AI時代のダーウィン――イントロダクション
ダーウィンが乗り込んだのは、知の帆船だった。風は南から吹き、海はまだ神の沈黙を宿していた。かれが持っていたのは、ノートと鉛筆、そして飽くなき好奇心だけだった。観察とは祈りの一形態であり、かれの航海はその祈りの延長線上にあった。かれは鳥の嘴を測り、貝殻を拾い、化石に触れながら、自然が語る言葉にならぬ言葉を記録していった。
やがてそれらの観察が、ひとつの巨大な仮説へと凝固する。
――神の声が退き、自然の声が現れる瞬間。
それが『種の起源』だった。
二一世紀。
観察の装置はシリコンに宿り、視線はアルゴリズムに委ねられた。AIは見ることをやめたわれわれの代わりに、世界を読み解いている。観察は祈りではなくなり、データの処理となった。私たちはただ結果を眺め、因果の影を信じる。だが、そこに〈驚き〉はあるだろうか?
――ビーグル号からAIラボへ。
航海はつづいている。だが、舵を握るのはもはや人間ではない。
この論考は問う。
「観察と経験を失った知は、なお幸福たりうるのか?」
ダーウィンといえば、いまや進化論の代名詞である。人間はサルの進化形である――この学説は十九世紀の世界を震撼させ、信仰と人間中心主義を根底から揺さぶった。だが、あの若きダーウィンがどんな人物であったかを、私たちは忘れつつある。
すべては、かれが22歳のとき、ビーグル号に「ただの観察者」として乗り込んだことから始まった。ダーウィンの身長はいくらか高めで、濃い栗色の髪は自然なウェーヴを保ち、額はやや高い。そのまなざしは上品さをそなえながらも、すべてを観察しつくそうと身構えている。そして口元に時折浮かぶ、どこか自信なさげで、それでいてすべてを吸収しようとする強い意志を秘めた、奇妙な微笑。語り方は、ケンブリッジ仕込みの正確さを保ちながらも、しばしば沈黙によって中断される。言葉を選ぶ際の間合いは、まるで脳内で標本を分類するように精密で、内省的だ。だが動物学や地質学の話題になると、かれの声は熱を帯び、急に流暢になる。その熱弁の合間にのぞく一瞬の不安。それでも、その響きには嘘のない真摯さが宿っていた。
――当時のダーウィンは、美しい青年だった。
ゆたかな白髭をたくわえた老学者ダーウィンのイメージは、いまはひとまず忘れよう。
もしかするとダーウィンがもっとも幸福だったのは、進化論を思いついた瞬間ではなく――ビーグル号の甲板で、月光を浴びて青白く発光する海を見たあの夜だったのではないか。
触手の残光を引きながら泳ぐタコ。
指で触れると紫の汁を吐くアメフラシ。
川辺で動かぬままこちらを見上げる巨大なカピバラ。
吸血コウモリイカが船員の腕に吸いつき、
サンゴの断面には誰も設計していない幾何学が刻まれている。
――これらはすべて神の創造物なのか、それとも?
その瞬間、ダーウィンは生物の〈形〉と〈動き〉と〈匂い〉に魅了された。
世界の無秩序のなかに、生命の美を見出したのだ。
観察とは、未知と恋に落ちる行為である。
ダーウィンは、世界そのものに恋をした。
かれはライエルの『地質学原理』(1830)と
ジョン・ミルトンの詩集を携えて航海に出た。
だが、けっして進化論を練り上げるために出航したわけではない。
ビーグル号の航海は、あくまで観察の旅だった。
風、岩、貝殻、海鳥、そして人間。
それらが語りかける〈時間の物語〉に耳をすませるための、
孤独な巡礼だった。
しかし、帰国後、かれはいつしか“理論化の情熱”に憑かれてゆく。
観察の幸福は、やがて思索の焦燥へと変わる。
ビーグル号でのノートは、単なる自然誌の記録ではなく、「なぜ、似ていて、違うのか?」という問いの断片へと変貌していく。
ところが帰国後かれはいつしか“理論化の情熱”に憑かれてゆく。
ノートに記された無数の観察が、ある時点から秩序へと収斂してゆく。
観察の幸福は、体系化への欲望へと変わる。
そして航海から20年後、1859年――『種の起源』が生まれた。
この転換こそ、人間の知に固有のドラマである。
観察することと、意味づけること――
そのあいだに走る細い稜線の上で、知性は進化する。
だがそこには、両側への墜落の危険がある。
観察に溺れて理論化を忘れる危険。
あるいは、理論の暴走によって現実を見失う危険。
果たして、きわどい均衡は可能なのだろうか?
