書記が哲学やるだけ#56 感受性理論,混成理論,純粋理論
問題

解説
(1)マクダウェルの感受性理論について,色の知覚の比喩を用いて説明せよ。
ジョン・マクダウェル(John Henry McDowell, 1942年生まれ)は,南アフリカ出身の哲学者であり,心の哲学と言語哲学の領域における功績で知られている。
感受性理論は,道徳的価値が主観的な感情の単なる投影ではなく,我々の感受性が現実の特定の側面に応答することで成り立つと主張する。
色の例:観察者と対象の相互作用
物理的基盤;「赤いリンゴ」の「赤さ」は,リンゴの表面が特定の波長の光を反射する物理的性質(一次性質)に基づいている。
観察者の感受性;しかし,「赤い」と感じるには,観察者の視覚的感受性が必要である。たとえば,人間の目は特定の波長の光を感知し,それを「赤い」として認識する。
相互作用;「赤さ」は単に観察者の主観だけではなく,リンゴの物理的性質だけでも説明できない。このように,「赤さ」は観察者と対象の相互作用から生じるものである。
マクダウェルは,道徳的価値も色と同じように,観察者の感受性と対象の特性の相互作用によって成立すると考えた。
物理的基盤;ある行為や状況の具体的な特性(例:他人を助ける行為,嘘をつく行為)が基盤として存在する。
観察者の感受性;その特性に対して我々が持つ道徳的感受性(例:正しさや不正に対する感覚)が働く。
相互作用;「善さ」や「悪さ」といった道徳的価値は,感受性と基盤的特性の相互作用によって成立する。これは,道徳的価値が完全に主観的でも,完全に客観的でもない理由を説明する。
(2)マクダウェルの混成理論において,有徳な人とそうでない人の違いを説明せよ。
マクダウェルの混成理論は,道徳的価値が主観的感受性と客観的特性の相互作用に基づくと主張する。その文脈で,「信念」と「欲求」による動機づけを用いて,有徳な人とそうでない人の違いを説明する。
信念と欲求によって動機づけられる人(有徳でない人)
有徳でない人にとって,道徳的行動を取るためには「こうするべきだ」という信念に加えて,「こうしたい」という欲求が必要である。この場合,道徳的行動は外的要因や内的な願望に基づいており,その人の性格や本質に深く根付いているとは言えない。
例:「困っている人を助けるべきだ」という信念があるが,「助けたい」という欲求が生じなければ行動しない。
信念だけで動機づけられる人(有徳な人)
有徳な人にとって,道徳的行動は「こうするべきだ」という信念のみで十分に動機づけられる。その理由は,有徳な人が道徳的価値を自分自身の感受性や性格の一部として内面化しているためである。この場合,行動は外的な強制ではなく,自然な感覚として行われる。
例:
「困っている人を助けるべきだ」と信じることで,即座に助ける行動に移る。
マクダウェルの混成理論は,有徳な人が「信念」だけで動機づけられる理由を説明する。この理由は,道徳的価値が感受性を通じて主体の性格や行動原理に内在化されることにある。
(3)ダンシーの純粋理論において,ヒューム的人間観の解体についてと,パティキュラリズム(普遍化不可能)に至る理由を説明せよ。
ジョナサン・ピーター・ダンシー (Jonathan Peter Dancy,1946年5月8日 - )は,英国出身の哲学者であり,道徳的個別主義の立場を代表する論客として,「理由の全体論」というアイデアを主張した。
ダンシーは,まず以下のようなヒューム的人間観の解体を試みた:
・ヒュームは人間の行動には「信念」と「欲求」が必要と考えたが,人間が動機付けられるのは「信念」の存在によってのみである
・人間を動機づける「信念」とは,「世界のあるがままの状況(表象)」と「自分が行為した結果の状況(表象)」との間にあるギャップを認知,理解すること(信念)である
これを基本として,人間が動機づけられる状態を以下のように2軸で分類した:
・「必ず動機づけられる場合」「偶然動機づけられる場合」の区分
・「動機付けだけで動機づけられる場合(他の心理状態に依存しない)」「動機付けだけでは動機づけられない場合(他の心理状態に依存する)」の区分
このうち,「偶然動機づけられ,かつその動機付けだけで動機づけられる」パターンの存在より,人間は「信念」だけで動機づけられることが考えられるが,信念によって動機づけられるかどうかはその人のそのほかの心理状態などに依存することが言える。このことから,道徳の諸現象はパティキュラリズム(particularism;普遍化不可能)であることを示した。
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