【創作大賞2024応募作オールカテゴリ部門】 「不思議な冒険はまた今夜」
夜、寝ている時に見る夢は現実とはかけ離れていることが多々ある。
人間の脳は、夜寝ている間に、日中の出来事を整理整頓し、それぞれの出来事をその人の脳の引き出しに勝手にカテゴリー化して収めるらしい。
起きている時、すなわち意識がある時には起こりえないであろうことを時々、しかも同じような夢をみるもののようである。
だから、私にとってあるパターン化された夢は不思議な冒険であり、現実とはかけ離れ、無意識の世界で起きている。それは時々見る冒険、それは今夜かもしれない。
私は鳥だったのか
なぜか、どういうわけか、夢の中で空を飛んでいる自分がいる。
まるで、鳥になったようだ。恐らく、映像記憶からくるものであろう。
鳥になったような気がするのだが、羽根があるわけではなく、私自身がロケットのようになって飛んでいる。私の身体は意識はできない。まるで目玉だけが、周囲を俯瞰するような感じでもある。
たまに見るこの空を飛ぶ夢は不思議である。
ある時は、広い野原を山々に向かって飛んでいる時もあり、それはそれは果てしなく続くようで、どこへ向かうという目印のようなものがないから、夢を見ながら不思議な気分になるのである。
また、ある時は、地面から飛ぼうとしているが、中々うまく飛び上がれない時もある。ちょっと飛ぼうと意気込んでいる自分を感じ、そして、飛べなくて地面に落ちる。しかし、夢なので、地面に落ちても痛いとか、衝撃を感じるということはない。その時に、前はこんなだったよなぁ、とうまく飛んでいる夢を、夢の中で自分に語り掛けて、低空飛行ながらも飛ぶことができたりするからこれまた不思議である。
ある日、広い野原を飛んでいると、その先に断崖絶壁というよりは、とんがったかなり高い岩にたどり着いた。その先は海であった。
海の波は荒々しく、周囲に人がいる時もあれば、いない時もある。
周囲に人がいるからといって、何か話をするということはない。
だって、私は鳥だから。
じっと周囲を見ているだけである。
遠くの方に町が見える。幼いころよく連れていかれたデパートなど大きな看板までもが見える街並みが見える。ただ漠然と眺めているだけで思い出に浸るわけではない。
高い岩の上を飛んでいる時もあれば、波際で荒波をじっと見ている時もある。
夢の中で、今日は海鳥になったのだろうかとさえ考えることもある。
夢の中で、自分と対話しているのである。そんなことが無意識の中でできるものなのだろうか。つまり寝ている間を無意識と仮定した場合、無意識の中で、意識をもって、自分に話しかけたり、あるいは考えたりしているのである。
この空を飛ぶ夢は時々、不定期に見る不思議な夢である。

私は無免許です
私は、車の運転免許を持っていない。免許取得のタイミングを見事に逸したのである。よくよく思い起こせば、もしも東京に出てくることがなければ、きっと取得していたであろう。そして、ある会社を辞めた後、しばらく時間があり、すでに40歳を過ぎていたので、取得するとすればその時しかなかったであろう。
というわけで、未だに取得するつもりもない。
そもそも、私はどちらかといえばおしゃべりな方だと思う。
自分でも、恐らく運転しながらおしゃべりに夢中になって、歩道を走っていることに気がつかないであろうことは想像にかたくないと思い込んでいる。
したがって、今後も運転免許とは縁がないはずである。
ところが、不思議なことに、たまに私が運転している夢をみるのである。
恐らく、田舎暮らしの頃、そして私がまだ若かった頃、私の父は外国車を色々と乗り換えていた時期があり、私はもっぱら後部座席で、外を眺めているのが好きだった。
そのせいだろうか、なぜか夜中にこっそり父の車を運転して、見つからないように戻ってくるという夢なのである。
ずいぶん昔の話なので、今となっては、もしかしてあの頃、本当に自分はこっそり夜中に家を抜け出して車を運転していたのではないだろうかと錯覚するのである。
郊外に住んでいたこともあり、街に向かう途中の坂道や家に戻る時の上り坂などを爽快に運転している自分を感じるのである。
この先は、どこへ行く道とか、家に戻る時に必ず通る上り坂で脇道からは笹薮が歩道にはみ出している、そんな道をそーっと運転して、静かに家に戻るのである。
夢とは面白いもので、車の運転をしている場面は、実にリアリティを感じているものだが、その続きはなぜか覚えておらず、車庫にきれいに入舎できたのかどうかまではあいまいである。
朝、目が覚めて不思議な感覚が沸き起こってくるのが、この夢で、たまに思い出したようにみるのである。

日本語じゃない
本当は、そこまで英語を話すことはできないはずなのに
私の英語力は、詰め込み教育のおかげで中学、高校レベルというのが正直なところだと思う。
