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男同士の友情に潜む「見栄の契約書」──なぜ私たちは、友人の強がりを笑って許すのか

仕事で派手に失敗した友人が、飲み屋でジョッキを傾けながら、あえて強気な口調で「武勇伝」みたいな話を語り出すことってありますよね。

本当は傷ついていることは、横にいれば痛いほど分かるんですけど。

でも、私たちはそこで「本当は辛いんだろ?」とは聞きません。

「へえ、そうか」
「ま、とりあえず飲もうぜ」

なんて言って、その強がりを壊さないように笑って流す。

この場面って、事実よりも「彼が保ちたい姿」を大事にしているんですよね。

一見すると、虚勢に付き合っているだけの浅い関係に見えるかもしれません。

けれども、このやり取りには、男同士特有の「相手の願う形を保護する」という、静かで不器用なケアが隠れている気がします。

今回は、男たちの間に流れる「見栄みえ」という不思議なルール。その良さと危うさについて、少し考えてみたいと思います。

男の友情を支える「見栄の契約」:暗黙の3大ルール

男性同士の友情には、仲の良さとは別に、お互いのプライドを守るための「見栄の契約」みたいなものがある気がしませんか?

たとえば、こんな感じの「振る舞いの作法」が。

1. 【スルーする力】友人の「盛り」をあえて訂正しない

収入や仕事の話で、友人が少し話を盛ったとします。聞き手はそれに気づいても、決してツッコミを入れたり訂正したりしません。「あいつは今、そういう自分でありたいんだな」って飲み込んだうえで、その役を演じきるのに付き合ってあげます。

2. 【共犯関係】競争よりも「メンツ」を支え合う

友人が他人の前でいい顔をしたい時、あえて脇から話を合わせたり、持ち上げたりして「共犯者」になってあげる。ここでは競争よりも、同じ側にいる仲間として相手の「看板」を支えるほうを優先してしまうのですよね。

3. 【武士の情け】弱さをあえて見ない「沈黙のケア」

これが一番わかりやすいかもしれません。ふとした瞬間に友人が泣きそうな目をしていたり、声が震えていたりしても、あえて「何のことだ?」って顔でスルーしちゃうんです。 代わりに軽い冗談を飛ばしたり、全く別の話題を投げたりしてね。

これは冷たいわけじゃないんです。「何も聞かないことこそが、最大の支援(武士の情け)」だって信じてるからなんでしょうね。

親友に弱音を吐かせることは、親友に「恥」をかかせることと同じになってしまう。だから、何も聞かずにただ酒を注ぐ。黙って重荷を背負わせる代わりに、相手の面子メンツを死守する。それが男なりの「仁義」になってるわけです。

この3つがセットになることで、男同士の間には「お互いの看板を守り合う」という信頼が生まれます。

ベタベタした言葉はなくても、「俺のカッコ悪いところを、あえて見ないでいてくれる」という安心感。弱さを見せ合うような関係は、どこか気恥ずかしく、友情の枠を超えた別の親密さ(女性からすると、時にBL的とさえ感じられるような)に見えてしまう。

だから、この「見ないふり」こそがもっとも心地よい距離として落ち着くのかもしれません。

なぜ男は弱音を吐けないのか:「男らしさ」と感情抑制

なんで男ってここまで、「見栄」や「強さ」にこだわるのでしょうね。

恐らく、幼い頃から刷り込まれてきた「男らしさの規範」が深く根を張っているんじゃないでしょうか。

ジェンダー研究や男性学の分野では、男性は小さい頃から「感情抑制」をトレーニングされるなんて言われています。

「男の子なんだから泣かないの」などの言葉に象徴されるように、感情を出すことは「弱さ」であり、恥ずべきことだと教え込まれるんですね。

さらに日本では高度経済成長期以降、「男は仕事」という価値観が強く結びついてしまいましたよね。

仕事上の成功や失敗が、そのまま「自分の価値」とイコールになりやすい。だからこそ、仕事でつまずいたり、弱音を吐いたりすることは、単なる失敗以上に「自分の存在そのものが揺らぐ危機」になりかねない。

男性にとって「自己開示」は、どうしても「恥」という感覚と結びついてしまいがちです。

だからこそ友人たちは、傷ついた友に対して「失敗した自分」ではなく、「まだ戦っている自分(という見栄)」を守ろうとするのでしょう。

感情そのものをケアする技術を持っていない代わりに、社会的な「顔つき」を保たせてあげる。そうやって、遠回しに心を支えようとしているのではないのでしょうか。

「相談できない」という代償:孤独死と自殺リスクの背景

この「見栄を守り合う友情」は、日常をスムーズに進めるための潤滑油としては、非常に優秀です。

相手の自律性を尊重し、「言葉にしない共感」でつながることができるからです。

でも、この契約には明らかに代償もあります。それは、「本当に追い詰められた時に機能不全に陥る」こと。

日本の自殺統計において、男性の自殺率が女性よりも圧倒的に高い背景には、「弱音を吐いたり相談したりしにくい」文化があると言われてます。内閣府の調査でも、多くの中高年男性が、悩みを抱えた時に「人に助けを求めることをためらう」と答えてるそうです。

いつものように「全然余裕だよ」と笑って強がる友人に対して、いつものように「さすがだな」と見栄を守ってあげていた。

その結果、誰も限界に気づかないまま、友人が折れてしまう――。

「本当に信頼し合っていれば、これほど多くの孤独死や自殺は起きないのではないか」。そんな指摘をされると、ちょっとグサッときますよね。

弱みを見せるくらいなら、人知れず消えることを選ぶ。まるで死に際を見せまいと姿を消す飼い猫のように、誰にも相談できずに孤立していく。

「見栄の契約」は、平時のシェルターにはなっても、有事の命綱にはなりにくいという脆さも抱えてるのです。

「弱さを見せる」も悪くない:これからの男の友情論

ただ、時代は少しずつ変わってきています。

近年では、男性学の中でも「男らしさ」は一つではなく、「複数形の男らしさ(Masculinities)」があるって考えられるようになってきたみたいです。

若い世代を中心に、同性同士でハグをして喜び合ったり、真面目にメンタルの不安を語り合ったりすることが、以前ほど「女々しい」とバカにされなくなってきました。ケアのできる優しい男も増え、友情の形も変わってきてるみたいです。

海外の研究でも、男性同士で意識的に支え合うネットワークを持つ人は精神的に安定しやすい、なんてデータもあるらしいですよ(Am J Mens Health, 2018)。

私たちは今、過渡期にいるのかもしれません。

これまで通り、友人の見栄を粋に守ってあげる「カッコいい友情」もあっていい。

でも同時に、本当に苦しい時には「実はもう無理なんだ」と見栄を脱ぎ捨てられる場所も必要です。

基本的には友人の「強がり」「見栄」を尊重してあげる。けれど、本当に危ういと感じた時には、あえてその契約を破り、「その強がり、今は聞かないよ」って踏み込んでみる。

そんな「契約違反」ができる関係こそが、これからの時代の、本当にタフな友情なのかもしれませんね。

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