見出し画像

人としての気遣いと人間のしたたかさ──みんなセックスをしている、汚く、巧妙に

数年前、女性ソロキャンパーにしつこく話しかける男性を批判したXの投稿が、ネットで反響を呼びました。

語られたのは「男女の対立」ではなく「人としての基本的な気遣い」の欠如。見知らぬ相手に一方的に近づき、挨拶や親切を口実に接触を図ることは、当事者にとって恐怖以外の何ものでもない。

その指摘自体は至極まっとうであり、多くの人が納得できるものです。

男性は女性にとって、ゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いい

https://x.com/tandokuyaei/status/1667770248102297601

けれども現実に目を向ければ、不適切とされるような誘い方から関係が生まれることは珍しくありません。

友人や知人からそうした話を耳にするのはごく普通のことであり、場合によっては自分自身も経験している。つまりこれは遠い出来事ではなく、日常の延長にある現実なのです。

ネットの批判と日常の体験の間に横たわる大きなずれは、しばしば私たちの人間関係についての理解を混乱させます。

人として守るべき配慮と、人間の欲望や偶然が生む現実。その二重性をどう捉えるのか、今回は職場の男女関係で考えてみましょう。

職場という公的な場で驚くほど多く成立してしまう性的関係

不適切な誘いが最も多く見られる場のひとつは、やはり職場でしょう。「飲みに行こうよ」と繰り返し誘う、用件にかこつけて私的な連絡を重ねる、終業後に二人きりで残ろうとする。

外から見れば強引で、時には迷惑にも映るこうした誘いは、職場では決して珍しくありません。公的な空間であると同時に、私的な関係が芽生えやすい場だからです。

国際的な調査では、およそ3割から4割の人が職場で恋愛や性的関係を経験したと答えています(出典:Society for Human Resource Management 2019)。

その中には真剣な交際もあれば、一度きりの関係もあります。

もちろん、すべてが不適切な誘い方だとは思いませんが、この関係に至った男性のすべてが「ゴキブリとハイエナを足して二で割ったような」自分を自覚する殊勝な心がけであったとも思いません。

いずれにしても、「不適切に見える誘いが、完全に実を結ばないわけではない」のが現実です。

職場という環境は、日常的に顔を合わせる機会が多く、接触の積み重ねが関係の成立を後押しします。

公的な空間であるはずの職場(セカンドプレイス)に、私的で親密な関係(サードプレイス)が忍び込み、規範と実感の矛盾を生む。

だからこそ、外からは否定されるような誘い方であっても、関係が始まってしまうことがあるのです。

外からは不適切に見える誘いが成立してしまう心理的な背景

誘い方が雑でも関係に至るのは、単純接触効果や偶然のタイミングが作用するためです。

繰り返し顔を合わせるうちに心理的な距離が縮まり、ある瞬間に関係が成立することがある。

ネットで叩かれる「しつこさ」も、現実の中では一部に成功をもたらしてしまう。これが不適切とされる方法が消えない理由でもあります。

恋愛や結婚を前提とせず関係を受け入れる人々の存在

また、全ての人が同じ基準で行動するわけではなく、性的関係に抵抗の少ない人も一定数います。

必ずしも恋愛や結婚を前提にせずとも、その場の流れや感情に応じて関係を受け入れる姿勢は、時代や文化を問わず存在してきました。

そうした相手に出会うことで、誘いが多少強引でも成立してしまうことがある。誘う側のやり方だけではなく、相手の性に対する態度の幅が結果を左右します。

一度の成功体験が繰り返しの行動を生み出していく仕組み

一度でも「それで通じた」という経験をすると、人はその方法を強く信じ込みます。

心理学では「オペラント条件づけ」と呼ばれ、成功体験が報酬として働くことで行動が強化されるのです。

特に性的な体験は感情のインパクトが大きく、他の場面よりも記憶に刻まれやすい。たとえ確率的に低くても、一度の成功が「このやり方は正しい」という確信に変わります。

その効果は持続的です。

例えば誘い方が多少雑でも、それで関係が成立した人は「多少強引でも問題ない」と思いやすい。

反対に断られた経験は薄れやすく、成功した時の記憶ばかりが鮮明に残る。これは人間の記憶の性質によるもので、ポジティブな報酬が行動選択の指針を形作っていきます。

加えて、職場や日常的な環境では接触が繰り返されるため、成功体験は再現性をもつと錯覚しやすい。相手が違っても「以前はうまくいったのだから、今回も通じる」と解釈してしまう。この誤った一般化が、同じ行動を繰り返す要因になります。