特に英語塾らしいところに通ったことがないといえばウソになる。某有名大学が運営している、大学構内にある、外国語専門学校の夜間部に通ったことがある。そこは多言語の専門学校で、その中の「英会話コース」を2年(初級、中級、上級)で卒業した。
その後、自分の英語が本当に通じるかを試してみたくなり、ニューヨークにある(本部はロスアンゼルスで夏場だけニューヨーク校が開設される)駅前留学的なところへ二週間ほど行ってきたのである。
そこでは、時期的にヨーロッパの大学入学前の学生や英語を話せるようになりたいというヨーロッパ人(イタリアの新聞社で働いているという中年夫婦などの夏季休暇の人達)が大半で、日本人は私一人だけであった。
当時、真面目に勉強したかといえば、ほぼほぼ遊んでいたのである。
授業は午前中だけで、お昼はバラバラでも宿舎が同じ仲間と夕飯を兼ねて夜な夜な街に繰り出したというのが実際であった。
その経験から、ある程度の会話ができるようになり、当時はディスコ、今ではクラブという斬新的なお店にも色々行った記憶がある。明け方まで遊びほけて、
「明日行く?」
「もちろん!」
と皆で確認したものの、何人かは二日酔いか何かで、授業をさぼった輩もいた。
それがきっかけで、毎年休暇の度にニューヨークを訪れるようになった、
私の遅れた青春時代であり遊学時代でもある。
ニューヨークは東京と同じで、眠らない街、飽きない街、刺激的な街だと思う。しかし、それは私が若かったからそのように感じ、そしてできたことなのだろうと思う。
20代~30代にかけて、外資系の会社に勤務していた。そのこともあって、ニューヨークやサンフランシスコに度々行っていた。
仕事の場合もあるし、遊びの場合もあり、いずれにしてもよく行っていた。この二つの街は、私は今でも好きである。歳をとったせいか最近はニューヨークへの興味は大分薄れてきたように思う。
ニューヨークでは、お芝居をよく見に行った。アンダーグラウンドと呼ばれるような、いわゆるヴロードウェイにのし上がるまでには、段階があるのだが、その下部劇場のお芝居は、小劇場ながらの臨場感や迫力感があって大変面白いのである。
気に入ったお芝居は、毎年見に行くようにもなったのは、そのころである。
サンフランシスコは、仕事がらみが多かったため、現地の友人もでき長い休暇が取れた時は、サンフランシスコ経由でニューヨークに行くのが、お決まりのコースであった。飛行機の搭乗時間(サンフランシスコまで7時間、そこからニューヨークは3時間)を考えると、移動等の計画が立てやすかったからである。
まさか海外に旅行することなんて、子どもの頃には考えてもみなかったことが、生きていれば様々なことがあるように、私にも起こったのある。
その数々の思い出が、夢となって時々現れるのである。
大体必ず出てくるのが、ニューヨークの地下鉄とヴロードウェイの通りだろうか、それとも、トライベッカの当たりだろうか。
地下鉄に乗っている時の場合は、なぜか車内にいないのである。
先頭車両のドアを開けて、真っ暗いトンネルの中をじっと見ているのである。そして必ず見えるのが、車輪とレールが摩擦で起きる火花である。ある時は、ドアを開けて外を見ると、トンネルの中のはずなのに、隣のレーンに真っ赤なドロドロとしたマグマが流れているではないか。ドロドロと流れているマグマ近くならば相当に熱いはずなのだが、熱くはないのである。夢だから当然といえば当然のことではある。この時ばかりは、恐怖よりも驚きで目が覚めたのである。
そして、すぐに最近ニューヨークに行ったかを確認してしまったが、頭が覚醒し始めて、やっと夢てあったことを認識したのである。ニューヨークに最後にいってから10年以上は経っている。
そのころ、世界各地の活火山の噴火映像がテレビで流れていたせいだろうか。噴火でマグマが流れる映像は時々テレビで放送されるので、その記憶
が沸き起こってきたに違いない。
この手の夢は、話す場面はほとんどない。ある続きの夢からの延長でアドリブ的に夢と夢のはざまに現れるのである。
では、英語を話している夢というのは、うる覚えでしかないがかなりの頻度で出現する。場面としてはニューヨークの一角での出来事で、買い物をしている場面であったり、言い争いの仲介に入ったりしたような時にペラペラと流暢に話しているのである。
また、タイムズスクエア(マンハッタン中心部)あたりから、ワシントンスクエア(マンハッタン南)近くの小劇場に行こうとしているのに、なぜかいつも到着するのが全然方向も場所も違うアポロシアタ―(マンハッタン北、セントラルパークより北)あたりで、困ってしまってどうしてそうなるのかを周囲の人に聞いている夢なのである。なぜかあたりは真っ暗で、道路も真っ黒なのである。実際は、マンハッタン内は街頭もそれなりにあるし、あたりが暗くなっても、道路が真っ黒というのは、夢だからなのであろう。
