書記が哲学やるだけ#40 清代の思想
問題

解説

(1)誤り:顧炎武(万暦41年5月28日(1613年7月15日)-康熙21年1月9日(1682年2月15日))は,中国明代末期から清代初期(明末清初)の儒学者であり,明の滅亡に際して反清運動に参加した。思想においては,経学や史学の傍ら経世致用の実学を説いたほか,清朝考証学(浙西学派)の祖の一人としても知られる。
王夫之(万暦47年9月1日(1619年10月7日)-康熙31年1月2日(1692年2月18日))は,清朝考証学を代表する中国明末・清初の思想家・儒学者であり,『春秋家説』『読通鑑論』などの著作を残した。
(2)正しい:黄宗羲(万暦38年8月8日(1610年9月24日)-康熙34年7月3日(1695年8月12日))は,中国明末清初の儒学者で,陽明学者である劉宗周に師事した後,陽明学右派の立場から実証的な思想を説き,考証学(浙東学派)の祖と称された。『明夷待訪録』では明や清にみられるような皇帝独裁の専制政治を批判し,『明儒学案』では明を代表する数多の学者の列伝・思想・批評を体系化した。やがて清末になって,革命派の手により『明夷待訪録』は革命思想の宣伝や民主主義の経典として利用され,黄宗羲は「中国のルソー」と称されるようになった。
(3)誤り:考証学は清代中期の乾隆・嘉慶年間(1736年-1820年)に全盛となったことから,全盛期の考証学を乾嘉の学という。乾嘉学派の代表的な学者の中で,恵棟の系統を呉派,戴震の系統を皖派と呼び,考証学の二大潮流となった。
閻若璩(1636年11月1日(崇禎9年10月14日)-1704年7月9日(康熙43年6月8日))は,中国清代初期の考証学者であり,『尚書古文疏証』において尚書古文25編が偽書であることを立証するために30余年を費やした。
恵棟(康熙36年10月5日(1697年11月18日)-乾隆23年5月22日(1758年6月27日))は,中国清代中期の儒学者であり,梁啓超に「恵棟の学問は博覧強記を出発点として,古を尊び家法を守ることを終局とする」と評された。
(4)正しい:戴震(1724年1月19日(雍正元年12月24日)-1777年7月1日(乾隆42年5月27日))は,中国清代中期の学者・儒学者・思想家であり,『孟子字義疏証』では,四書の『孟子』に対する訓詁という体裁で,宋明理学(朱子学)の説く「理」の概念を批判して,「情」「欲」を肯定する独自の思想を示した。
清代中後期には,汪中・阮元・焦循・劉宝楠ら,主に揚州府出身の学者たち(揚州学派)によって乾嘉学派の手法が継承された。
(5)正しい:常州学派は,荘存与・劉逢禄らにより創始された,中国清代の儒学において漢代今文経学を重視する学派であり,漢代今文学のなかでも『春秋公羊伝』に基づく董仲舒や何休の公羊学を重視したことから公羊学派とも言われる。公羊学は康有為たちの変法運動の理論的根拠となり,清末の社会思潮に大きな影響を及ぼした。
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