長編小説『アラビアン・アラジン』のテーマは何だったのか?
私は最近、自身の長編小説『アラビアン・アラジン』を公開した。
しかし、あの小説のテーマは何だったのか?ただ、アラビアンナイトの世界の物語を作りたかっただけなのではないか?
私が自分で代表作と位置づける『空中都市アルカディア』はテーマも舞台も物語もすべて一致している。もともと私は純文学でデビューしようと思っていて、四十歳手前で、「俺が書きたいのはファンタジーの世界じゃないか?」と気づいて、方向性を変えた。
しかし、ファンタジーでもテーマはしっかりあったほうがいいと思う。
テーマは現代小説の桎梏かもしれないが、それは物語を際立たせる現代の優れた縛りである。
『アラビアンナイト』はテーマなどなくとにかく面白ければいいという物語が多かったように思う。だから、『アラビアンナイト』またの名を『千夜一夜物語』を読み終えたばかりの頭で書いた『アラビアン・アラジン』はあのような小説になった。
しかし、「小説」という日本語はなんだろう?こういう言葉があると、じゃあ「大説」があるのか?と思ってしまう。「大」と「小」では「大」のほうが優れているような気もするがどうだろう?小説は世界や人生の一部を切り取って拡大した物語のことを言うのではないだろうか?大説は世界や人生そのものを書いたものかもしれない。そうなるとたぶん大説は絞られたテーマがないと言えるだろう。『アラビアン・アラジン』は大説だったのだろうか?
などと書いている途中で、私はウィキペディアで調べてみた。するとちゃんと「大説」なるものが定義されていた。それによると個人の人生や生活を書かず、大きな視点で国家や政治、社会を書く物らしい。そうなるとたぶん主人公はいないのだろう。ということは『アラビアン・アラジン』は小説ということになる。
小説はつまり社会のある部分を、ある視点から、ある人物に焦点を当てて書いた物語ということになる。そこにはどういうテーマで書くかという視点も生まれる。小説はテーマ、物語、文体、この三位一体になるかならないかで巧拙が決まるのかもしれない。テーマは主題、文体は文章のスタイルで美しい文章かどうか、そして、物語とは、どんな舞台で誰が何をするかということになる。私はテーマを疎かにしていたかもしれない。
現在、『ドラゴン魔城』という新作を推敲中だが、テーマが決まらないのでなかなか満足して完成という印鑑を押せないで困っている。そして、夏にペルーに旅行し、ペルーを舞台にした小説を秋から書こうと思っているのだが、そういえば、舞台ばかりが先行していて、テーマなどまったく考えていなかった。なぜその物語の舞台がペルーでなければいけないか、そこから詰めたほうがいいかもしれない。いや、そこは趣味だからペルーに関心があるからということでいいとして、ペルーに相応しいテーマと物語を考えなくてはならない。
ああ~、仕事はたくさんあるぞぉ!
おもしれえ!