それにしても、よくもまぁ、あんなに英語を話していたものだと目覚めてから自分に感心してしまう夢で、印象的な夢の一つなのである。

ふるさとは遠くにありてありがたきもの
幼い頃、特に小学生の頃の記憶である。たまに都会から転校生がやってくる。どうしてうちは引っ越しとかないのか疑問に思っていた。当時公務員だった父は、決まった時間に出かけ決まった時間に帰宅する。夕飯は夜の6時過ぎで、子どもの就寝時間は8時であった。ある意味パターン化された生活から逃げたかったのか、あるいは飛び出してみたかったのだと思う。
大人になって、引っ越しを経験する度に自分の人生で一番長く住んでいた期間というのが、結局の所生まれてから中学2年頃までの十数年の実家なのである。元々曽祖父の代に広々とした敷地を購入し、その一角に住まいがあった。それほど大きな屋敷ではないが、裏には倉庫もあり、お風呂ば別棟で、渡り廊下を渡って行く建物があった。そして、小学生になると自分の部屋が与えられ、そこは家の一番隅であった。
狭いながら自分の世界があったような気がする。窓は二方向についてあり、一つは庭が見え、もう一つは裏山のような崖があり、神社への近道にもなった。
本当にうる覚えなのだが、崖の上に、ある時期ヤギがいたような気もするが、それはもしかすると自分の部屋のそばの崖ではなく、親戚の家の近くで見たヤギだったかもしれないが、いずれにしても子どもながらにヤギってかわいいものだと思ったものだった。
そんな実家は道路からやや上った丘の上に合ったように記憶している。そして、家の前には井戸が掘ってあり、断水などが起きると近所の人たちがよく水をもらいに来ていたのを記憶している。
実家の出入り口はメインの玄関、お勝手口、そして風呂場へ行く入り口の3つであった。玄関は玄関内に自転車が置いてあり、父の通勤自転車であった。
トイレは昭和の人なら知っているであろう、ポットントイレ(下を見るとうんことおしっこまみれのどろどろの沼がある)で幼いころはとても怖かった。それは落ちたらどうしようと怯え、そのせいか便秘がちであった。
トイレで大便をしたくなかったくらいだが、生理現象には勝てないので、思わず外の倉庫の裏でこっそり、外で大便をしたことも思い出した。広い野原での出来事ではない。見つからないように、そっとお勝手口から出て、倉庫の裏の方へ向かいしゃがんだのである。
爽快感というよりは、後ろめたい気持ち、見つからないで欲しいという子どもながらに思ったものだった。
リビングダイニング、両親の部屋、客間、自分の部屋というこじんまりとした佇まいだったが、中学生の頃待望の引っ越しがあって、実家は別の場所へと移った。
不思議なことに、必ず夢に出てくるのが、小学生時代、自分の部屋を謳歌したためかこの家なのである。
夢の中で、困ってたどり着くのがこの実家であり、自分の部屋の隣の客間なのである。
何度か引っ越しを経験したことがあるが、途中何度目かの引っ越しで、変な間取りの家にたどり着く。そこは、玄関がなくいきなり縁側から入り、長屋のような間取りで、襖を開けると別の家族の家というか部屋だったりして、慌てて入り口に戻ろうとすると、実家の客間から繋がっている自分の部屋に戻れてほっと安心するのである。
目覚めた時に、あの家はいつ頃住んだ家だったのか、本当にあのへんな間取りの家に住んだことがあるのだろうかと悩むのである。
もしかすると、あちこちの親戚の家と思い出が重なっているのかもしれない。夢の最後には、必ず実家の外観と自分の部屋そして客間に戻り、そこが元のままの時もあれば、荒れ果てている時もある。
実際には、もはや跡形もなく、別棟が並んでしまって面影は私の記憶の中にしかないのである。

不思議な冒険はこれからも
これまである程度パターン化した、何度となく見る夢の話を書いたが、私が生きている限り、新たな冒険は続くのであろう。
C.G.ユングによれば、集合的無意識とは心全体の中で、個人的体験に由来するのでなくしたがって個人的に獲得されたものではないという否定の形で、個人的無意識から区別されうる部分のことである。集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している。
(出典:元型論 C.G.ユング 林道義訳 紀伊国屋書店)
今まで見てきた夢というのは、私個人の体験が織りなすものだけと思っていたが、個人の経験に加えて集合的無意識が遺伝によって存在しているとするならば、不思議な冒険はこれで終わりではなく、私自身の集合的無意識の開拓の機会が与えられ、さらなるそして新たな冒険が始まるに違いない。
了
著 Suzan Naomi
