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書記が哲学やるだけ#53 神命説に基づく三段論法とその批判

問題


解説

(1) 神命説における三段論法の例を挙げよ。

神命説(divine command theory)とは,ロバート・アダムスらの立場で,道徳判断の真偽は,それが神の命令によって是認されるか否かによって決まると考える立場である。


神命説に基づく三段論法の例:

大前提(Major Premise): 神が命じることはすべて道徳的に正しい。

小前提(Minor Premise): 神は「嘘をつかないこと」を命じている。

結論(Conclusion): したがって,嘘をつかないことは道徳的に正しい。


(2) エウテュプローンのジレンマにおいて,神命説の大前提のどのような点が問題か?

エウテュプローンのジレンマは,古代ギリシアの哲学者プラトンの著書『エウテュプローン』(Εὐθύφρων)の中で,ソクラテスがエウテュプローンに語る問題である。「善とは何か?」という問いへの答えとして「神の望むこと」が候補の一つに挙げられるが,このとき「神が望むから善なのか」「善であるから神が望むのか」という先後の関係が問題になる。


もし「神が命じるから善である」とすれば,道徳は神の意志によってのみ規定され,命令そのものに客観的な道徳的価値があるわけではない。この場合,神がどのような命令を下そうとも,それが「善」とみなされるため,道徳基準が固定されていないことになり,道徳判断が恣意的になりかねない。つまり,道徳が普遍的かつ客観的な基準としての一貫性を失うリスクがある。


逆に「善であるから神が命じる」と考えると,神の命令と「善」という基準自体が独立していることを示唆する。つまり,「善」という概念が神の意志とは無関係に存在することになるため,神命説が前提とする「神の命令が道徳の基準である」という立場が揺らぐ。この場合,道徳は神の意志に従う必要がないという結論に至る可能性がある。


このように,エウテュプローンのジレンマにおいて神命説の大前提は,「神が命じるから善である」とするか「善であるから神が命じる」とするかのどちらかを選ばなければならず,いずれの選択肢も神命説の立場にとって深刻な問題を引き起こす。このため,倫理的な根拠としての神命説の妥当性は疑問視される。


(3) 論理実証主義において,神命説の小前提のどのような点が問題か?

論理実証主義(logical positivism)とは,20世紀前半の哲学史において,特に科学哲学や言語哲学で重要な役割を果たした思想運動であり,実証(verification)という検証基準に基づく認知的有意味性の概念に基づいている。


論理実証主義の観点では,神命説の小前提「神は『嘘をつかないこと』を命じている」が問題となるのは,その主張が実証的に検証不可能である点である。論理実証主義では,命題の有意味性は経験的な観察や検証可能性に基づくべきだとされている。しかし,この小前提については以下のような問題が挙げられる:


経験的観察の欠如: 神の存在そのものが経験的に観察不可能であり,神の命令も直接的に確認する方法がない。

解釈の多様性: 神の命令がどのように人間に伝わるか,その過程が明確でないため,「神は『嘘をつかないこと』を命じている」という命題の意味を普遍的に解釈することが困難である。

以上の理由から,論理実証主義に基づけば,この小前提は有意味な命題として認められず,その結果,神命説の結論も哲学的に支持することが難しいとされる。


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