書記が哲学やるだけ#37 宋代の思想-1
問題

解説

(1)誤り:范 仲淹(端拱2年8月29日(989年10月1日)- 皇祐4年5月20日(1052年6月19日))は,中国の北宋の政治家・文人であり,『岳陽楼記』において「先天下之憂而憂,後天下之楽而楽(天下の憂いに先立って憂い,天下の楽しみに遅れて楽しむ)」と述べ,士大夫の理想的な心情を表現した。
欧陽 脩(景徳4年6月21日(1007年8月6日)- 熙寧5年閏7月23日(1072年9月8日))は,北宋の仁宗から神宗時期の政治家・詩人・文学者・歴史学者であり,『新五代史』『新唐書』を編纂した。
(2)正しい:王安石(1021年12月18日 - 1086年5月21日)は,北宋の政治家・思想家・詩人・文学者であり,「制置三司条例司」を設置し,青苗法・募役法・均輸法・市易法・保甲法・保馬法などの新法を実施した。王安石の思想は「荊公新学」と称され,『周官新義』『字説』などの著作が後の新学派の主要理論の根拠となった。
(3)正しい:司馬 光(天禧3年10月18日(1019年11月17日)- 元祐元年9月1日(1086年10月11日))は,中国北宋時代の儒学者・歴史家・政治家であり,王安石の新法に反対した旧法派の主要人物である。また,当時全盛であった『史記』『漢書』以来の正史の形式である紀伝体を取らず,経書春秋の編年体に倣って製作された『資治通鑑』でも知られる。
(4)誤り:蘇 軾(景祐3年12月19日〈1036年1月8日〉- 建中靖国元年7月28日〈1101年8月24日〉)は,中国北宋の政治家・文豪・書家・画家であり,弟の蘇 轍(宝元2年2月26日(1039年3月23日) - 政和2年10月3日(1112年10月25日))と共に旧法派の主要人物となり,後に蜀党(四川派)という派閥を起こした。
(5)誤り:「五家七宗」は,北宋時代に発展した中国禅宗の宗派で,臨済宗・潙仰宗・雲門宗・曹洞宗・法眼宗(五家)および,臨済宗から分かれた黄龍派・楊岐派から成る。
内丹術は,天地万物の構成要素である「気」を養い,自己の中に霊薬「内丹」を形成して,身心を変容させ,道(タオ)との合一を目指す,道教の伝統的な修行体系である。
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