経済的視点から見る少子化とその若者の未来


少子化、ヤバくね?

昨今、『少子化』という話題をよく耳にする。一般的に人口置換水準となる出生率は2.04(つまり、1家庭に概ね2人の子がいる状態)と言われており、この中で三人兄弟姉妹などが居たりする。

とりわけこの問題は先進国、特に東アジア圏では問題になっており、日本国は辛うじて1.0を超えているものの、中華人民共和国や中華民国、大韓民国といった国々では、出生率が1.0を切っており、これすなわち1家庭に子どもが居たり居なかったりするわけである。

しかし筆者は、ここで『少子化の原因は何か?対策できるのか?』と言う議論をしたいワケではない。

もちろん、若者として考えるべき議題であることは確かなのだが、ここで持論を述べたとて、大して何にもならないからである。特に、こども家庭庁とやらに年間数兆円の予算が投じられ、また隣の韓国でも同規模の予算が投じられている上で、その現状は改善していない。

……のだから、いち高専生が原因と改善を述べたところで、それはあくまで何にもなり得ない。それよりも、根本的な原因と未来に対する不安を述べていきたい。

資本主義経済というシステムの脆弱性

前提

さて、まず抑えておきたいのが、日本及びその周辺国と世界の多くの国々は『資本主義経済』で成り立っている、ということだ。
一部の共産主義経済を採用している国を除き、基本的には自由な市場の上で金銭の自由な取引が行われている。

では、この『金銭』とは何か。

私の個人的な解釈ではあるが、本noteでは"労働力の数値化チケット"だと解釈する。本来、金銭にはもう少し多義的な意味があるのだが、一度本文ではこのように解釈をする。
そこに金銭があるから労働者が働き、その労働者が得た賃金を使ってまた別の労働者を動かす……というループで成り立っている。

ここで、少子化による資本主義の脆弱性について考えてみる。

この資本を労働力の数値化チケットだと考えた場合、その労働者が少なくなればなるほど、必要なチケットの価値は上がっていく……即ち、その数値を如何に持っていようが、要求される数値は労働者の数で決まっていく。

労働する人の数が多ければ、資本家は余り金を出さなくても労働者が集まってくる。
労働する人の数が少なければ、資本家は多くの金を出さなければ労働者が集まってこない。

という関係になるのだ。

ここで、『少子化』による『労働人口の現象』が顕著に現れた場合、如何に多くの金銭を持っていようが、実際に働いてくれる人が少なくなればなるほどその価値が落ちる。

実は、金銭というのは絶対価値に見えて、その奥底ではタダの労働人口に対する相対的な値でしか無いのだ。

経済と労働について

経済というのは、インフレーションを繰り返しながら発展していく、という言説を聞いたことがあるだろうか。日本では『失われた30年』という表現をよく聞くが、これはインフレーションの対となるデフレーションが続いていたからである。

まず、基本的に金銭は労働力の数値化チケットであると定義した。
ここで、日本銀行という組織はそのチケットを発行する権利を持つ。しかし労働力は無限に生み出される訳ではないので、ここで矛盾が発生する。
ように、見える。
実際にはチケットの枚数だけが増え続けていくと、その分だけ労働者が要求するチケットの量は増えていく。何故ならば、お金を増やし続けたとしても、労働力は変わらないため、相対的に労働の価値が高くなるためである。

銀行や金貸しをする業種が『金利』という物を設定しているのを聞いたことがあるだろう。これは、この『インフレーション』が起き金銭の価値が低下したとしても、その価値の低下を金利の増加で回収するためである。

本質的問題点

ここで、労働力が根本的に減り続けたらどうなるだろう。
本題である『少子化』についてだ。

よく、世の中では『老後のためにお金をのこしておく必要がある。』などという。
しかし、よく考えてみて欲しいのだが、労働者の人口が高齢者の人口を下回った時、その貯めているお金の価値は見るも無惨に暴落することが予想できる。何故かといえば、その金銭を目的に『生産』を行う『労働者』の数が圧倒的に足りなくなるから、だ。

ただでさえ、2026年現在でも『少子化/高齢化』が問題になっているのである現状を考えると、我々の60年後など想像もしたくない。

本当に怖いのは、『老後に使える資金があるかどうか』ではなく、『老後に資金を使ってでも働いてくれる労働者が残っているかどうか』である。

もし仮に残っていたとしても、少子化を改善しない限りは『通貨価値の暴落』あるいは『労働人員の不足』を解消することは出来ない、だろう。

少子化不安の『負のループ』

2026年を生きる我々若者でさえ、『数十年後の労働人口』の心配をしなければならない今、その『数十年後の若者』は何を考えているのだろうか。

私は少子化不安の負のループ、というものについてここで提案をしたいと思う。

一般論

世間的な解釈をする。少子化の原因として、例えば『経済的ハードル』だとか『結婚の過度な自由化』だとか『親子双方の人生の不安』だとか、そういう話題がよく出てくる。

これこそ序文で述べた『少子化の原因の考察』というものである。

例えば、上で述べたように、労働人口が減れば減るほど、我々消費者は経済的に困窮してしまう、つまり、自由に使えるお金が少なくなってしまう、と感じるだろう。

また、過度な自由化についても、例えば自分の理想の人を追い求め続けるがために、結婚にたどり着かない例であったり、そもそも結婚をしない選択肢、子どもを持たない選択肢、あるいは他者の生活との自らの人生の比較の場が増え……など、上げればキリがない。

それほどまでに、『自由』というものが我々に与えたデバフは大きい。人類は拘束から自由へと身を広げているが、人類程度の生物では、その『自由』をコントロールすることは出来ないのかもしれない。

この様な内容が、よく語られる。

私の考える『負のループ』とは

まず、我々はここまでの文で述べてきたような考えを持つことができた。

では、我々の子の世代、即ち、歴史的少子化のさらに向こうの少子化世代は何を考えるだろうか。

今、我々は数十年後には少子化が進むと考えている。そして、『老後の不安』を考えている。

その状態で、我々の更に子の世代には、『親の世代の老後を乗り越えた後の自らの老後』を考えなければならない。
そんな負担を子に強いて良いのだろうか。

と、いった考えが湧いてくる。つまり、子が少ない未来を見据えた結果、その世界に新たな自らの子を授けてしまって良いのだろうか。
深刻な少子化の未来が見えている今、我々が子を持ち育てその子の未来を考える余裕など在るのだろうか。また、我が子を育てるだけの人口は残っているのか。

それについて考えると、今後ずっと少子化は終わらないだろう。

経済や考え方が、ある何処かのストッパーを見つけない限り、この方向に向いてしまうだろう。

終わりに

……少子化、という問題は、我々若者が未来に更に深刻な問題として襲ってくるだろう。

個人的には、あまり世論を負の方向には向かせたくないが、あくまでこの様な現状把握も必要だということも、知っておかなければならないだろう。

確かに、ロボットや計算機の発展等で、人口が減少しても豊かになっていく国が来るかも知れない。
確かに、人口が減少しても都市の開発のされ方に依っては街のシステムが維持される可能性は高い。
確かに、通貨システムや労働というシステムそのものが根本的に変わることもあるかもしれない。

未来なんか誰にも、ましてやちっぽけな一人の高専生に予想できるわけではないが、いち若者である私はこの様な不安をたまに脳内で考えたりする、という事実はここに遺しておきたい。

個人的には、この不安が「杞憂だった」と言える未来が来て欲しい。
と、いうよりは、来てもらわないと困る、である。

私は、これに対するポジティブな反論を待っています。


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