今夜、星になる。
――先日つぶやいた祖母に寄せて。
母方の祖母の話だ。
生まれは昭和四年。今月の誕生日で満九十六歳になる。
そんな祖母が、先日体調を崩し、病院に附設されている特養に入所したと母から連絡があった。
「空きが出たから」との話だったが、待機している間にあれよあれよと状態が悪化して、優先的に入れてもらったのだろう。
同居している伯父夫婦の判断であるはずなので、細かいことは分からないが。
私の知っている祖母は、いつも朗らかでハキハキと喋る人だった。
年相応に腰は曲がっていたが、賢く器用で畑仕事に精を出す、どこにでもいる「元気なおばあちゃん」だ。
祖母宅(母実家)と私たち家族の暮らす家は、当時車で10分ほどの距離にあった。そのためか母はよく祖母のもとに通っていたし、私もそれについていくことが多かった。
昼食を終えて一息つくかつかないかの頃に、ふらりと車で出掛ける。手土産はない。
庭に車を停めて、呼び鈴も無しに玄関を開ける。
「来たよー」
声をかけるのはいつも母だ。
幼い頃の私は引っ込み思案で、特に大人相手にはあまり元気に挨拶出来ないような子供だった。
厳しい人ならばきっと私を「躾のなってない子」だと見るかも知れない。挨拶くらいしろと父に言われたような気がしなくもないが、はっきりとは覚えていない。
母の後ろでぼんやり突っ立っている私にも、祖母はいつも笑いかけてくれた。
「さとこ(仮名)も一緒けゃ!」
……母がいつ祖母にアポを取っていたのか。数十年経った今でも私は知らない。おそらく、行き先が実家である気楽さゆえに、大体の時間だけは伝えるが、誰を連れて行くかまでは伝える必要がないと判断したのだろう。
私たちを居間に通し、掘りごたつに座らせた祖母は、まず二人分のお茶を淹れてくれる。その後に自分のお茶を。それからちゃぶ台に置いてある器に、お煎餅やらチョコレートやらを追加する。
そうして三世代、女だらけのお茶会が始まるのだ。
もっぱら喋っているのは祖母と母で、私はなんとなく聞いているだけだった。時々話を振られるので答えることはあったが、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ何となく、居心地の良さは感じていたように思う。
今に比べて百倍くらい言葉数の少ない孫娘を、祖母はどう思っていたかは分からない。けれど、黙々と茶を啜り、お煎餅を齧る私に対する祖母の眼差しは、優しさ以外の何物でもなかったのだ。
小学校二年生の頃、母が子宮外妊娠のためにしばらく入院することになった。そう長い期間ではないと分かっていたが、寂しいことに違いはなかった。
父は会社員の他に実家での家業があって多忙な上に、母の見舞いと突然のワンオペ育児と相当大変な思いをしていたし、歳の近い兄弟は当てにならない。
そこに現れたのが、祖母だった。
大人達の間で何をどう決めたのかは分からないが、祖母が自宅に一泊してくれた日があったのだ。
主に食事の世話をしてくれたのだが、その夜、私は初めて祖母と布団を隣り合わせて眠った。
なんだか不思議な感覚だった。
それは母とは違う距離感があったからだろうし、母の母という、近いけど少し他人といった感覚もあったように思う。
しかし当時の私は無邪気にも、祖母にこう言ったのだ。
「お母さんの布団で寝ないの?」
なお、母は父と同じ部屋で寝ている。
祖母の答えはこうだった。
「やだよう、(お前たちの)お父さんとなんか」
それはそうだ。
高齢といえど、女は女。
ましてや娘の旦那と同じ部屋でなどあり得ないではないか。
高校を卒業した私は、親元を離れて一人暮らしを始めた。
県外のためにほとんど帰省は出来なくなった。学生時代こそ夏休みや冬休みは帰っていたし、成人式の振り袖姿も見せることは出来た。
社会人になってからは連休というものが無くなり、法事以外で帰ることはなかった。
父方の祖父の七回忌で帰省したことがあった。その時に会った祖母は、膝を痛めて椅子に腰掛けていた。
畳に正座がデフォルトだった人が、椅子にちょこんと座っている。
その時、なぜか無性に寂しい気持ちになった。
腰が伸びなくなったせいもあって、全体的に小さいし、ぱっと華やかな笑顔も、どこかしんなりとしていた。
祖母も確実に老いていたのだ。
私が大人になるのと同じように。
もう、祖母は目を覚ますことはない。
最後の数年間はきっと私の声も覚えてはいなかっただろう。
両親は私を無理に呼び寄せることはしなかったし、かと言って来ないことを咎めることもしなかった。
私は祖母宅の電話番号も知らない。「元気?」などと尋ねる手段も持とうとしなかった。
祖母に対する後悔は、この点だけにしたい。
六月十日、夜。
母からの連絡で祖母が危篤と連絡があった。少し詰まるような母の声に、私は「わかった」としか返せなかった。
正直、戸惑っている。
もしかしたら今夜、祖母は星になるだろう。その日に見送ることは出来ないけれど、想いだけは送りたい。
ありがとう、おばあちゃん。
お空でおじいちゃんと仲良く過ごしてね。
祖母に花嫁姿を見せてあげられなかったのが一番残念だ。
だからせめて、両親には見せたい。
ゆえに私は、ソロウェディングフォトを撮ることを考えている。
一番若いときの私で、きれいな私を残す。親不孝な私でも、それくらいなら出来るはずだ。
相手は後から作ればいい。
