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書記が哲学やるだけ#38 宋代の思想-2,元代の思想

問題


解説

(1)正しい周敦頤(1017年 - 1073年7月14日)は,北宋時代の儒学者であり,朱熹が展開した道統論において孔子・孟子の系譜の中に位置付けられ,儒学史上重要な地位を与えられた。『太極図説』においては『易経』の「太極」「陰陽」「五行」思想を関係づけ,独自の図象を示した。

(2)正しい程頤(明道2年(1033年)- 大観元年9月17日(1107年10月5日))は,中国北宋時代の儒学者であり,兄の程顥と共に洛党(洛陽派)という派閥を起こした。また,「理気二元論」「性即理」「格物」などの思想を打ち立てた。

程顥(明道元年(1032年)- 元豊8年6月15日(1085年7月9日))は,中国北宋時代の儒学者であり,天を「理」と捉える「天理」観や,後の心学で示される「万物一体の仁」などを打ち出した。

(3)誤り張載(天禧4年(1020年)- 熙寧10年11月18日(1077年12月6日))は,中国北宋時代の儒学者であり,万物の生成を陰陽二気の集散によって説明し「太虚」をその本体とする,「気の哲学」を創始したことで知られる。

邵雍(1012年1月11日 - 1077年7月27日)は,北宋の儒学者であり,易学における数の哲学を展開し,「1→2→4→8→16→32→64」といった倍数進展の法則を示した。

(4)誤り朱熹(1130年10月18日 - 1200年4月23日)は,南宋の儒学者であり,「新儒教」の朱子学の創始者である。朱熹による四書の注釈は『四書集注』にまとめられ,科挙の教科書として用いられた。

朱熹は,張載の気(形而下,万物を構成する要素)と,程頤・程顥の理(形而上,万物を主宰する法則性)を融合し,理気二元論を唱えた。また,「性即理」に基づき,天理が人間に内在したものを「」,性が外に現れたものを「」とした。さらに,聖人になるための修養法として「居敬」(徳性を尊ぶこと)と「窮理」(学問探求)を説いた。

(5)誤り陸象山(紹興9年2月24日(1139年3月26日)- 紹熙3年12月14日(1193年1月18日))は,中国南宋の儒学者・官僚であり,朱熹の論敵として鵝湖の会などで激しい論争を繰り広げた。心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別することを良しとせず,心そのものが「理」であると肯定した「心即理」を唱えた。また,「六経,みなわが心の注釈なり」という発言は,後の明代に開花する陽明学を予見するものであった。

(6)正しい許衡(大安元年4月3日(1209年5月8日) - 至元18年3月3日(1281年3月23日))は,中国の元代初期の学者であり,クビライが宣撫司を置いた時に京兆地方の提学となり,文教政策に尽力した。クビライ即位直後の漢人官僚は劉秉忠・許衡・王鶚に代表される3つのグループに分類され,許衡に代表される派閥は二程子・朱子の提唱した性理学を重んじた点に特徴があった。

呉澄(1249年 - 1333年)は,中国元代の学者であり,『草廬集』をはじめとした四書の校註で知られる。


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