【長編小説】『地下世界シャンバラ』14
二、サファリ学長
しばらく歩くと田畑の中に大きな寺のようなものが現れた。それは寺ではなく学校であるとのことだった。
田畑の中に、大きな黒い茅葺屋根の木造建築がたくさん散在していた。
給仕はその中のひとつ、二階建ての黒い茅葺屋根の建物にルミカたちを案内した。建物の前には立派な松が立っていた。一階には広い教室があった。階段を上がり、通された部屋の中は書棚がたくさんあって、その奥で椅子に腰かけ、机に向かって本を読んでいる老人がいた。老人はこちらに背を向けているが、頭は禿げていて肌の色は黒く、白い服を着ているのがわかった。
「サファリ学長、地上人をお連れしました」
給仕がそう言うと、サファリ学長と呼ばれたその老人は回転椅子をくるりと回して向きなおった。
「やあ、諸君。こんにちは」
四人は、「こんにちは」と答えた。
「シャンバラへ何の用だね?」
ルミカは答えた。
「学問をしに来ました」
「学問?他の三人もそうかね?」
レンは答えた。
「僕はそうです」
「他のふたりは?」
学長が言うとライは答えた。
「俺は母さんがシャンバラにいると聞いて来たんだけど、母さんはシャンバラに来ることはなく洞窟内で死んでいたことがわかったんだ」
「それは辛かったろう。で、もうひとりのお嬢さんは?」
キトは答えた。
「あたしはこいつと新婚旅行だ」
と言ってライの腕を抱えた。ライは顔が熱くなった。学長は言った。
「ほ、若いのはいいのう」
レンは質問した。
「学長、ここは地下世界ですよね?なのに、なぜ空が青いのですか?太陽もあるようですし」
サファリ学長は答えた。
「ここは地球の内部であって内部ではない」
「どういうことです?」
サファリ学長は言った。
「地球の地下と繋がっている、別の惑星なのだよ」
「別の惑星?」
「君たちの通ってきた洞窟にあるあの液体の壁、あれは空間の捻じれの中に満ちた液体なのだ。震空波で空間を捻じるとそこに遠距離を結ぶトンネルができる」
レンは頷いた。
「だから、空間を震わせる震空波が?」
「そう、君たちの世界では武術でそれができるようになるはずだ。シャンバラ人はそれができない。だが、科学技術が進んだ世界ならば機械で震空波を作り出し空間を捻じ曲げることができるだろう。シャンバラではそれだけの科学はあるが、空間を捻じ曲げる必要性を感じられないのでそういう機械は作らんがの」
ルミカが訊いた。
「シャンバラには政府がないと聞きましたが、それで大丈夫なんですか?」
サファリ学長は答えた。
「なぜ、政府を作る必要がある。シャンバラの人間は自律している。困ったことがあれば助け合う。それは教育で育まれる」
ルミカは訊いた。
「教育機関を作るにはやはり政府がいるでしょう?」
「いや、政府はいらないよ。権力というものは必要ないのだ。教育によって良い人間ができればそれですべては上手くいく」
ルミカは訊いた。
「でも、道路を造ったりするにはおカネがいるでしょう?そのおカネは税金で賄うのでしょう?」
サファリ学長は答えた。
「シャンバラにはおカネなど存在しないし、税金などというものもない。そういうものはとうの昔に捨てたのだ」
ルミカは驚いた。
「え?おカネがない?じゃあ、人はどうやって物を売ったり買ったりするんですか?物々交換ですか?」
サファリ学長は答えた。
「与え、与えられるのがシャンバラの経済だ」
ルミカは問うた。
「やはり物々交換?」
「違う」
サファリ学長は言った。
「与えたければ与えればいい、欲しかったら貰えばいい。特に与えてくれた人にお返しをする必要はない」
キトは言った。
「じゃあ、与えた人が損をするよね?」
「損?」
サファリ学長はキトを睨んだ。
「与えたいのだから与えて損をするということはない。むしろ得をするのだ。精神的な意味で」
ルミカは言った。
「じゃあ、公共工事もやってあげたいからするのですか?政府がないならば誰がするのですか?」
サファリ学長は答えた。
「技術があり、やる意欲のある者が進んでやるのだよ」
レンは驚いて言った。
「え?ボランティアということですか?」
サファリ学長は頷いた。
「うむ、そういうことだ。この世界の仕事はすべてボランティアなのだ」
レンは訊いた。
「それでは、人々はどうやって生きていくのですか?」
サファリ学長は答えた。
「米が欲しい者は米農家からもらえばいいし、家を建てたい者は建築家に建ててもらえばいい。シャンバラの人間はボランティア且つ乞食なのだよ」
「乞食・・・」
ルミカたちは驚いて質問する言葉が見つからなかった。
サファリ学長は言った。
「カネなどというものは他者を信用できないからあるんだ。このシャンバラは物々交換でもない、すべて贈与、いや、別の言い方で、喜捨で成り立っているのだ」
「喜捨・・・」
サファリ学長は言った。
「喜捨は見返りを期待しない贈与。無償の愛のなせる業なのだ」
ライは言った。
「それでは貰うばかりで、あげることをしないずるい人も出て来るんじゃないか?」
