大学院に行くということ|第1回「大学院って、なんのために行くの?」
この記事はこんな人に読んでほしい
・大学院進学をなんとなく考えている学部生
・「大学院って実際どうなの?」と思っている社会人
・院進学を勧められたけど、ピンときていない人
はじめに――このシリーズについて
「大学院に行こうと思ってるんですけど」
後輩からそう言われたのは、もう何年も前のことだ。
当時の私は、すでに大学院での生活を一通り経験していた。修士課程、博士課程、学位論文の執筆、学会発表、非常勤講師の仕事。楽しいことも苦しいことも、ひととおり味わっていた。だからこそ、後輩のその一言に、少しだけ身構えた。
「行くな」と言いたかったわけではない。ただ、「行きたい」と言う人の多くが、大学院というものをあまりにもざっくりとしかイメージしていないことを、私は知っていた。
その後輩には、ハンドアウトを作って説明した。大学院と学部の違い、大学院の選び方、院進学に向けて考えておくべきこと。A4で数枚のものだったが、伝えたいことは山ほどあった。
このシリーズは、あの時のハンドアウトをもとに、もっと広い読者に向けて書き直したものだ。全8回を予定している。当時の私が後輩に伝えたかったこと、そして、あの時は書ききれなかった自分自身の経験を、ここに記していきたい。
「なんとなく院進」の人たち
大学院に進学する理由は人それぞれだ。だが、正直に言えば、「これ」という明確な理由を持っている人は、そう多くない。
「卒論を書いていたら面白くなってきたから」 「指導教員に勧められたから」 「就職活動がうまくいかなかったから」 「まだ学生でいたいから」 「周りが行くから」
どれも聞いたことがある理由だし、どれも「間違い」とは言えない。研究の面白さに目覚めたのなら素晴らしいことだし、先生に勧められるということは、それだけの素養があると認められたということでもある。
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
大学院は、学部の延長ではない。
これは大げさに言っているわけではなく、文字どおりの意味だ。学部までの「学び」と、大学院での「学び」は、本質的に異なるものだ。そして、この違いを理解しないまま進学すると、かなりの確率で苦しむことになる。
学部までの「学び」とは何だったのか
少し立ち止まって、これまでの大学生活を振り返ってみてほしい。
学部では、基本的にカリキュラムが用意されている。1回生でこの科目、2回生でこの科目、と順番に履修していけば、必要な知識が身につくように設計されている。試験やレポートをこなし、所定の単位を取得すれば、卒業できる。卒論がある場合も、多くの大学ではゼミの先生がテーマ設定から指導してくれる。
つまり、学部での学びは「用意されたレールの上を歩く」ことに近い。もちろんその中で主体性を発揮する場面はあるが、基本的な構造としては、大学側が「何を、いつ、どのように学ぶか」をある程度決めてくれている。
これは決して悪いことではない。むしろ、体系的に知識を身につけるための合理的な仕組みだ。
だが、大学院は違う。
大学院という場所の正体
大学院に入ると、レールはなくなる。
もちろん、授業はある。単位も取らなければならない。しかし、それらは大学院生活のほんの一部でしかない。大学院の本質は研究であり、研究とは、自分自身で問いを立て、自分自身でその答えを探しにいく営みだ。
ここが決定的に違う。
学部では、先生が「この問いについて考えてごらん」と問いを与えてくれた。大学院では、「何を問うか」から自分で考えなければならない。先行研究を読み漁り、まだ誰も答えていない問いを見つけ出し、それに対して自分なりの方法でアプローチし、論文という形でまとめあげる。この一連のプロセスが「研究」であり、大学院生活の中心をなすものだ。
「そんなの、卒論でもやったよ」と思うかもしれない。たしかに、卒論でも似たようなことはする。だが、求められる水準がまったく違う。卒論は「研究の真似事」と言ったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも、修士論文や博士論文に求められる独自性・体系性・学術的貢献とは、比べものにならない。
社会人にとっての大学院
ここまで読んで、「自分は社会人だから、ちょっと事情が違う」と思った方もいるかもしれない。
たしかに、社会人大学院生の動機は学部生とは異なることが多い。キャリアアップのため、専門性を深めるため、あるいは、ずっとやりたかった学問にようやく取り組むため。いずれにしても、「なんとなく」ではなく、明確な目的を持って進学する人が多い印象がある。
しかし、だからこそ注意してほしいことがある。
社会人としての経験は、研究の素材にはなるが、研究そのものではない。現場で感じた問題意識を学術的な「問い」に変換するには、相応のトレーニングが必要だ。「実務ではこうだった」という経験知と、「学術的にはこう説明できる」という理論知のあいだには、かなりの距離がある。
また、仕事と研究の両立は、想像以上に過酷だ。平日はフルタイムで働き、夜と週末に研究をする。この生活を2年間(修士の場合)続けるのは、体力的にも精神的にもかなりのものだ。「お金を払って大学院に通っているのだから、先生にしっかり教えてもらえるはず」と思っていると、面食らうことになる。大学院は、学費を払って「教育サービス」を受ける場所ではないのだ。
このシリーズで伝えたいこと
ここまで読んで「なんだか大変そうだな」と思ったかもしれない。その感覚は正しい。大学院は大変だ。
しかし、大変だからこそ得られるものがある。自分の頭で問いを立て、自分の手で答えを紡ぎ出す。その過程で身につく思考力は、研究者にならなくても、一生の財産になる。少なくとも、私はそう思っている。
このシリーズでは、以下のようなことをお伝えしていく。
第2回「大学院は"学校"じゃない」
――学部との違いを、もう少し具体的に
第3回「"勉強"と"研究"は、まったく違うものだった」
――インプットとアウトプットの話
第4回「指導教員の選び方は、人生の選び方だ」
――大学院選びで最も重要なこと
第5回「お金と本棚とWi-Fi」――大学院を支えるインフラの話
第6回「大学院の"サイズ"が人生を変える」
――規模と一貫制博士課程
第7回「博士課程という"覚悟"の話」――アカポスのリアル
第8回「それでも大学院に行く、あなたへ」――まとめとエール
大学院に行くかどうかは、最終的には自分で決めることだ。でも、その判断を下すために必要な情報が、あまりにも少ないと感じてきた。特に、当事者のリアルな声が。
このシリーズが、あなたの判断材料のひとつになれば幸いだ。
次回、第2回「大学院は"学校"じゃない」に続きます。
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