進化論への懐疑
進化論とは、無数の観察と推論の上に築かれた壮大な物語である。
異論も多いことだろうが、種の選択が自然選択(=自然淘汰)によるものか否か――その確たる証拠は、いまだどこにもない。
そもそも「種」の定義そのものが揺らいでいる。
ダーウィン自身、明確な定義を避けた。
DNAが発見されたのちも、
そしてゲノムが解読された現在においてさえ、
「種」や「遺伝」や「本能」といった言葉は、
決してひとつの意味に収束しない。
四十億年にわたる生命の連続性を、
人間の知性が完全に理解できるはずもないのだ。
養老孟司は言う、
人間の脳は、一方に視覚領域があり、他方に聴覚領域があり、そのあいだに言語野があって、言語が両者を橋渡ししている。
人はそれぞれ、視覚型か聴覚型のいずれかに傾いている。
〈目型〉の人間は「見て納得し」、〈耳型〉の人間は「因果を求め、物語を欲する」。
養老先生は解剖学者ゆえに徹底した目型である。
他方で、進化論は耳型の発想だ。なぜならそれは、時間に依存し、物語を前提とするからである。
養老先生はいわば言い放つ、
「しょせん進化論は物語じゃないか。たかだか百年しか生きられない人間に、四十億年の進化などわかるわけがない」
――養老孟司(『唯脳論』『脳という劇場――唯脳論対話篇』青土社、1989–1991)
私自身は、おそらく目型と耳型の折衷型である。
写真家であった時期もあるとはいえ、かなり耳型に傾いている。
なにせ私はジャズ愛好家であり、小説や映画を愛する。
だからこそ、なにかを理解するとき、私は物語的に理解したくなる。
進化論を読むとき、私はそれを「真理の体系」としてではなく、むしろ多彩な解釈の群れ、語りの連鎖として楽しむ。
ダーウィンを読み直す
実際、ダーウィンの理論はネオ・ダーウィニズム、進化論的認識論、神経ダーウィニズムなどを派生させ、知の系譜を築いた。なお、いずれもダーウィンへの部分的批判含みの継承と発展ゆえ、話はややこしい。
ダーウィン批判もまた多い。
たとえば内田亮子『進化と暴走――ダーウィン『種の起源』を読む』(現代書館、2020)は、その中でも刺激的な再読である。
彼女は進化生物学者フランシスコ・アヤラ博士の言葉を引用する。
「ダーウィンは現代私たちが知っていることの99パーセントを知らなかった。だけどね、残りの1パーセントが最も大事なことなんだ。」
内田はダーウィンを“穏やかな自然史の語り手”としてではなく、“進化という暴力的な偶然の力”を記述した思想家として読む。
すなわちダーウィンを「秩序を語る科学者」ではなく、「逸脱を観察する詩人」として読み直すのだ。
自然のなかに宿る不安定さ、予測不能な生成――その連鎖のなかでダーウィン自身もまた変化していった。
観察者として、そして観察される者として。
この視点は、私たちのダーウィン像を一変させる。
進化論とは、自然界の法則の説明ではなく、「偶然と生成の詩学」だったのではないか。
そしてその詩学こそ、AI時代における〈知性の再定義〉の手がかりとなるだろう。
さらに、ダーウィンの『進化論』にはもうひとつの隠された文脈がある。
それは、ダーウィンが奴隷制度を憎み、その撤廃を強く望んでいたという点だ。
エイドリアン・デズモンドとジェイムズ・ムーアの共著『ダーウィンが信じた道――進化論に隠されたメッセージ』(NHK出版、2009)は、この思想的基層を丹念に掘り起こす。地球上のあらゆる生物が共通の先祖から進化した。ダーウィンにとってこの〈進化〉ヴィジョンは、単なる自然のメカニズムではなく、自由への倫理的なヴィジョンでもあった。
種の多様性は、人間の平等の比喩として読むこともできるのだ。
したがって、ダーウィンはチャールズ・ディケンズやジェーン・オースティンの同時代人としても読み直されねばならない。十九世紀という時代の中で、ダーウィンもまた“人間とは何か”という問いに悩んだ作家の一人だったのだ。
結局のところ、進化論とは
〈進歩〉という観念がまだ信じられていた時代の産物ではなかったか。
科学は、進歩を信じる限りにおいて、人間的であり続けた。
だが、いまやその信仰は崩れ、AIの知性は、進化の物語をも「データの構造」として書き換えつつある。
DNA/RNAの発見という二十世紀的転換については、後続する章で改めて論じよう。
AI時代のダーウィン
いまや人間は自然から切り離され、観察も発見も忘れつつある。
AIは人間の知性を超え、体験も感情も抜きに
「知識だけが暴走する」段階に入った。
人間は自信を失い、感受の力を手放してしまった。
私たちはいま、体験と観察のよろこびを取り戻す必要がある。
観察がもたらすのは、時間の外にある「瞬間的な永遠」だ。
だが進化論はそこに時間を導入し、物語(ストーリー)を見出した。
時間の導入こそが、耳型に傾いた人間の思考の根本的な性である。
しかし宇宙物理学は、時間を抜きにしても成立する。
結局、私たちの認識はどこまでいっても――
認識主体が〈目型〉であるか〈耳型〉であるかという偏りから
逃れられないのだ。
AIの知性は、その稜線の片側――意味づけの側――に完全に傾いている。
そこでは観察も、時間も、経験もない。
だがダーウィンの発見とは、むしろその反対側――観察が理論を凌駕する瞬間――に宿っていたのではないか。