サファリ学長は答えた。
「貰うばかりの人がいてもいいではないか。何もできない人は貰うだけでも構わないのだ。それはなんの罪でもない。我々の教育ではできることをして社会に貢献することが大切だと教えている。逆に言うとできないことはしなくてもいいのだ。人間にはどうしても能力に差ができるから、その能力のできる範囲で貢献すればよいのだよ」
レンは訊いた。
「それでは能力のある人間が損をするのでは・・・!」
サファリ学長はギロリとレンの眼を見て言った。
「なぜだね?人間はみな平等なのだよ」
レンは言った。
「それはそうですが、しかし、努力した人間としない人間では努力をした人間のほうが良い思いをするべきではないでしょうか?」
サファリ学長は言った。
「君は他人より良い思いをしたくて努力するのかね?」
「いえ、それは・・・」
レンは何も反論できなかった。
サファリ学長は言った。
「誰かのために努力することこそ大切だとは思わないかね?」
ライは言った。
「学長はすべて、この世にいるのが良い人間ばかりのことを前提に話してるけど、中には悪い人間もいるよな?悪い人間を取り締まるには警察がいるだろ?警察に権力を与えるには政府がいるんじゃないの?」
サファリ学長は言った。
「だから、教育で悪の芽を摘んでおくのだ」
ライは言った。
「でも悪い人間はいるよね」
サファリ学長は言った。
「シャンバラにはいない」
「断言できるのか?」
ライは質問した。サファリ学長は言った。
「君は悪の存在する地上世界に毒されている。しばらくシャンバラで生活をしてみなさい。そうすればその性悪説的な考え方はなくなるだろう」
ライは言った。
「なんか俺、悪役みたいだな」
キトは言った。
「なぜ、地上世界はシャンバラのようにならないんだ?」
サファリ学長は顎に手を当てて考え込む。
「うむ、難しい問題だ」
レンが言った。
「簡単ですよ。教育が行き届いていないからだ。そして、教育が行き届いていない理由は、真実が見つかっていないからだ。だから、僕はシャンバラで真実を知りたいんです」
サファリ学長は微笑んだ。
「君はもうシャンバラの真実がわかりつつあるようだね?」
レンは恐縮した。
「いえ、まだ、全然わかっていません。真実とは悟りの境地のことですか?」
サファリ学長は答えた。
「うむ、そうだ、悟りの境地だ。別の言葉で、涅槃寂静、すなわちニルヴァーナ」
「ニルヴァーナ」
レンはその言葉を飲み込むように頷いた。ライは訊いた。
「ニルヴァーナってなんだよ?」
サファリ学長は言った。
「心に何のストレスもない状態、真実の平安。例えて言うならば、母親の胎内にいる胎児の心。あの羊水の中に浮かんだ胎児の心にはなんのストレスもないはずだ。その心の状態を保ち生きることそれが真実の生き方だ」
「胎児・・・」
ライはこのシャンバラに入ったときのことを思い出した。あの地下に降りたことは母親の胎内に降りたように感じたからだ。あの洞窟の壁に書かれた母親のメッセージが彼にとってはへその緒のようなものだった。
サファリ学長は続ける。
「ニルヴァーナについて理解を深めることで、人々の性質は良くなる。たとえニルヴァーナについての見解にズレがあったとしてももっと下位の、つまり形而下の、つまり日常的な問題は簡単に解決できるようになるのだ」
「そうかなぁ?」
と言ったのはライだ。
「日常的な問題こそ解決が難しいんじゃないかな?それに人間はお母さんのおなかの中にずっといるわけじゃない。外に出ること、ストレスに会うこと、悩むこと、戦うこと、そこに生まれてきた意味があるんじゃないかな?」
「そう思うのは真実についての理解が不足しているからだよ」
と、サファリ学長はライに向かって優しく言った。
ライは話がめんどくさくなって建物の外に出てしまった。キトもそれを追うように外へ出た。ライは呟いた。
「生まれてきた意味か・・・。俺にとって今までずっと母さんを探すことが生まれてきた意味だった。でも母さんは死んでいたことがわかった。じゃあ、これからの俺の生きる意味ってなんだろう?」
キトは言った。
「あたしでしょ?」
ライはキトの眼を見て笑った。
「結婚するんだよな」
「約束だからね」
ライは伸びをして言った。
「あ~、いい天気だ。ここは地球じゃないのか?極楽か?」
学長の部屋では、ルミカとレンがまだ質問し、教えを受けていた。
ライとキトは田園の中を歩く。ライとキトはふたりで美しい景色の中を並んで歩くことで何とも言えない幸福感を味わった。
この平地には南と北に山がある。西の谷へ向かって川が流れている。川は東のライたちが来た洞窟のある山から出ている。山には段々畑のある部分と森におおわれた部分がある。空は青く、太陽は光輝いている。ライたちが生きてきた地上世界と変わるところはない。
田畑では働く農民がいる。それもライたちが住んでいた地上と同じ牧歌的風景だ。しかし、違うところはこの農民たちはすべてボランティアだということだ。
