚があります。
書くことが、あり方になった
模索していたときに、わたしがnoteを書き続けたのは、
何か答えがほしかったから。
でも気づけば、「書くこと」そのものが、わたしの道になっていました。
誰かに書いてと言われたわけでも、絶対書かなければいけないものでもないからこそ、
「書く習慣」が自分の生き方の練習になっていたのかもしれません。
″自分探し″に疲れたら、
″自分をつくる習慣″を、一緒にはじめてみませんか。
書く習慣が、自分らしさを叶えるきっかけになるはず。
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