見出し画像

note。1年たって、考えたこと。のようなもの、文のこと


なぜか続いている、noteである。
1年になる。
早いぞ、早すぎるぞ。

その間に、
短いものを100本ぐらい書いた。

どうして、
こういう展開になっているのか、
自分でもよくわかっていないが、
なんか、こんな感じになっている。

枠を作り過ぎか、
とも思えるが、
まあ、よい。

始めた頃、
そして中頃に、
少し交流のあった人たちの多くは、
今は、
noteには、いない。

やはり、
自分が発表しなくなると、
自然といなくなってしまう。

もう発表はせずに、
読む専門ということも考えられるが、
どうなのだろう...…

noteを散歩していて、
この自由さって、すごいな~
と、思うことがある。

誰かに見てもらおうとは (ほぼ) 思っていない、
と、感じられる記事である。

この他者を意識しない自由さに、
僕は時々憧れる。

何かを書くということ、
そして、
それをnoteに発表する、
という流れにおいて、
他者の目を意識しないでいるということは、
かなりの困難さが伴うはずだ。

なのに、
その記事は、こう言う。

誰かの役に立つ必要なんてないよ、
有意義な情報とかいらないよ、

自分の足跡を残す、
ただ記録する、
それだけで充分だよ、と。

今日の空は青かった、とか、
散歩した途中で見た海、とか、
そんな、
おそらくは、他者にとっては、
うーん、
そりゃ、まぁ、そうだけど……
と、思われることを、
自分のためだけに、書き留めるという潔さ!

♡スキして、とも、
その記事は呼びかけていない。

ふ〜

こんなふうには、
なかなかなれない。

けど、
そんな感じで、いいんだよ~
とも、時おり思う。

さぁ、読んでくれ、
ほめてくれ、って、
ちょっと面倒だし、疲れるもんな。


noteを始めて、
僕のまわりにいる知人・友人に、
こんなのやってる、と言うと、

最初は、少し興味を持って読んでくれた人たちもいたが、
今は、ほぼ、誰も読んでくれない。
よって、話題になることもない。

最初は悲しかったが、
1年経った今は、それが普通だと思う。

ゆるやかな繋がりを求める気持ちと、
孤独の共存。

僕だって、
他のソーシャルメディアにいくつか登録しているが、
ほとんど使っていない。

友人に、
インスタへこまめにアップする人がいるが、
結局は、
僕も見ないままになっている。

相互無関心の肯定は、
ある意味、楽だ。

実際の人付き合いは、
その方がよかったりする。

久しぶりに会った友達と、
酒を飲みながら、
お互いのSNSの更新内容なんて一切触れずに、
野球やゴルフの話に花を咲かせる。

その「知らない」という距離感が、
むしろ楽だったりするのも本当だ。

SNSの自分って、
リアルな自分とは、
ちょっと違った場所にいる、
もう一人の自分だったりするから。

はて、さて、
僕のnoteは、これからどこへ行くのか、
ま、
時の流れに身をまかせ、か。

いつ止めても、
僕も、
他者も、
誰も困らないのが、
このnoteであるわけで...…

ははは

最後に、
八木重吉の詩を、
ここへ。




+
私は、友が無くては、耐えられぬのです。
しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、
これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、
あなたの友にしてください。



八木重吉『秋の瞳』序より




ちょっと、この終わり方は、
僕らしくない。
格好つけすぎている。

なんか、気取ってて、
恥ずかしい。

ま、
テキトーに書くのかな、
これからも。

ということで、
ちょうど時間となりました~♪

来年の今頃、
まだ書いているのか、
いないのか...…







いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集