売茶翁から花月菴―煎茶道はここから始まった!―
大阪は天王寺にある大阪市立美術館へ行き、特集展示「売茶翁から花月菴―煎茶道はここから始まった!」を見ました。こちらの美術館では特別展の「NEGORO 根来 - 赤と黒のうるし」を2階の展示室で開催していますが、今回は1階の特集展示のみを鑑賞しました。
「煎茶」といえば最近ではティーバッグ状のものも売られており、自宅で気軽に飲むことができるお茶だと思います。この煎茶は江戸時代初頭、隠元隆琦をはじめとする黄檗僧や、長崎に来航する唐人から伝来した中国の茶葉を用いる喫茶法をもとに日本でも飲まれるようになったものだそうです。案外新しいものなのですね。
かつて黄檗僧であった売茶翁(高遊外)が還俗して、禅の精神を説きながら茶具を担いで茶を売り歩いたことで当時まだ新しいものであった煎茶が発展していったということです。
展覧会では、売茶翁関連の資料を中心にした展示や、売茶翁以降に「煎茶道」の体系化に関わった文人たち、大坂の花月菴流の流祖である田中鶴翁の資料などを順を追って見ることができました。展示品の数は130点を超え1階の展示室を全て用いた大きな特集展示で、しかも殆どの作品の写真撮影が可能という太っ腹ぶりでした。

江戸時代
売茶翁の肖像というと、やはり若冲の描いたものが頭に浮かんできます。絵の右側に黒っぽい箱が置かれていますが、これは売茶翁が茶具を入れて担いでいた箱で、今回の展示品の中に売茶翁が焼却したものを木村蒹葭堂が模造したとか売茶翁から蒹葭堂に贈られたものとか言われている(どちらが本当なのか分からないそうです)都籃(つづら)があり、思っていたより大きいものでした。

売茶翁所持 江戸時代
上の茶旗は売茶翁の茶店で営業中のしるしとして掲げられていたものです。売茶翁の資料の中には相国寺の大典顕常の名前が頻繁に出てきます。彼は茶店の馴染みでもあり、売茶翁の言葉を書き残すことになる人です。

中国・清時代
急焼(きびしょ)は素焼きの急須のことだそうです。こうした茶道具(伝来の中に売茶翁の名前がある)の展示数は多かったです。売茶翁が持ち歩いていた茶道具の中には湯を沸かすための火を焚く道具や、水注などもありました。結構重たかったのではないでしょうか。

青花寿字花文線茶碗(子母鍾)/景徳鎮窯/売茶翁所持/中国・明-新時代

江戸時代・1756年
煎茶道を伝えた鶴翁の文人ネットワークに名前が出てきたのは池大雅はもちろん、上田秋成や太田南畝、平田篤胤などです。

上の大きな壺は四十石壺といい、鶴翁が中国の西湖の水で茶を飲むことを熱望したため天保4年に中国より取り寄せたものだそうです。←びっくり
左のガラスの器は、その西湖の水を長崎から運ぶ際に使用したものだとか。西湖の水で淹れた煎茶はどんな味がしたのでしょうね。
美術館を見た後、北の方向へ歩き四天王寺へ行ってみました。お参りをした後に宝物館へも行き、展示を見ました。実は四天王寺へは初めて行きました。博物館や美術館の展示で四天王寺に伝わる寺宝を見たことはありましたが、実際に行ってみるのは初めてで、大阪の街の中にこんなに広い境内の寺院があるとは驚きでした。

広い境内を迷子になりながら歩き回り、1万歩以上歩いて帰ってきました。
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