百姓一揆とS&P500
晴れて長女が中学校に進学しました。
これまでとは大きく環境が変わるので、期待も不安も多いだろうけど、二度と戻らない時間を素敵なものにしてほしいと、親として願うばかりです。
さて、さっそく教科書が配られたらしく、懐かしさからちょっと見せてもらいました。

筆者は熱心に勉学に勤しむ中学生ではありませんでしたので、リベラルアーツ的なものが欠落しているのですが、歴史の教科書に記されていた”一揆”という言葉に目が留まりました。
”百姓一揆”という言葉くらいは何となく覚えています。

時は江戸時代。
農民が凶作下でも変わらぬ重税に苦しみ、幕府や藩への抗議活動として暴徒と化した話。と言っても、百姓一揆の性格は体制の転覆を目的とするものではなく、年貢や負担が生活維持の限界を超えたとき、村落共同体が生存を守るために起こした集団交渉という性格のものです。
実際、多くの一揆は交渉の結果として年貢減免や役人処罰で終結します。これは暴動というより、共同体による集団交渉(過激派のデモ)と見てよいでしょう。
つまり百姓一揆とは、生活防衛のための行動だったのです。

飢饉の際には、この性格がより際立っています。天明や天保の飢饉では広範な地域で一揆や打ちこわしが発生しましたが、それは政治理念や思想のためではありません。飢え死の回避という生存の問題でした。
この視点に立つと、日本史における百姓一揆は、反乱の歴史というより、生活防衛の歴史として理解できます。
さて、時は令和。
現代の日本はこのような「生活防衛の集団行動」は消えてしまったのでしょうか。
事実、デモや暴動といった目に見える抗議は確かに減少しています。労働闘争も住民運動も、かつてに比べればはるかに小さく、あっても形式的なモノへ形骸化しています。従って、表面的には日本社会はきわめて従順で静かな社会に見えます。
しかし本当にそうなのでしょうか。
視点を生活者個人の経済行動に移すと、まったく別の姿が見えてきます。例えば日本の家計による海外資産への比重拡大。
日銀の資金循環統計を見ると、家計が保有する外国証券残高はこの四半世紀の間、増加の一途を辿っています。
※データソース:日本銀行HP
https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf
投資環境の整備や近年はNISAの普及もあり、一般庶民レベルでも株式や投資信託を通じた海外資産への投資拡大は想像に難くありません。

SNSやYoutubeを開けば「投資」「NISA」「S&P500」で溢れているのを見れば、株式投資や海外資産へのアクセスがキャズムを超えたと推測します。


近年の円安局面では、この傾向はさらに強まっているのでしょう。
これは投資嗜好の変化と見ることもできますし、何より投資環境が整ったことも影響しているでしょう。
みんな大好き全世界インデックスファンド「通称:オルカン」も2018年10月31日に三菱UFJアセットマネジメントより設定・運用が開始され、2026年4月には総残高が11兆1000億円を超えています。筆者が証券口座を開設した2013年にはこのファンドは存在すらしていませんでした。
※ちなみに筆者が初めて買った株は個別株の「みずほ銀行」
しかし生活防衛という観点から見ると、別の意味が浮かび上がります。
日本の家計は長年にわたり、実質賃金の停滞、税や社会保険費負担増への不安、超低金利環境により銀行預金の利子はほぼゼロといった状況に直面してきました。
唯一、インフレしていなかったことは救いで、超デフレ社会が長く続くことで庶民の実質可処分所得は維持されていました。
しかし、コロナ禍を起点にインフレと円安が進むと、国内通貨だけで資産を保有することは名実ともに実質可処分所得の減衰にブーストが掛かります。その結果として、多くの家計が資産の一部を海外に分散させるようになりました。
この行動はきわめて静かに、しかし広範に行われています。デモも起こらなければスローガンもありません。政治的主張として語られることもほとんどありません。それでも特に20代30代40代の現役世代は実際の行動として資産配分を変えています。
これは国家への直接的な抗議ではありませんが国内経済や通貨への依存度を下げる能動的な行動です。言い換えれば、国家経済圏からの部分的な退出という間接的な抗議なのかもしれません。
この現象の裏側は、江戸時代の百姓一揆とよく似ていると個人的に思うわけですね。
百姓一揆では、年貢や負担が生活維持の限界を超えたとき、農民は共同体として抗議行動をしました。しかし彼らは徳川家による幕藩体制を否定したかったわけではありません。とは言え、過重な負担を受け入れ続けることもありませんでした。直接行動としては暴力的なものでしたが、その結果として、減免や制度修正が引き出しました。
現代の我々庶民もまた、一部の過激派を除けば全面的に国家や政府を否定しているわけではありません。しかし税や社会保障負担が増え続け、更にインフレと円安により生活維持の閾値を超えた時、円資産だけに依存することも選びません。生活の安定を守るため、より有利な環境へと静かに移動します。
つまり、かつて農民が年貢負担に対して取った生活防衛行動が、現代では通貨や株式など「金融資産の国際分散」という形で現れていると考えることもできるのではないでしょうか。
抗議の形は変わったのかもしれませんが、生活防衛の論理は変わっていないのでしょう。
声も上げず、旗も掲げず、否定もせず。ただ生活を守るために行動する。スマートフォンのワンクリックで外貨や海外株式が買えてしまう時代ですからね。
かく言う筆者もこの国で生まれ育ち、全体として民度が高く、世界に誇る文化があり、衛生環境の整った日本は好きだし、未来を生きる後人に良い形で残していきたいと思っていますが、日本円や日本経済だけに自分や家族の生活を預けるつもりはありません。
実際、我が家の保有している金融資産は約80%が外貨&外国株式です。
もし百姓一揆を「農民が採った生活防衛のための最後の交渉」と定義するなら、現代の庶民による金融資産の国際分散は、静かで見えにくい形をした現代版百姓一揆なのかもしれません。
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
このnoteでは、お金・制度・働き方を通して「どう生きるか」をテーマに生活者としての実感と、投資や節税も含めて庶民が自力で立つための知恵を考察していきたいと思います。
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