書記が哲学やるだけ#52 自然主義とムーアによる批判
問題

解説
(1)ベンサムの功利主義は自然主義に該当することを説明せよ。
道徳的実在論(moral realism)とは,倫理的な言明は,世界の客観的な性質を指示する命題を表現しており,そうした性質をどれだけ正確に報告しているかによって命題の真理値は定まる,とする学説である。
自然主義(naturalism)とは,道徳的善悪をなんらかの自然的性質によって定義しようとする立場である。例えば快楽を善とみなす幸福主義や,種の進化を善とみなす進化論がこれにあたる。
ベンサムの功利主義において,道徳的な「良さ」や「正しさ」は,抽象的な理念や宗教的価値観に依存せず,観察可能な快楽と苦痛を基準に具体的に測定できるものとされる。快楽を増やし,苦痛を減らす行動が「良い」とみなされるため,これは自然界の現象(人間の感覚や心理的反応)を基準にしている。したがって,功利主義は自然主義的な倫理学の一例といえる。
(2)ムーアの「自然主義的誤謬」について,例を挙げて説明せよ。
ジョージ・エドワード・ムーア(George Edward Moore,G. E. Moore,1873年11月4日 - 1958年10月24日)は,イギリスの哲学者であり,自然主義的誤謬の概念や「未決問題」の議論を提案してメタ倫理学という分野の基礎を築いたほか,メタ倫理学における直観主義(intuitionism)という立場を提案した。
ムーアの「自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)」とは,「善」を自然的な性質(例えば快楽や進化)に還元しようとすることを誤りとする主張である。ムーアは,道徳的な「善」はそれ自体で独立した概念であり,自然的性質に定義されるものではないと考えた。
ある人が「快楽を増やすことが善である」と主張するとする。快楽は人間の心理的・生理的な状態であり,自然的な性質といえる。しかし,ムーアは「快楽が善である」という定義には問題があると考える。なぜなら,「善」とは何かを問うとき,「快楽を増やすことが善である」という説明だけではその答えとして不十分だからである。例えば,誰かに「なぜ快楽が善なのか?」と問われたとき,快楽が善である理由は「快楽は快楽である」以上のことを説明しておらず,本当にそれが善かどうかは自明ではない。
ムーアによれば,こうした説明は「善」を快楽という自然的性質で定義しようとする誤謬を犯しており,善の本質を捉え損ねているとされる。
(3)コーネル実在論について説明せよ。
コーネル実在論(Cornell Realism)は,リチャード・ボイド,ニコラス・スタージョン,デイヴィド・ブリンクといったコーネル大学に関係する哲学者によって主張されたメタ倫理学の学説である。
コーネル実在論によれば,道徳的事実というものが存在する。またこの道徳的事実は心から独立しており,それゆえ客観的なものである。また,道徳的事実とは非道徳的自然的事実に随伴(supervene)する自然的事実なのであって,非道徳的自然的事実と同一視することは出来ないという立場をとる。
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