行動科学では、これを「部分強化効果」と説明します。成功が毎回ではなく、たまにしか得られないからこそ、かえって強固に行動が維持されるのです(出典:Skinner 1963)。

ギャンブルがやめにくいのと同じ仕組みで、性的なアプローチも成功率が低いほど「次こそは」という期待を強める。

このため、当人にとっては社会規範を逸脱しているという自覚は薄れます。むしろ「現実に通じた方法」として積極的に記憶され、次の行動に転用されていく。その積み重ねが、外から見れば不適切な行動でも、本人には「正しいやり方」として定着するのです。

ネットでの批判と現実の行動が食い違う人間の二重性

滑稽に映るのは、男女を問わず「不適切な誘い方をする人」を叩く側に回りながら、同じ種類の行動を自分もとっていたり、あるいはその誘いを受け入れていたりする事実です。

SNSで笑いものにされるネタは、あたかも誰もが一方的に拒否するべきものとして共有されます。しかし現実には、同じタイプの誘いが人間関係の中で受け入れられることもある。その両者の落差は強烈で、外から見ると矛盾に見えます。

この背景には、社会心理学で言う「認知的不協和(Festinger 1957)」が働いています。

人は公的な場面で規範に従う姿を見せながら、私的な場では異なる行動をとることが少なくありません。

ネット上の発言は「社会的望ましさバイアス」によって整えられ、批判や共感を得られる表現に寄せられやすいのです。その一方でオフラインでは、相手の魅力やその時の気分、タイミングなどに左右され、SNSで語られた理想とは違う行動に踏み込むことがある。

さらにデジタル社会学の視点では、SNSでの言説は「パフォーマンス」の要素が強いとされます。

自分が加害者側でない立場をアピールすることは安全であり、共感や承認を得やすい。だからこそ多くの人が「叩く側」に立ちます。

しかし私生活の場面では、そのパフォーマンスは意味を持たず、個別の関係のダイナミクスが優先される。ここで「叩く人」と「叩かれる人」が簡単に入れ替わるのです。

性に関する調査では「否定的に語る人でも、実際には経験している」という態度と行動のギャップがしばしば報告されています(出典:Journal of Sex Research 2012, Archives of Sexual Behavior 2015)。

口では拒否しながらも、一定の割合でそうした行動を取る人が存在する。これは珍しいことではなく、人間の行動の二面性として実証されている現象です。

場ごとに規範を切り替えることで人は社会的にも個人的にも生きやすくしている。矛盾のように見えて、実際には誰もが持つ柔軟さの現れでもあるのです。

モラルの声と実感の体験、ねじれながらの共存

ネットで女性が中年男性を「臭い」「無神経」「おぢアタック」と叩き、そこに中年男性自身が「そうだそうだ」と乗っかっているレスがずらりと並ぶ光景はネットの風物詩です。

けれども同じ時間、職場ではその女性がまさに「汚いパワハラおっさん」と関係を持っていることもある。本人はそれを不倫だと思っておらず、さらにお小遣いまで受け取っても違和感を感じない。

一方の男性もまた、職場の力関係の中で女性が惹かれているのだと理解しながら、それすらも「自分の人間力の証」と解釈している。

どちらも相手を利用しながら、同時に自分の立場を肯定する論理を編み出しているのです。

このねじれは、規範と現実が矛盾しているのではなく、むしろ巧妙に共存していることを示しています。

叩くときは叩き、抱くときは抱く。

その二重性を支えているのは矛盾への鈍感さではなく、人間が持つしたたかな順応性です。だからこそ外から眺めると、滑稽でありながらも妙に現実味を帯びた光景として浮かび上がるのです。

いいなと思ったら応援しよう!