写真の『リアル』ってなに?~AI生成との付き合い方~
ここ数年、AIによる画像生成が写真の世界にも急速に広がっています。
SNSでも「これは実写?」「AI?」という議論を見かけることが増えました。
最近では、海外の報道機関が
「貧困を訴えるAI生成写真」を掲載し、
実在しない“架空の難民”を描いていたことが問題となりました。
現実の苦境をAIで演出する行為に、多くのフォトグラファーが倫理的な疑問を呈しています。
こうした出来事を目にすると、私はあらためて考えます。
「写真とは何か」「リアルとはどこにあるのか」と。
写真には二つの側面がある
これは個人的な考えですが、私は写真は以下の二つに大別できると思っています。
1.記録媒体として、情報伝達のための写真
2.表現方法として、創作のための写真
この二つを混同すると、AIをめぐる議論は必ず迷走すると思います。
画像を産み出すツールの一つがカメラであり、PCであり、写真であり。あくまで「画像を産み出す」目的のための道具ですよね。
「情報伝達のため」の道具なのか、「表現方法のため」の道具なのかで同じ「写真」も当然使われ方も印象もかわるはずですよね。
記録としての写真にAI生成はありえない
報道、記録、研究…これら「真実を伝える」ことを目的とする写真では、
AI生成は言語道断だと考えます。
そこに求められるのは「事実」であり、「実際の出来事」です。
最大の目的は「美的価値」よりも「情報価値」であるべきだと思います。それが現実でなければ、人を誤導してしまう。
PRなどでAI画像を使う場合「印象」を伝えるもので、AI生成画像は有効なこともあるでしょう。しかしその場合はイラストと同様に「※イメージ画像」と明示するべきです。
視覚の力は強く、『現実っぽい虚構』は容易に人の意識を操作します。
写真を「事実を伝える媒体」として扱うなら、
そこには誠実さが不可欠です。
虚構を現実のように見せることは、明確な倫理違反だと思います。
表現としての写真におけるAI使用
一方で、表現や芸術の領域においてAIを使うこと自体は、否定しません。
筆やレンズが変わるように、AIも「表現のための新しい道具」として位置づけられるべきだと考えます。
ただし、重要なのは主導権です。
「自分の構想や思想を実現するためにAIを使う」なら、それは創作です。
しかし、「AIにおまかせ」「いい感じにして」と丸投げするのなら、
それはAIの作品であって、人間の表現ではありません。
芸術とは、作者の感情や哲学が作品を通して立ち上がる行為です。
AIがその中心を奪えば、それはもはや創作ではなく、単なる生成物です。
AIは使うものであって、任せるものではない。
他の分野でも強くそう思います。知識の浅い人ほど(AIに関しても、代替させる領域においても)『AIにとってかわられる』『AIで十分』とその万能感に悩みがちです。あくまでAIはツール。
私が、AIの扱いに慣れない同僚や先輩、上司に説明する際に必ず行っている説明が「指示されたことしかしない、優秀な新人と思ってください。」です。万能感をまず捨て去れるべきです。必要以上に畏れるのではなく、使役してやる感覚を常に忘れてはいけないと思います。
「撮ったように見せる」ことの危うさ
「まるで写真で撮ったような絵だね!(ほんとは写真)」
このように、新技術を利用して、旧技術で仕上げたかのようにミスリードして評価を得る方法はあったようです。
出展が定かではないのですが、江戸後期~明治初期に写真機で風景を撮り、自分で書いたと風潮し一時的な注目をあびた方もいたようです。
道具の進歩の際に必ずでてくる現象のようですね。人とは変わらないものです。
そう、AI生成そのものよりも、私が危険だと感じるのは
「撮影したように見せる」行為です。
撮影には、時間、場所、光、そして被写体との関係性があります。
そのすべてを経て生まれる瞬間が“写真”であり、そこにリアルが宿ります。
AIにはその呼吸がありません。
シャッターを切る緊張感も、光の揺らぎも、対象との対話も存在しない。
どんなにAIが発達して、光学的にデータ的にもまったく差がなくなったとしても「撮影」という行為を挟んでない以上その概念は絶対に生まれないと思っています。
だからこそ、私は表現の主軸は常に人間であるべきだと思っています。
AIが描く世界の中でも、どこかに「人のまなざし」がなければ、
それは作品として心に残らないのです。
ただ、安易な気持ちで自分の理解できないものを「AIだろう!」と指摘するのもこれまた違うと思います。
AIは敵じゃない、悪じゃない
人間の歴史の中で、刃物がどれだけの命を奪ったと思います?石がどれだけの命を奪ったと思います?
ゼロです。自主的に刃物や石が命を奪うことがないです。
そう、命を奪ってきたのは飽くまでも人。
AIも同じです。いくらでも悪用できるでしょう。
AIは「敵」ではありません。
問題は、それをどう使うか、誰の思想がそこに宿るかです。
AIが描く光の向こうで、私たちが問うべきはただ一つ。
「誰が、何を感じ、何を伝えたくてその光を選んだのか」
人間が陥りやすい二元論にハマってはいけません。
おまけ


と指示した画像
おもろいよね。でも、撮影したときのこと、場所、天気、そこまでいった方法、そのときのおもろい話、現像のポイント、どのような撮影方法を意識したか、何を思って撮影したか。。。そんなもの二枚目からは俺は語れない。
あとね、拡大したら、やっぱおれの写真のほうがトーンが丁寧で質感が生きている。
みなさんは、AIとうまくやっていけそうですか?
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うちの犬のおやつが豪華になります。